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第百四十六話 哀しむ顔は見たくない

午前の授業を終えたパールは一度屋敷へ戻り、荷物を置いてからソフィアのもとへ向かうことにした。最近ではすっかり飛翔魔法も上達し、あまり速度は出せないものの、リンドルの市街地から魔の森への入り口までを十分程度で行き来できるまでになっている。


「おまたせ!」


地上へ降り立ったパールが小走りで森の入り口へ駆けてゆくと、木々の陰からのそりと大きな獣が姿を現した。見事な白銀の毛を纏う神獣、アルディアスである。


『クックッ。待ってなどおらぬよ』


「お迎えありがとうね、アルディアスちゃん」


地面へ伏せたアルディアスの背中へ、慣れた様子でのぼるパール。


『妾は学園まで迎えに行ってもよいのだがのう。そのほうがパールも楽じゃないかえ?』


「まあねぇ……でも、街の人たちが驚いちゃうかもしれないからなぁ」


『今くらいの大きさなら問題ないじゃろうて』


今のアルディアスは大型犬、よりもう少し大きいくらいの体格に変化している。たしかにこれなら街の人たちも驚かないかもしれない。というより、以前悪魔族がリンドルの街を襲ったときアルディアスの姿を目にした市民も大勢いるのだ。しかもあのときは本来の大きさだった。


「そうだね。今度からそうしようかな。ママと先生に一応話はしないといけないだろうけど」


そんなことを話しているあいだもアルディアスは風を巻いて森を疾走し、あっという間に屋敷へ到着した。



――デュゼンバーグのエルミア教教会本部では、ソフィアが王城へ訪れる準備をしていた。と、そこへ――


「ソフィア、いる?」


ノックもなしにいきなり扉が開かれ、思わず叫びそうになるソフィア。


「きゃ……ってアンジェリカ様!? もう~……驚かさないでほしいのです!」


「だっていつも背後に現れたら怒るじゃない」


「それはそうですが……ところで、何かありました?」


「ええ。やっとエビルドラゴンを見つけたわ」


「本当ですか!?」


アンジェリカの向かいに座ったソフィアの目が大きく見開かれる。


「ええ。避難を急いだほうがいいかもしれないわね。一応監視はしているけど、何があるか分からないわ」


「そうですね。ただ……デュゼンバーグはおそらくすぐにでも行動に移せると思うのですが……」


顔を曇らせるソフィアに、アンジェリカが訝しげな視線を向ける。


「何かあったの?」


「昨日のうちに帝国へ使者を送ったのですが、いまひとつ信じてもらえないというか……」


思わずアンジェリカは眉を顰める。だが、たしかにいきなり何の根拠もなく「危ないから避難したほうがいい」と言われても素直に言うことは聞けまい。


「はぁ……分かった。そっちは私が何とかするわ」


「何とかって……ア、アンジェリカ様!?」


ソフィアの問いに答えることなく、ソファから立ち上がったアンジェリカはその場から姿を消した。



――三十分後。デュゼンバーグ国王へ説明するため、ソフィアはパールを伴い王城へと赴いたが、思わぬ足止めを喰らってしまった。


「大変申し訳ございません猊下。つい先ほど他国から使者が訪れまして……」


顔色の悪い大臣が、滲み出る汗を拭きながら説明する。


「む……謁見中か。ならしばらく待たせてもらうとしよう」


大臣に案内されて応接室へと向かっていると――


「教皇猊下! 聖女様!」


背後から声をかけてきたのは、第一王子ゾアの側室であるクアラ。柔和な笑みを携えたまま、スカートの端を摘まんで小走りに駆けてくる。


「ああ、クアラ殿か」


「猊下、聖女様、こんにちは。今日はいったいどうなされたのですか?」


ソフィアが簡単にいきさつを説明すると、クアラはパッと顔を明るくして胸の前でパンッと手を打った。


「それなら、私の部屋でお茶を飲みながら待っていませんか!?」


「む……陛下はまだ時間がかかるだろうから……そうさせてもらおうかな」


思いがけぬ誘いを受けたソフィアだが、そっとパールに視線を向けるとニコニコしながら頷いていたので申し出をありがたく受けることにした。



「こんなに早く猊下と聖女様とのお茶会が実現するなんて」


クアラの自室でソファに腰かけたパールとソフィアの前に、侍女が丁寧な手つきでティーカップを置く。


「ふふ……何ともいい香りだな。これは、ハーブティーかな?」


カモミールの優しい香りに包まれ、どこかリラックスした様子のソフィア。パールも満足げだ。


「ええ、そうなんです。あ、聖女様。お菓子もあるのでどうぞ」


「ありがとうございます!」


待ってましたと言わんばかりにクッキーを頬張るパールに、ソフィアとクアラが生あたたかい視線を送る。


「ところで、先ほどの話は本当なのでしょうか……?」


不安そうに話を切り出すクアラ。


「む。邪悪なドラゴンの話か? それなら真実だ。ですよね、聖女様?」


「むぐ……! はい。邪悪なドラゴンが復活する兆しがありますです」


突然話を振られて焦り、思わず言葉遣いがソフィアのようになってしまった。


「そうなのですね……まさかそのようなドラゴンがいたなんて……では、やはりこの国に起きている出来事も……?」


「ああ。そのドラゴンが何かしら関わっていると我々は睨んでいる」


ハーブティーの心地よい香りにうっとりしていたソフィアだが、帝国のことを思い出し表情を曇らせる。国が異なるとはいえ、災厄に巻き込まれて無辜の民が危険に晒されるのは何としてでも避けたい。


