第百四十五話 寝室でのひと時
寝巻きに着替えたアンジェリカが寝室の扉を開くと、ベッドでうつ伏せになり本を読むパールの姿が目に入った。両足を交互にパタパタと動かしながら寝転んだまま読書する様子にアンジェリカは苦笑いを浮かべる。
「パール、お行儀が悪いわよ?」
「んー……」
パールはしおりを挟んで閉じた本をベッド脇の小さな台の上に置き、むくりと体を起こした。
「あら? その本……」
「うん、エビルドラゴンの伝承について書かれてたからつい気になっちゃって」
ベッドへ静かに腰かけたアンジェリカがパールの頭を優しく撫でた。気持ちよさそうに目を細めるパール。
「そう。実はねパール、そのエビルドラゴンのことなんだけど……」
アンジェリカは、アリアとリズに協力してもらいエビルドラゴンが潜むおおよその場所を把握したことをパールに話した。
「そうなんだ! ママ凄い!」
娘に凄いと褒められアンジェリカの顔が思わずニヤける。やだかわいい。なるべく表情に出さないよう努めてはいるもののどうしても頬が緩んでしまう。だってかわいいんだもの。
「じゃあ、すぐ退治しに行くの!?」
「うーん、それがまだどこに潜んでいるのかはっきりとは分からないのよ。だから、しばらくは監視しつつ探索って感じかしら?」
「そうなんだ……ねえママ! 私も──」
「だーめ」
私も行くと言いかけたパールの言葉をアンジェリカが素早く遮った。途端に尖らせたパールの唇にそっと人差し指をあてる。
「あなたには学園の授業もあるし友達づきあいもあるでしょ? いつ見つかるか分からないのに連れ回せるわけないじゃない」
「むー……まあそれはそうだけどー。でも、ケンちゃんがないとエビルドラゴンと戦えないんじゃないの?」
「一応、ドラゴンの鱗で新しく剣も作ったし何とかなる……んじゃないかな?」
「そうなの?」
「やってみないと分からないけどね」
そう、こればかりはやってみないと分からない。ドラゴンの鱗を素材にした剣とはいえ、魔剣化していない剣でエビルドラゴンにダメージを与えられるのか。
「あ、そうだ」
アンジェリカは先ほどソフィアにお願いされたことを思い出した。かいつまんでパールに説明すると、案の定二つ返事で了承してくれた。本当に素晴らしい娘である。
「さあ、そろそろ寝ましょ」
「うん。あ、ママ……」
パールは先ほどまで読んでいた本へちらりと視線を向けた。
「ん? どうしたの?」
「……んーん。やっぱ何でもないや」
「……?」
どこか歯切れが悪いパールにアンジェリカは小首を傾げつつベッドへ体を横たえた。ゴロンと寝転がったパールへ寄り添うようにし、片手で毛布を引き寄せる。
「ママ、おやすみなさい」
「ええ。おやすみパール」
ブロンドのやわらかな髪にそっと口づけしたアンジェリカは、優しい笑みを向けると静かに目を閉じた。
──翌日。デュゼンバーグ国王へエビルドラゴンの脅威を説明する手助けをしてほしいとお願いされたパールは、普段通りリンドル学園へ登校していた。
午前中だけ授業を受け、午後からソフィアのもとへ行くつもりだ。午後の授業は魔法であり、パールは出欠の自由が認められている。学園の教師より遥かに高度な魔法を使えるため、授業に出たところで学ぶことはないのだ。
「パールちゃんおはよう!」
背後から駆け寄ってきたジェリーが、元気に挨拶しつつパールの肩をぽんと軽く叩く。
「おはようジェリーちゃん!」
「パールちゃん、今日は魔法の授業出席するの?」
「んー、そのつもりだったんだけど、急に用事が入っちゃったんだよー」
少し残念そうな表情を浮かべるパール。一方のジェリーも「ええー」っといった顔をしている。
「まあ、パールちゃん学園で一番の使い手だしね」
パールが学園一の使い手であることは誰もが認めるところだ。そのため、たまに魔法の授業へ出席すると教師がパールに指導をお願いすることも多々あった。
「あはは。ごめんね」
「んーん、用事なら仕方ないよ。あ、それはそうとパールちゃんって、冒険者始めたばかりのころどんな依頼を受けてたの?」
つい最近、冒険者として登録したばかりのジェリーが興味津々な様子でパールに質問する。
「私? んー……私の場合はいきなりパーティ組んじゃったから、単独で依頼を受けたことはないんだよね」
「へー、そうなんだ。ちなみに初めての依頼って?」
「たしか……ゴブリンの群れを巣ごと駆除する依頼だったかな……? 洞窟からわらわら出てきたけど一人でやっつけちゃったよ」
薬草や素材の採取を想像していたジェリーが、斜め上の回答に固まってしまった。そうだった、パールちゃんは何もかも規格外な女の子だった。
「は、初めての依頼でゴブリンの群れ退治……参考にならない……」
「まあ魔法の実戦訓練も兼ねてたしね」
「そっかぁ……うーん、何か依頼受けてみたいけど最初はどんな依頼がいいのか迷ってるんだよね……」
ふむふむ。まあジェリーちゃんの性格的に早く腕試しをしたいんだろうなー。
「じゃあ、私とジェリーちゃん、オーラちゃんでパーティ組んで何か受けてみる?」
「え!! いいの!?」
「もちろんだよ! ん? パーティって掛け持ちとかいいのかな?」
「あ、そうだね……帰りにギルドへ寄るつもりだから受付のお姉さんに聞いてみるよ」
なお、教室に着いたパールは既に登校していたオーラからジェリーと同じような相談を持ちかけられたのであった。
──昨日に引き続き上空からエビルドラゴンの気配を探るアンジェリカ。連日リズを連れ回すわけにもいかず、今日はアリアと二人で捜索中だ。
「うーん、このあたりでほぼ間違いないはず……」
「お嬢様、地上へ降りてみます?」
「そうね」
二人は上空からある程度の目星をつけると、足場のよさそうな場所へふわりと降り立った。アンジェリカは紅い瞳で周辺に鋭く視線を巡らせる。
刹那、鬱蒼とした茂みのなかから何かが飛び出した。全身を黒い毛で覆われた獣。
「なんだ、ヘルハウンドか……」
一見犬に見える獣はヘルハウンド。凶暴な魔物である。低い声で唸りながら今にも飛びかからんとするヘルハウンドに、アンジェリカはスッと人差し指を向けた。
指先から雷がほとばしり、たちまちヘルハウンドは黒焦げになった。
「さて……と『索敵』」
アンジェリカを中心に足元から魔法陣が広がる。
「……地中も調べてみるかな」
全方位へ広がった魔法陣が今度は地中へと伸びていく。地表と違ってやはり反応は少ない。
んー……まだ浅いのかしら? もっと深く……と。
アンジェリカは索敵の魔法陣をさらに地中深くへと伸ばしていく。と、明らかに虫やモグラとは異なる存在を検知した。禍々しい魔力の気配を掴みアンジェリカの口角が吊り上がる。
「……やっと見つけたわよ」
かつての旧敵を発見できた喜びにアンジェリカの口から思わず笑みがこぼれた。