第百四十八話 正体
アンジェリカとアリアは、穴の奥底で体を丸めているエビルドラゴンのもとへ降り立った。が、相変わらず何の反応もない。
「……何? 本当に寝ちゃってるわけ?」
「微動だにしませんね」
眉を顰めるアンジェリカ。寝てる……というよりは仮死状態に近いのかも。熟睡しているにしてもここまで微動だにしないのはおかしい。
「……まあいいわ」
名工と呼ばれたドワーフの孫、ランに打ってもらった剣を逆手に持ち直したアンジェリカは、足元で眠るエビルドラゴンの背中へ力いっぱい突き刺した。
「相変わらず硬いわね……」
「でも、これ鱗は貫通してるんじゃないですか……?」
たしかにそれなりの手ごたえはあった。が、表皮を貫き本体へダメージを与えるほどではない。剣を引き抜き、今度は思いきり背中へ斬りつける。一帯へ響き渡る鈍い音。
鱗の表面に大きな傷跡を作ることには成功したが、やはり内部までは届かないようだ。刃を見やると、たった一度の斬撃しか繰り出していないにもかかわらず、すでにいくつかの刃こぼれが生じていた。
「……やはり魔剣じゃないと難しいか」
さあどうする? ここでこの剣を魔剣化する? いや、それはまた面倒なことになりそうだ。パールを連れて出直す?
剣を携えたまま唸り始めるアンジェリカ。一方、アリアは調べものをするかのようにエビルドラゴンの背中を歩きまわっている。
このまま背中を突っつき続ければいずれ起きるかもしれない。だが、そのときこの剣が使いものにならなくなっている可能性がある。そうなれば本末転倒だ。
悔しいけどここはいったん撤退してパールを連れてこよう。たしか今日はリンドルの冒険者ギルドへ行くと言っていたはずだ。
「アリア。少しここで待っていてくれる? やっぱりパールを連れてくるわ」
「かしこまりました」
よろしくね、と一言残しアンジェリカはリンドル冒険者ギルドへと転移した。ギルドの入り口前へ転移したアンジェリカは、アルディアスがいないことに気づく。
あら? あの子アルディアスと一緒に出かけたはずよね? アルディアスはどこにいるのかしら? 疑問を抱きつつギルドの扉を開く。
「あ! アンジェリカ様こんにちは!」
「アンジェリカさんちわっす!」
「アンジェリカ姐さんお疲れ様っす!」
次々と立ち上がり挨拶し始める冒険者たちを手で制しつつ、アンジェリカはカウンターへと向かった。受付嬢と会話していたのであろう、教え子のジェリーとオーラがこちらを向いてぺこりと頭を下げた。
「アンジェリカ様、こんにちは!」
カウンターへやってきたアンジェリカに、ジェリーとオーラが元気よく挨拶する。
「ええ、こんにちは。あら、あなたたちパールと一緒じゃないの?」
きょろきょろと周りへ視線を巡らせ始めるアンジェリカ。一方、ジェリーとオーラは「どうしよう」といった表情で顔を見合わせている。
「ん? どうしたの?」
「それが……パールちゃん何か用事ができたらしくて、さっきどこかへ行っちゃったんですよ」
「へ?」
思わず間抜けな声が出てしまった。
「どこへ行くかは聞いてない?」
「はい。でも、凄く急いでいるみたいでした」
アンジェリカは顎に手をやり思案する。用事? いったい何だろう。屋敷に戻った……わけじゃないよね。それならこの子たちに屋敷へ帰るって言うはずだし……。
「そう……もし戻ってきたら、私が来たことを伝えてくれる? それと、また来るからここを動かないようにって」
「分かりました!」
元気に返事した二人に、アンジェリカは優しく微笑んでから姿を消した。
――デュゼンバーグ王城。第一王子ゾアの側室、クアラは廊下の窓から空をそっと見やった。分厚い雲が太陽を覆い隠してしまったため、王城の庭園にも影が落ちている。と、そこへ――
「クアラさん」
声をかけられ視線を向けた先には、エルミア教の教皇ソフィアと聖女パールが立っていた。
「あら。猊下に聖女様。今日はどうなされたんですか?」
柔和な笑顔を浮かべたクアラが、二人のもとへ歩みを寄せようとする。が、パールは片手を前に突き出しそれを制止した。
「クアラさん。今日はあなたに聞きたいことがあって来ました」
「私に……ですか? 何でしょう?」
パールは真剣な眼差しでクアラを見据える。一方、クアラは笑顔を絶やさない。パールの背後に立つソフィアはというと、哀しそうな、それでいてどこか悔しそうな表情を浮かべていた。
「先日、あなたの部屋でお茶会をしたときのことを覚えていますか?」
「ええ、もちろんですとも」
「そのときの会話内容も?」
「……ええと。ほとんどは覚えていると思いますが?」
「そうですか……クアラさん。あなた、どうしてエビルドラゴンの名前を知っていたんですか?」
パールの言葉にクアラが真顔になる。
「……どういうことですか?」
