第百四十九話 尻拭い
リンドル冒険者ギルドをあとにしたアンジェリカは、念のため屋敷へ戻り、パールが帰宅していないことを確認したうえでアリアのもとへ戻った。
「あら? お嬢様、パールは?」
「それが、あの子ギルドにいなかったのよね。ジェリーが言うには、用事ができてどこかへ出かけたということだけど……」
「用事ですか。まさか、こんなときにデートとかですかね?」
軽口を叩くアリアに、アンジェリカがじろりと視線を向ける。すかさず顔をそむけるアリア。
「はぁ……そんなわけないでしょ。まあ、アルディアスもついているし問題ないわ。それより問題はこっちよ」
忌々しげな表情を浮かべたアンジェリカが、足元のエビルドラゴンを力いっぱい何度も踏みつける。
「……ん?」
「どうしました?」
眉を顰めたアンジェリカが、もう一度足元を踏みつけた。刹那、ハッとした表情を浮かべアイテムボックスから剣を取りだす。
そして、両手で逆手に剣を構え、魔力を込め全力でエビルドラゴンの背中へと突き刺した。次に使うことを考えず全力で刺したため、今度は鱗と表皮を貫けた、が。
「こ……これは……!」
鱗と表皮は貫けたが、本体へ届いた気配はない。いったん剣を抜き、傷をつけた部分を全力で踏み抜いた。ぼこっ、と鈍い音とともに背中の一部分が崩れる。
「何てことなの……」
鱗と表皮の下は空洞になっていた。つまり──
「抜け殻……」
愕然とした表情を浮かべるアンジェリカ。なるほど、索敵で検知したのは抜け殻に残っていた魔力の残滓か。だが、余計に謎が深まった。これが抜け殻ということは、本体はいったいどこに――
一方、デュゼンバーグ王城の上空ではパールがエビルドラゴンと交戦中であった。
「『展開』!」
『む!?』
「『魔導砲』!」
複数の魔法陣から放たれた閃光がエビルドラゴンに襲いかかる。
『パール! 奴に魔法は通用しねぇぞ!』
「分かってる!」
これはただの目くらまし。接近するための煙幕みたいなものだ。
瞬時に魔力で身体を強化したパールがエビルドラゴンとの距離を詰め、その腹めがけてケンで斬りつけた。ザシュッ、と小気味よい音が響き、エビルドラゴンの腹が袈裟に裂ける。
『ひゃっはー! 見事だぜパール!』
接近したままは危険と判断したパールが再び距離をとる。一方、エビルドラゴンは自身の体へ傷をつけられたことに驚愕していた。
『……魔剣か。だが、ただの魔剣で金剛石よりも硬い我の体を斬り裂くことなどできぬはず……』
パールが携える黒い魔剣にエビルドラゴンの視線が集まる。
『む……まさかその魔剣、素材は我の鱗か……』
たしか千年ほど前に一枚、それよりさらに昔一枚の鱗を奪われたことを思い出す。
『……だが解せん。なぜ我の鱗で作った魔剣をそなたのような小娘が手にしている……』
「さあ、どうしてでしょーねー! 『魔散弾』!」
素早く展開させた五つの魔法陣から一斉射撃を喰らわせる。直接的なダメージを与えられずとも、目くらまし程度には十分だ。
『ふん、こざかしい!』
巨体に似合わぬ俊敏な動きでバレットをかわしたエビルドラゴンは、パールの背後に魔法陣を展開させた。
『報いを受けよ』
魔法陣から高出力の炎系魔法が打ち出され、パールの小さな体を焼き尽くさんと迫る。
「……! 『魔導装甲』!」
背後から迫る魔法に気づいたパールが魔導装甲で攻撃を防ぐ。
「危なかったぁ~……」
んー-……強い。魔法がまったく効かないうえに強力な魔法まで使ってくるなんて。でも、何とかして懐へさえ飛び込めれば……!
そう考えていた刹那、エビルドラゴンが大きく口を開けブレスの準備に入った。エビルドラゴンに限らずドラゴンのブレスは強力だ。それはスカイドラゴンと戦ったことがあるパール自身がよく理解している。
ブレスが来る。でも、一直線に飛んでくるだけならかわすのは簡単だ。しかもここは空の上だし。かわした瞬間に近づいて斬りつける!
そう考え態勢を整えたパールの視界に、エビルドラゴンが目を細める様子が映りこんだ。笑ってる……? どうして……?
