第百五十二話 冒険者発祥の国
聖デュゼンバーグ王国の北側に広がるアイオン共和国。建国は三百年前とも五百年前とも言われているが、正確な記録は残っていない。ある目的のためにこの地へ人が集まり始め、次第に規模が大きくなり国をなしたと伝わっている。
商業に農業、観光業とさまざまな産業が発展している国だが、近年は災害に見舞われることが多く、そのたびに多大な出費を迫られていた。特に、首都であるハノイはもともと土地が低いこともあり、最近も規模の大きな水害に遭っている。
しかも、短期間に複数の災害に見舞われてしまい、アイオンの財政は大きく傾いていた。交流がある国に対し支援を要請しているものの、望むような返事ももらえていない。
「議長、デュゼンバーグからは何と?」
アイオンの議会では、今日も朝からこの財政難をどう乗り越えるか、主だった議員たちによって議論が交わされていた。
「……大規模な支援は難しいとのことだ。あちらも最近大きな災厄に見舞われているからな」
「そうですか……支援を受けるのが難しいとなると、やはり税収を……」
議員の一人が頭を抱えて机に突っ伏す。
「バカな。ただでさえ災害続きで国民は疲弊している。このうえ増税などしたらどうなることか」
「しかし! このままでは我が国は……!」
腕を組んだラスカル議長は、激論を交わす議員たちの言葉を聞きながら目を閉じた。
「議長! いったいどうしますか!」
「何かしら手を打たないことには我が国が……!」
一瞬眉間にシワを寄せたラスカルが静かに目を開き、議員たちにじろりと視線を這わせる。
「……こうなったら、聖域の攻略に本腰を入れるしかないか……」
唸るように発したラスカルの言葉に、議員たちの顔が強張る。
「し、しかし……聖域は……」
「本気ですか、議長……?」
聖域。文字通りこの国における聖なる領域である。首都ハノイの西方に位置する聖域は、岩山に囲まれた盆地だ。周囲を切り立った岩山に囲まれており、そこへたどり着くには岩山と岩山に挟まれた一本の道を進むしかない。
アイオン建国よりも以前からこの地に存在していた聖域には、とんでもない財宝が眠っていると言われている。その話がさまざまな地方へと伝わり、人がどんどん集まり始め、やがて街ができ国が誕生したのである。
だが、聖域の全容を知る者は誰もいない。過去、幾度となく調査隊が派遣されたが、誰一人として戻ってきた者がいないのだ。
『聖域には守護者がいる』
いつからか、このような噂がまことしやかに囁かれるようになった。あながちただの噂というわけでもない。事実、過去に派遣された調査隊は腕利きの兵士を中心に構成されていたが、それにもかかわらず誰も戻ってこないのだ。
「交流がある国からの支援は期待できず、増税もできない。もう……我々は聖域の財宝に望みを託すしかない……」
絞りだすように言葉を吐いたラスカルに、議員たちの視線が集まる。
「し、しかしですよ、ラスカル議長。現実問題、聖域をどう攻略するおつもりですか? 過去に何度も調査隊が全滅しているのはご存じのはずです」
戸惑いの表情を浮かべた若い議員が早口でまくしたてた。
「……冒険者に依頼しようと思う」
議員たちのあいだに広がるざわめき。なかには顎に手をやり考え込む者もいる。
「た、たしかにこの国の冒険者であれば攻略できる可能性はありますが……」
「そもそも、冒険者がそのような依頼を受けるかどうか……」
聖域に手を出してはならない。この国の冒険者なら誰でも知っていることだ。過去には攻略に挑戦した冒険者もいたが、やはり誰一人戻ってこなかったことから、現在では禁忌のような存在として扱っている。
「そこはギルドマスターに相談してみる。我が国の窮地を知れば、協力を得られる可能性も高まるだろう」
ラスカル議長はそう言うものの、議員たちの表情は晴れない。何せ、この国の冒険者は他国の冒険者とワケが違う。
