第百五十話 太っ腹聖女
アリアとともにデュゼンバーグの教会本部へ転移したアンジェリカは、そこで初めて騒ぎを知った。王城のそばへ急行した二人の目に飛び込んできたのは、巨体を横たえたエビルドラゴンの姿。
「パール!」
慌てた様子のアンジェリカが、地面にしゃがみ込んでいるパールの後ろ姿を見つけて声をかける。
「……ママ!」
振り返ったパールの瞳に涙が浮かんでいた。アンジェリカは娘が無事なことに安堵し、その小さな体をぎゅっと抱きしめた。
「……ごめんね、パール。私たちがもっと早く気づいていれば……」
大筋の話はアルディアスから聞いている。アンジェリカは娘の無事に安堵すると同時に、自らの愚かさを恥じていた。
「……ごめんなさい、パール」
アリアも悲痛な面持ちでパールに謝罪する。
「ケガはない? 大丈夫?」
「うん……でも、ケンちゃんが……」
えぐえぐと泣き始めるパール。その足下にはバラバラに砕けた魔剣の残骸が転がっていた。
「ケンちゃん……私たちを守るために……うう……ごめんね、ケンちゃん……」
謝罪の言葉を口にしながら泣き止まぬパールに、アンジェリカは戸惑いの表情を浮かべアリアと顔を見合わせる。
「あ、あのね、パール……」
「何……?」
「ケン、元通りに戻せるんだけど……」
「……へ?」
涙をいっぱい溜めた瞳を見開くパール。ぽかんと口をあけている。
「そもそも生物じゃないし、修繕すればいいだけなのよ。ていうか、ケン。あなたもいつまでそうしているつもり?」
アンジェリカは呆れたような表情を浮かべながら、眼下に転がるケンに話しかける。
すると、一番大きな欠片の目が開き、ぎょろぎょろと動き始めた。
『……いや、はは……パールがあまりにも哀しんでくれるものだからよ……実は生きてました、って言いにくくなっちまって……』
バツが悪そうに言葉を紡ぐケンとは対照的に、パールの表情はたちまち明るくなった。
「ケンちゃん!」
『よお、パール。無事で何よりだ』
「ケンちゃん……! ケンちゃんこそ、無事でよかった……!」
再び泣きそうになるパールにケンが焦り始める。
『な、泣くなよパール。悪かったな、まあ俺も死ぬ覚悟だったんだけどな』
「うん……ねえママ。ケンちゃんはどうやったら治るの?」
「そのまま剣として修復してもらえばいいのよ。心当たりがあるから、なるべく早く持っていくわね」
心当たりとはもちろん、名工と呼ばれたドワーフの孫、ランのことである。
「それにしても……」
地面に横たわるエビルドラゴンの巨体に目をやり、アンジェリカは小さく息を吐いた。魔剣があったとはいえ、よくエビルドラゴンを倒せたものだ。まあアルディアスもいたからか。でも、やっぱり私の娘って凄い。天才。
「あ、あのね、ママ」
エビルドラゴンにとどめをさしたのは、突然現れた謎の槍である。それをアンジェリカに伝えようとしたのだが、離れた場所からアルディアスが首を小さく左右に振る様子が見えた。
「どうしたの?」
「……んーん、何でもない」
アルディアスとしては、謎の黒い槍に敵意も悪意も感じなかったため、わざわざここで新たな悩みの種をアンジェリカに与えることはないと判断したようだ。
そうこうしているうちに、デュゼンバーグの兵士や教会の聖騎士、ギルドの冒険者たちが集まり始めた。パールがエビルドラゴンと戦う様子は大勢が目にしているため、誰もが尊敬の目で彼女を見つめている。
また娘が有名になってしまうわね。アンジェリカはそんなことを考えながら苦笑いを浮かべた。
――華美な装飾で彩られた廊下。黒い槍を手にしたまま、赤い絨毯の上をすたすた歩くのは真祖、メグ・ブラド・クインシーである。
「母上様。お帰りなさいませ」
廊下の壁際に立ち声をかけてきたのは、息子の一人であるシーラ。
「ええ、ただいま。悪いけど、もとの場所へ戻しておいてくれるかしら。スピアンヌ、ご苦労様」