「あのとき、私もソフィアさんも、エビルドラゴンという名前は一度も出していないんです。邪悪なドラゴン、邪竜としか言っていないんですよ」
「…………」
「私が『何の話でしたっけ』と聞いたとき、あなたは『エビルドラゴンの話ですわ』とはっきり口にしましたよね?」
人間の世界におけるエビルドラゴンの知名度は高くない。何せ直近で現れたのは千年以上前なのだ。
怖くなるほどの静けさがあたりを包み込む。クアラは真顔のまま微動だにしない。
「それとね、少し前に本を読んだんです。エビルドラゴンの伝承が載っている本。そこにはこう書かれていました。『国も人々も満身創痍になったとき、とどめをさすかのように群衆のなかからエビルドラゴンが突然現れ国を焼き尽くした』と」
「…………」
「不思議ですよね。ドラゴンが空から降ってきたでも地中から出てきたでもなく、群衆のなかから現れたって。これって、エビルドラゴンが人間に化けていたってことじゃないかと思うんです」
「クアラ殿……」
悲痛な表情を浮かべたソフィアの口から、絞り出すようにクアラの名前がこぼれる。
「正直、私もここに来るまでは半信半疑でした。でも、今ははっきりと分かります。あなたがエビルドラゴンだと」
そう、クアラの小さな体からは先ほどから魔力と禍々しい邪気が立ち昇っていた。さらに、パールの背中で魔剣のケンがずっと共鳴している。
「ふふ……ふふふ……まさかこんな小娘にバレるとはな。寝起きから時が経っていないとはいえ衰えたものだ」
今まで聞いたことがない、ゾッとするような声を発したクアラは、冷たい目をパールとソフィアへ向けた。
「ほ、本物のクアラ殿はどうしたんだ? まさか……」
恐怖で押しつぶされそうな状況であるにもかかわらず、ソフィアが気丈に疑問を投げかける。
「そんなもの、とうに食ってしまったわ。そもそも、我を引き寄せたのはこいつだしな」
「……! ど、どういうことだ……?」
「この女の心は邪な思いで溢れていた。なぜ自分が正室ではないのだ、なぜ同じ側室なのにメアリのほうが寵愛を受けているのだ、憎い、憎い、憎い。殺してしまいたい、殺したい。毎日そんなことばかり考えていたのさ」
思いがけぬことを言われ、ソフィアは顔面蒼白になる。まさか、あの温和でおとなしそうなクアラがそのようなことを思っていたなど。
「いったい……いつから……?」
「三ヶ月ほど前だったか。そろそろ目覚めの時期だったとはいえ、あまりにも邪な念に惹かれてしまったわ。くく」
ソフィアの顔が怒りと屈辱の色に染まる。邪悪な存在に取って代わられていることに気づけず、呑気に茶会などしていたことを思いだし歯噛みした。
「……王族や将校たちが謎の死を遂げていたのもお前が……?」
「ああ。少しずつ国力を削り疲弊させ、国民の飢えや不満、怒り、絶望が頂点に達した時期を見計らって国を滅ぼしてやるつもりだった」
「なぜそのような手間のかかることを?」
今度はパールが質問する。
「なぜ……? 楽しいからさ。人間どもが飢える姿、怒りに震える姿を見るのは何とも楽しい。我に食われそうになる瞬間の恐怖を滲ませた顔も、信頼していた者に裏切られ絶望する様子を見るのも、最高に気持ちがいいものさぁ」
クアラの顔が醜く歪む。すでに、そこにいるのはソフィアが知るクアラではなかった。
「……ソフィアさん。今すぐここから離れて。アルディアスちゃんと避難を」
「せ、聖女様……」
「早く!」
パールに促されたソフィアは、踵を返すと一目散に走り出した。
「くっくっくっ。我の正体を見抜いたことは褒めてやろう、小娘よ。だが、聖女とはいえたかが人間。本気で我と戦うつもりか?」
「ええ。そのつもりです」
パールの頬を冷たい汗が伝う。クアラの姿をしたエビルドラゴンからまき散らされる禍々しい邪気と魔力は、一般の人間ならそれだけで命に関わるだろう。
「くく……何と愚かな。まあよい。我の遊びを邪魔した報いを受けさせてやろう」
クアラの頭にピシッと亀裂が入る。亀裂がどんどん体全体へと広がり始めたかと思うと、突然光に包まれた。
『邪魔が入らぬところで思う存分相手をしてやろう、小娘よ』
本来の巨体を取り戻したことで、周辺の壁が崩壊した。目の前に現れたのは、硬質な鱗に覆われた邪竜。禍々しい魔力を撒き散らしながら、悪意に満ちた目でパールを見据えている。
エビルドラゴンは翼をのそりと動かしたかと思うと、そのまま天井を突き破り上空へと舞いあがる。空から降り注ぐがれきをうまくかわしつつ、パールも飛翔魔法であとを追った。
『パール! 気をつけろ! ありゃとんでもないバケモンだぞ!』
「分かってる!」
魔力も邪気もとんでもないな。でも、あんなの野放しにできないよ! ママはいないけど私が何とかするしかない!
背中からケンを抜き放ったパールは、王城の上空でエビルドラゴンと対峙した。