「……正直、私は彼らが依頼を受けてくれるとは……恐ろしく誇り高い連中ですよ……?」
若き議員が懸念を言葉にして紡ぐ。そう、この国の冒険者はとにかく誇りが高い。それは、この国が冒険者発祥の国と言われていることに起因する。
まだアイオンが存在しなかった時代、聖域の財宝を目当てに大陸中から大勢の人が集まってきた。そのほとんどは、腕自慢のゴロツキや傭兵崩れ、財宝専門のハンターなどだ。
このような人々が、やがて冒険者と呼ばれるようになり現在にいたる。と、アイオン共和国には伝わっている。
そのため、アイオン出身の冒険者はおしなべて誇りが高い。『アイオンの冒険者でなければ冒険者にあらず』とまで公言する者もいるほどだ。
「そこは……何とかするしかない。とにかく説得してみるさ」
ラスカル議長は、ふぅと大きくため息を吐くと、あらかじめ用意していた冒険者の資料に目を落とした。
――ハノイ冒険者ギルドは、首都ハノイの中心市街地にある。住宅や店舗が整然と建ち並ぶなかで、ひと際異彩な存在感を放つ大きな建物こそ、ハノイ冒険者ギルドだ。
「はぁ? 最高議会から依頼ぃ?」
呆れたように言葉を吐いたのは、ハノイを拠点とする女冒険者ミヤビ。雷帝の二つ名をもつSランク冒険者である。
「ああ、そうだ」
ローテーブルを挟んで向きあうギルドマスターのヒュースは、カップに入った紅茶へふぅ~ふぅ~、と息を吹きかけながら返事をした。どうやら猫舌らしい。
「しかも聖域を攻略しろって?」
真っ青な髪が印象的なミヤビは、ヒュースを下から睨めあげるようにして見やったあと、盛大にため息を吐いた。
「あのなぁギルドマスター、あたいら誇り高きアイオンの冒険者だぞ? 何が哀しくてお上の使いっ走りしなきゃならんのよ」
「議長たちはあくまで依頼人としてギルドにお願いしたいと言っている。何も問題はないだろう」
「まあ、そう言われりゃそうだが……よりにもよって聖域の攻略とか……」
「何だ? 雷帝なんて立派な二つ名があるのに自信がないのか?」
年は四十代前半、右の頬に大きな傷跡があるヒュースは、にやりと口元を歪めた。
「バ、バカ言ってんじゃねぇよ……! ただ、爺ちゃんや婆ちゃんからも聖域には手をだしちゃいけねぇって小さいころから言われて育ったしな……」
「まぁ……この街の出身なら誰でもそうさ。あそこは数百年ものあいだ禁忌とされてきた場所だ」
「……そんなにこの国の状況はよくねぇのか?」
「ああ。ヘタしたらアイオンという国そのものがなくなるかもしれん」
「そこまでか……」
しばらく考えこんでいたミヤビだったが、ソファの背もたれに背中を預けて天井を仰ぐと、再度大きなため息を吐いた。
アイオンがなくなる、とまで言われちゃやるしかねぇが、何せ聖域については何も分かっちゃいねぇ。そこに何があるのか、何がいるのか、何が起こるのか、何一つ分からない状態だ。
「ミヤビ。この国を救うために力を振るってくれないか」
精悍な顔つきのヒュースが、膝に両手をつき軽く頭を下げる。その様子を見て、相当深刻な状況であることをミヤビは理解した。
「はぁ……やるしかねぇか。とりあえず、明日にでもあたいのパーティで向かってみる。が、ヤバいと感じたらすぐ戻ってくるからな」
「ああ。そのあたりの判断はお前たちに任せる。生きてりゃ何度でも挑戦できるしな」
にやりと口の方端を吊り上げたヒュースに、ミヤビが思わず舌打ちする。そんなこんなで話はまとまり、翌日ミヤビ率いるパーティは聖域を攻略すべく向かった。のだが――
聖域へ向かったその日の夜。ミヤビたちはもうハノイへと戻ることになった。しかも、パーティのメンバー全員がボロボロの状態で。ハノイ冒険者ギルド最大の戦力と評されるミヤビたちは、聖域への侵入を阻む何者かによって完膚なきまでに叩きのめされ、撤退を余儀なくされたのであった。