『いえ。またいつでもお使いください』
魔槍スピアンヌ。もちろん命名はメグだ。アンジェリカのネーミングセンスのなさは、間違いなくメグからの遺伝であった。
シーラは恭しく魔槍を受け取ると、どうしても聞きたかったことを質問した。
「母上様、アンジェは現れましたか……?」
「いいえ。ほんと、あの放蕩娘はどこで何をしているんだか」
はぁ、と小さくため息を吐いたメグは、艶のある美しい黒髪をおもむろにかきあげた。
「そうですか……」
あからさまにがっかりした様子のシーラに、メグは呆れたような表情を浮かべる。
「あなたもそろそろ妹離れしなさいよ」
「べ、別にそういうことでは……! 少し前からまた悪魔族が不穏な動きをしているのです。愛する妹を心配するのは兄として当然でしょう」
「ふふ。まあそういうことにしておきましょう。で、悪魔族が不穏な動きをしているとは?」
「はっきりとしたことは分かっていません。ただ、悪魔族の背後に何やら得体の知れない者がいるようです。捕えて拷問した悪魔によれば、七禍も何者かの指示を受けて行動しているように見えるのだとか」
「……そう。でも、アンジェはバカ娘だけど一族最強の吸血鬼よ。何を企もうがまともな戦闘になるとは思えないんだけど」
切れ長の目でじっと見つめられたシーラは、思わず身じろぎした。
「はい、それは分かっています。ただ、だからこそ何かしら卑怯な手を使ってくるかもしれない。それこそ、間者であることを隠し、あの子と親しくしている者がいないとも限りません」
「アンジェはああ見えて勘も鋭いわ。あの子がそんな真似をされて見抜けないと思う? 私のアンジェはそこまで愚かではないわ」
ふふ、と笑ったメグはシーラを置き去りにしてその場をあとにしてしまった。
「はぁ……母上様が一番アンジェのこと好きじゃないですか……ほんと親バカというか……」
と、すでに相当先を歩いていたメグが立ち止まり、シーラへ振り返った。
「……あなた、今私の悪口言った?」
「い、いえ!」
地獄耳かつ勘が鋭い母娘であった。
――パールがエビルドラゴンと交戦した翌日。パールはソフィアと一緒にデュゼンバーグ王城へと赴いていた。もちろん、エビルドラゴンと戦闘になった経緯やクアラのことを詳しく説明するためだ。
王城の応接室でソファに腰かけているのは、国王陛下と王妃、第一王子のゾア、正室のセリア、側室メアリ、教皇ソフィア、そしてパールである。
「そうですか……クアラが……」
沈痛な表情を浮かべたゾアが、悔しそうに言葉を絞りだす。なお、国王やゾアたちには、たまたまクアラがエビルドラゴンに狙われてしまい、取って代わられたということにしている。実際はクアラの邪な心がエビルドラゴンを呼び寄せてしまったのだが、わざわざ伝えるような話ではないとの判断だ。
「聖女様。こたびの件、まことにありがとうございました。聖女様がいなければ、我が国は滅亡の道をたどっていたやもしれませぬ」
デュゼンバーグ国王が神妙な面持ちでパールに頭を下げると、ゾアやセリアたちも次々と感謝の意を示した。
「いえ……それよりも、お城を壊してしまってごめんなさい」
エビルドラゴンが城内で巨大化し、壁や天井を破壊しながら上空へ舞いあがったため、城の一部は惨憺たる状態になっていた。
「いえいえ! そのようなことお気になさらないでください」
国王や王妃が慌てて胸の前で手を振る。
「それで、ですね。私が倒したエビルドラゴンですが、売ったら結構なお金になると思うんです。あれ売り払って、お城を修繕する資金にしてくれませんか?」
「え……? いや、しかし……あれは聖女様が仕留めたものですし、相当な金額になりますよ?」
「ええと、私お金にはあまり困っていないので。以前スカイドラゴンを倒したときの報奨金もたくさん残っていますし」