次の瞬間、エビルドラゴンはパールへ向けていた口を王都の街中へと向けた。愕然とするパール。
「街を狙う気!?」
全力でブレスの軌道上へと飛翔して割り込み、魔導装甲を三枚展開させた。巨大な口から発射されたブレスが眼前に迫る。
「くっ……!!」
魔法盾よりも強力な魔導装甲が一気に二枚も消失した。これはマズイやつ、と冷や汗をかいた刹那、どこからともなく現れた白い塊がエビルドラゴンに体当たりしブレスが止んだ。
「アルディアスちゃん!」
『くっくっ。遅れてすまぬのうパール』
「ありがとう! ソフィアさんは!?」
『心配するでない。安全な場所へ避難させたわ』
パールはアルディアスのもとへ近寄ると、そのモフモフした背中へとまたがった。思わぬ伏兵の参戦にエビルドラゴンの顔から醜悪な笑みが消える。
『ほう……神獣フェンリルとは珍しい』
態勢を立て直したエビルドラゴンが、アルディアスを見据える。
『なぜ人間の小娘なんぞに使役されているのかは知らぬが、我の前に立ちはだかるのであれば容赦はせぬ。その娘ともども報いを受けよ』
『くっくっ。邪竜ごときが神獣たる妾に向かって報いを受けよとな? 笑えるのう』
『好きに笑うがよい。さっさと貴様の喉笛を噛みちぎり、次にその小娘を引き裂いて腹に入れてくれる』
アルディアスの背中でぶるりと体を震わせるパール。自分にとって最大の武器である魔法の通じない相手が、これほど恐ろしく感じるとは思っていなかった。
『くっくっ。パールを喰らうとな? 舐めたことをほざくとぶち殺してくれるぞ邪竜よ。パールは妾を救ってくれた大切な主人。パールを殺すというのなら、その前に妾が貴様を冥府へ送ってくれようぞ!』
アルディアスが天に向け遠吠えを発した刹那、いくつもの雷がエビルドラゴンへ降り注いだ。一瞬たじろいだ隙を逃さずアルディアスが俊敏な身のこなしで接近し、大木のような太い腕へ鋭い牙を突き立てる。
『ぐ……! おのれ!』
さらに、アルディアスの背から飛び出したパールが、エビルドラゴンの首元を狙ってケンを振り下ろした。
「ああ! 浅かった!」
手ごたえがあまりなかった。今度こそ――
と思った矢先、エビルドラゴンが振り回した腕がパールの小さな体へ直撃する。
「きゃっ!!」
『パール!』
アルディアスとケンの声が重なる。
「だ、大丈夫。咄嗟に魔導装甲を張ったから……」
安堵するアルディアスとケン。対照的にエビルドラゴンは忌々しげに目を細めた。
『めんどくさい奴らだ。こうなったら……』
エビルドラゴンが大きく口を開き、再度ブレスを放つ準備に入った。しかも、今度は最初から街を狙っている。
『パールよ。ブレスは妾が喰いとめようぞ。その隙にお主はあやつを討つのじゃ』
「……分かった!」
と、そんな二人のやり取りを嘲笑うかのように、エビルドラゴンは口から二股に分かれたブレスを放った。それぞれのブレスが異なる方向へ突き進む。
アルディアスとパールは、反射的に別々の方向へ飛び出すとブレスの軌道へ割り込み、防御壁を展開させた。二股に分かれている分、一方にかかる威力は多少落ちている。だが、街中へ直撃すればどれほど甚大な被害が出るか分かったものではない。しかも、王都には避難していない住人も大勢いるのだ。
「ぐぐ……これじゃ防戦一方だよ……!」
『むう……!』
と、そのとき――
『パール! 俺を放せ!』
「え?」
『早く! 放すんだ!』
「う、うん」
手から離れたケンが、ぎょろりと大きな目をパールへ向ける。
『パール……お前は優しくて強くて本当にイイ女だ。絶対に母親みたいになるんじゃねぇぞ』
「え……ケンちゃん、何を……?」
言い終わるや否や、ケンは自身の切っ先をエビルドラゴンへと向けた。
『……あばよ。パール』
「ケンちゃん!? 待って、ケンちゃん!!」
不穏な空気を感じとったパールがケンを再び手に収めようとするが、ブレスを防御するのに手いっぱいで何ともならない。
別れともとれる言葉を吐いたケンは、切っ先をエビルドラゴンへ向けたまま凄まじい勢いで加速し始めた。風を巻いてぐんぐんとエビルドラゴンのもとへ迫る。
『く……魔剣か!』
自身に迫るケンの存在を視界の端に捉えたエビルドラゴン。自らの鱗を素材に生み出された魔剣が、どれほど厄介な存在かは十分理解している。
『一緒に逝こうぜええええええ!!』
『お、おのれええええええ!』
最大まで魔力を高めたケンが風を巻いたままエビルドラゴンの胸を貫いた。途端に起きる大爆発。
「ケンちゃー---ん!!」
涙でぼやける視界の端に、ケンがバラバラに砕けて地上へ落ちていくのが映った。と、同時にエビルドラゴンからのブレスも止んだ。
「どうして……ケンちゃん……」
瞳から零れる大粒の涙。自分の無力さに涙が止まらない。ごめん……ごめんね、ケンちゃん。私がもっと強ければ……!
