閑話 閃光のアリア 1
ベルガモットの爽やかな香りが漂うアンジェリカ邸のリビングでは、屋敷の主であるアンジェリカをはじめ娘のパールに弟子のキラ、メイド見習いのルアージュ、居候のウィズが夕食後のティータイムをすごしていた。
「はぁ……でもやっぱり羨ましいなぁ。みんな二つ名があるんだもんな」
ため息交じりに口を開いたのはウィズ。実は、先ほどからアンジェリカ邸に住まう者の二つ名について盛り上がっていた。
「アンジェリカ姐さんは国陥としの吸血姫、キラは疾風、ルアージュ姐さんは吸血鬼ハンター……私も二つ名が欲しい!」
唇を尖らせるウィズを見て全員が苦笑いを浮かべる。彼女にはこのような子どもっぽいところがあるのだ。
「あの~、私のは二つ名ではなく職業名なんですがぁ~……」
そう、吸血鬼ハンターは立派な職業名である。
「ああ、それもそうか。まあルアージュの姐さんは置いといて……お嬢にもドラゴンスレイヤーとかフェンリルテイマーとか、癒し系金髪ふんわり魔法美少女とか――」
「ちょっとウィズちゃん。最後の誰に聞いたの?」
向かいに座るパールからじろりと睨まれたウィズが途端に慌て始める。癒し系金髪ふんわり魔法美少女なる二つ名は、学園対抗魔法競技会において実況をしていた女生徒が口にした呼び方だ。
「い、いや……実は私もこっそり競技会見学していたんで……上空から……」
実は競技会の初日、ウィズはアンジェリカとソフィアの護衛も兼ねて上空に待機していた。実況係が叫んだパールのとんでもない二つ名もしっかりと耳に届いている。
「んもう! その呼び方は恥ずかしいから本当にやめてほしいんだけど」
ぷんぷんと怒り始めるパールを隣でアンジェリカがなだめる。
「あはは……まあお嬢のも置いといて……フェルナンデスさんにも常勝将軍って二つ名があるし、やっぱり私だけ二つ名がないんだよな~」
「いや、アリアにもないわよ」
紅茶のカップをかちゃりとソーサーへ戻したアンジェリカが口を開く。と、リビングの扉が開きフェルナンデスが紅茶のお代わりをもって入ってきた。
「あ、そう言えばアリア姐さんもないのか……仲間発見だ」
ぽんと手を打ってにんまりとするウィズに、フェルナンデスが不思議そうな目を向ける。
「ん? 何のお話ですか?」
「二つ名よ。ウィズがみんなは二つ名があるのに自分にはないって言うから。アリアにもないわよって言っていたところなのよ」
「ふむ……? アリアには二つ名ありますよ?」
顎に手を置き一瞬思案するような表情を浮かべたフェルナンデス。その言葉に誰よりも驚いたのはアンジェリカだ。
「え? ないでしょ? 私知らないわよ?」
アリアはアンジェリカの幼少期からメイドとして長きにわたり仕えてきた側近であり懐刀でもある。二つ名があるのならアンジェリカが知らないはずはない。
「ああ……お嬢様は聞いたことがないかもしれませんね。遥か昔のことですし……」
「遥か昔……? 私に仕える前についた二つ名ということ?」
「ええ。アリアがお嬢様の専属メイドとなる前のことはご存じですか?」
「もちろんよ。もともとアリアはヘルガお兄様の専属メイドだったわ」
そう、あの頃は頻繁に他種族との戦争がありお兄様はよく城をあけていた。ヘルガお兄様の専属メイドだったアリアが私とよく遊んでくれていて、わがままを言う形で無理に私の専属メイドにしてもらったのよね。
「では、アリアがヘルガ様のメイドになる前、何をしていたかご存じでしょうか?」
フェルナンデスからの問いに答えられないアンジェリカ。そう言えば、アリアからそのような話を聞いたことは一度もない。
「アリアはもともと、ヘルガ様の側近として戦場を駆けまわっていたのですよ」
「え!?」
そうだったのか。初めて耳にする真実に驚きを隠せないアンジェリカ。
「は~……アリア姐さん戦働きもしていたのか……そりゃ強くて胆力も半端ないわけだ」
感嘆の声を漏らすウィズが手にしているカップに、フェルナンデスが紅茶のお代わりを注ぐ。
「そ、それでアリア姐さんの二つ名って……?」
「ふふ……あのころのアリアは敵からも味方からも恐れられる存在でした。誰よりも戦場の盤面を読み取り、もっとも手ごわそうな敵を見つけては光の如き速さで接近し笑顔で首を刎ねる」
想像してしまったのか、ウィズだけでなくルアージュやキラも微かに体を震わせた。
「そんな彼女を、敵も味方もこう呼びました。閃光のアリアと」
「閃光のアリア……」
全員がぼそりと復唱する。
と、そこへ――
「お嬢様。食後の焼き菓子はいかがですか……って、どうしたのよみんな?」
焼き菓子を盛った器を片手にリビングへ入ってきたアリアに全員の視線が集まる。
「い、いや、今アリア姐さんの二つ名についてフェルナンデスさんが話してくれていたんですよ」
「私の二つ名……?」
アリアにじろりと視線を向けられ、慌てて退室しようとするフェルナンデス。
「はぁ……フェルナンデスさん。今さらそんな大昔の話なんてしなくても……」
その場で深くため息を吐いたアリアは、器をローテーブルにそっと置いた。
「ははは……すみませんねアリア。皆さんかなり興味がおありのようだったので」
よく見るとアリアの頬と耳が少し紅く染まっている。あまり昔のことは話されたくないのだろうか。
「ねえアリア。私あなたにそのような二つ名があったなんて初めて知ったわ」
「ああ……聞いちゃったんですね。まあ別に何も面白くない話ですしね……」
何となくもじもじしているアリアに、パールやウィズが追い打ちをかける。
「ねえねえお姉ちゃん! そのときの話聞かせてよ!」
「私も聞きたい! 閃光のアリアの話!」
キラキラした目を向けてくるパールとウィズに、アリアは諦めたように天井を仰ぐ。
「はぁ……別にいいけど。本当に何も面白くないわよ?」
パールの隣に腰かけたアリアは、遥か過去の記憶を辿るように当時のことを語り始めた。