その言葉に全員が驚き目を点にした。ランドールにスカイドラゴンが襲来し、何者かによって倒されたことは知っていたものの、まさか目の前にいる小さな聖女が討伐していたとは初耳だった。誰もが驚きを隠せないなか、一人メアリだけがすまし顔のまま頰を紅潮させている。
「そ、そうだったのですね……! あれも聖女様の……何と言うか、凄いですね……」
エビルドラゴンを倒したこともそうだが、幼い聖女がスカイドラゴンまで討伐していたことを知り国王は語彙力を失った。
「はい。なので、私には必要ないので皆さんで活用してください。あ、鱗を一枚だけ貰っていきますが、それ以外はいらないので」
ケンちゃんの修復に鱗が必要だからね! エビルドラゴンが高値で売れたら、きっとお城の修繕も早く済むよねー。
「我が国のことをそこまで考えていただき、感謝してもしきれません。ご厚意をありがたく受け、エビルドラゴンはこちらで活用させていただきます」
再び感謝の意を述べられたパールは、少し照れながらクッキーを口へ放り込んだ。と、斜め前に座っている側室のメアリがちらちらと視線を送っていることに気づく。
ん……? この人、前も私のことちらちら見ていたよね? 何なんだろう? もしかして幼女が好きな危ない人なのかなぁ……?
そんなことを考えながらも、つつがなく国王や王子への説明は終了し、ソフィアとパールは席を立った。
国王をはじめとした王族や国の重鎮が見守るなか、馬車へ乗りこむパールとソフィア。馬車が走り去ったあとも、メアリだけがその場を動こうとしなかった。
「ねえ、メアリ。本当によかったの?」
馬車が走り去った方向を見続けるメアリに、セリアがそっと話しかける。
「……はい」
「本当に、あなたも難儀な性格しているわよね……」
苦笑いを浮かべながら、やれやれといった仕草を見せたセリア。「さあ、そろそろ戻りましょ」とメアリを促し、二人で城のなかへと戻るのであった。
自室に戻り部屋の扉を閉めたメアリは、はぁ~、と深くため息を吐きその場へ崩れ落ちた。どうして私はこうもヘタレなのか。セリア様にはああ言ったものの、私だって本当は……!
メアリは大きなドレッサーの前に座ると、一番上の引き出しからノートを取りだし、ペラペラとめくり始めた。そこに描かれていたのは、紛れもなく聖女パールの姿。立ち姿だけでなく、正面から見た顔や横顔、後ろ姿まで見事なタッチで描かれている。
「はぁ……聖女様……」
そう、メアリは聖女パールの大ファンであった。ランドールに聖女が現れたという話は、市井のあいだでまことしやかに噂されていた。幼いころから数々の文献で聖女なる存在に強い憧れを抱いていたメアリは、独自に情報収集を続けていたのである。
聖女らしき少女は真祖の娘である、聖女がリンドルに侵攻した悪魔を倒した、魔法競技会で素晴らしい活躍を見せたのは聖女である、といった数々の噂を耳にし、さらに憧れを強くした。
セリアの寝室で初めて会ったときや庭園のお茶会では、憧れが強すぎて緊張のあまり挙動不審な行動をとってしまったのである。
王城で初めて顔を合わせたあと、感激したメアリは記憶が薄れないうちにと急いでパールの絵を描きあげた。なお、パールとクアラ(エビルドラゴン)が茶会をしていたとき、部屋の外からこっそりと会話の内容を聞こうとしてバレかけ、慌てて退散したのも彼女である。
ちなみに、このことを知っているのはセリアだけだ。庭園で茶会が開かれたとき、様子がおかしかったメアリをあとからセリアが問い詰めたのだ。
メアリはノートを閉じると、大事そうに胸に抱えた。目を閉じてパールの可憐な姿を思い出す。今回はお話しできなかったけど、ソフィア様とつながっているのならきっとまた機会はあるはず。
できれば二人でお茶会したり、あんなことやこんなこともしたい……。だらしなく口元を緩めたメアリが妄想を始める。ちょうど同じころ、パールはとんでもない悪寒を感じ全身をぶるりと震わせるのであった。