『む! パール!』
アルディアスの声にハッとしたパールは、未だ煙に包まれるエビルドラゴンへ目を向けた。ケンはたしかにエビルドラゴンの胸を貫いた。心臓を貫いたはず。だった。
『……く……くく……危ないところであったわ……もうわずかに右へそれていたら、いかに我でも耐えられなかったであろうな』
煙のなかから現れたエビルドラゴンの胸には、大きな風穴があいていた。だが、心臓を貫くことはできなかったようだ。
「そ、そんな……」
途端に全身を襲う無力感と脱力感。ケンが文字通り命をかけて一撃を与えてくれたのに、それでもエビルドラゴンを倒すことはできなかった。
パールは腕で涙を拭うと、アルディアスに目を向ける。直接的なダメージを受けているわけではないが、慣れない空中戦とブレスへの対処でかなり体力が削られているように見えた。
大丈夫。まだ私はやれる。ケンちゃんに教わった身体強化がある。絶対に私が倒すんだ! アルディアスちゃんも街のみんなも守って、ケンちゃんの仇も討つんだ!
パールは全魔力を解放し身体を強化した。その様子に驚愕するアルディアス。
『や、やめよパール! それほどの魔力を纏えば必ず代償を伴う! 危険すぎる!』
やるんだ。絶対にやるんだ。負けない。私は絶対に負けない。だって私はママの娘だもん。
『くく……おもしろい。受けて立つからやってみよ小娘よ』
言われなくてもやってやる。こいつを倒して絶対にママのもとへ帰るんだ。
『いかん、やめよパール! 取り返しがつかなくなるぞよ! く……動け妾の体よ!!』
しばらく戦いから離れていたうえに、慣れない空中戦とブレスへの対処でアルディアスの体力は相当削られていた。羽根のように軽かった体が、今は自分のものではないように重い。
「やるんだ……絶対に!」
パールが覚悟を決めてエビルドラゴンの懐へ飛び込もうとしたまさにそのとき――
エビルドラゴンよりも遥か上空で何かがキラリと光った。と、次の瞬間。上空から尋常ではない速度で飛来した何かが、エビルドラゴンの背後から硬質な体を勢いよく貫いた。飛散する鱗と血しぶき。
『ぐぎゃあああああああああ!!』
今度こそ心臓を貫かれたエビルドラゴンは、断末魔の叫び声をあげ全身を小刻みに痙攣させ始めた。
「い、いったい何……?」
突然のことに呆然とするパール。エビルドラゴンを貫いたのは、黒い棒のような何か。
「……槍?」
そう、それは黒い槍だった。黒い槍は標的が確実な死を迎えたか確認するかのように、エビルドラゴンの様子を窺っていたが、結果に満足したのか再び上空へと飛び去った。
『パール! エビルドラゴンが落ちるぞ!』
「あ、いけない!」
我を取り戻したパールは、絶命し地上へゆっくりと落ちていくエビルドラゴンを何とかすべく動き始める。
「アルディアスちゃん! まだ少しは動ける!?」
『ああ。こやつは妾の背にのせてゆっくりと地上に降ろそう』
パールとアルディアスは協力しつつ、何とかエビルドラゴンを地上へと降ろしていった。
パールたちが戦闘を繰り広げていたところからさらに上空。黒いタイトなロングドレスを纏った美女が、髪を風に靡かせながら鋭い目で眼下を見下ろしていた。
アンジェリカの母であり真祖、メグ・ブラド・クインシーである。メグは標的を仕留めて戻ってきた槍を手に収める。黒い穂先にはぎょろぎょろと動く大きな目がついていた。
『問題なく仕留めました』
「……ご苦労様」
槍の正体は、メグが昔作った魔槍である。遥か昔、奪ったエビルドラゴンの鱗から創り出し、真祖一族の家宝として管理してきた槍。
「……この年になって娘の尻拭いをすることになるとは思わなかったわ」
少し前から、エビルドラゴンの復活を示唆するかのように魔槍が共鳴していた。今日になって突如エビルドラゴンのただならぬ気配を魔槍が検知したため、メグ自ら出向いてきたのである。
いたずらでエビルドラゴンを攻撃し、眠りの周期を狂わせたバカ娘。あの放蕩娘はいったいどこで何をしているのだろう。
「街にも大きな被害は出ていないようね」
『はい。あの者たちが奮闘したようです』
メグは、フェンリルとともにエビルドラゴンの亡骸を、地上へ降ろしている金髪の少女へ目を向ける。どうやったのかは分からないけど、エビルドラゴンにダメージを与えるとは大したものね。それに、あの魔力量と制御する能力は目を見張るものがある。きっと素晴らしい師匠がついているのだろう。
無鉄砲なことをしようとしていた金髪の少女に、メグは愛娘であるアンジェリカの姿を重ね小さく息を吐く。
「……あんな無茶をする娘をもった母親はきっと苦労しているでしょうね」
ふっ、と微かな笑みを漏らしたメグは、パールを一瞥するとどこかへ飛び去った。