問題があった先代皇帝と違い、当代の皇帝は聡明な人物だ。ただ、玉座に就いて間がなくまだ家臣団をまとめきれていないのだろう。そう言えば、アンジェリカ様は何とかすると言っていたが、いったいどうするつもりなのだろうか。


カップを口へ運びながら、隣に座るパールをちらりと見やる。緊張などまったくしていない様子で、クアラとエビルドラゴンについて話している様子に、「大物だ」と心から感心する。


と、そのとき。パールの顔から笑顔が消えたかと思うと、扉のほうへサッと目を向けた。


「ど、どうしましたか聖女様?」


ソファから立ち上がり、すたすたと入り口へと向かったパールは勢いよく扉を開き、首を巡らせて廊下の左右を確認する。


「何事ですか、聖女様!?」


驚いた様子のクアラとソフィア。二人ともソファから腰を浮かせている。


「いえ……さっき誰かがいたような気がして……」


んー? 勘違いかなぁ……? 絶対に誰かいるような気がしたんだけど。このあいだケンちゃんも何かに反応していたし……。何なんだろう?


ちなみに、今回魔剣のケンは屋敷でお留守番である。さすがに国王陛下の前へ出るのに帯剣はまずいと考えてのことだ。


「……まあいいか」


再びソファへ腰かけるパール。


「ええと……何の話してましたっけ?」


「エビルドラゴンについてですわ」


クアラが苦笑いを浮かべながら、新たなクッキーの器をパールのもとへ差し出す。


と、お茶会が再開したタイミングで扉がノックされ、侍女から国王の準備ができたことを知らされた。



――セイビアン帝国の城では、昨日デュゼンバーグと教会から知らされた内容について協議が行われていた。当代の皇帝オズボーンをはじめ、国の重鎮たちが集まり激しく議論をかわしている。


「とにかく、このような不確かな情報で国民を避難させることはできません。一時的とはいえ、社会活動の停止は経済に与える影響が大きすぎる」


「だが、もしその情報が真実であれば、帝国の民を危険にさらすことになりますぞ!」


「だから、それはその情報が真実であれば、であろう!」


昨夜からずっとこの調子で話がまったくまとまらない。思わずため息を吐くオズボーン。と、いきなり会議場の扉が乱暴に開け放たれ、その場にいた全員がそちらへ視線を集中させた。


視線の先にいたのは、ゴシックドレスを纏った紅い瞳の少女。


「だ、誰だ! ここをいったいどこだと――」


「黙りなさい」


アンジェリカが底冷えするような声を発すると、まるで時間が止まったように空間が静寂に支配された。


「私はアンジェリカ・ブラド・クインシー。真祖よ」


アンジェリカの全身からどす黒い魔力が立ち昇り、皇帝をはじめ大臣たちも思わず気を失いそうになった。


「ま、まさか……国陥としの吸血姫……? 本当に……?」


一人の大臣が何とか意識を保ちつつ、恐る恐る口を開く。なぜここに真祖が? といった疑問を抱く前に、誰もが明確な生命の危機を感じていた。


「ええ、そうよ。昨日、教会から使者が来たわよね? あなたたちに伝えられた情報は真実よ。邪悪なドラゴンは私が見つけ、今も監視下にある」


アンジェリカが魔力を抑えると、大臣たちは全身から力が抜けたようにその場へへなへなと崩れ落ちる。


「というわけで、しのごの言っている場合じゃないわ。なるべく早く、国民を地下施設なり何なり安全な場所へ避難させなさい。特に、セイリス山脈付近の都市が危険だわ」


戸惑いの表情を浮かべ顔を見合わせている大臣たちに、アンジェリカがじろりと視線を這わせる。


「もう一度言うけど、この話は真実よ。一刻も早く行動を起こさないと後悔するわよ。それじゃあね」


一方的に言い放ったアンジェリカが踵を返そうとしたそのとき。


「ま、待たれよ! 真祖殿。話はよく分かったが、一つ分からぬことがある」


去ろうとしたアンジェリカに声をかけたのは、当代のセイビアン帝国皇帝オズボーン。


「……何かしら?」


「なぜそなたほどの強者が、わざわざそのようなことを知らせに来てくれたのだ? 真祖にとって、人間の国が危険に晒されようが滅びようが関係ないはず」


ゴクリと生唾を飲み込む一同。誰もが同じことを考えていた。アンジェリカはオズボーンへ血のように紅い瞳を向ける。


「……何の罪もない人々が死ねば、私の娘が哀しむわ。私は、愛する娘が哀しむ顔を見たくないだけよ」


その言葉に、皇帝オズボーンは力強く頷いた。見ると、大臣たちも同じように頷いている。


旧ジルジャン王国の王族が真祖の怒りを買い滅ぼされたことは帝国も把握していた。そして、なぜ怒りを買うことになったかも。だからこそ、皇帝と大臣たちはアンジェリカの言葉が信頼に足ると判断した。


「……わざわざご足労いただき感謝する。真祖殿」


深々と頭を下げる皇帝と大臣たちを一瞥し、アンジェリカはその場から姿を消した。

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