第百三十八話 辛辣
赤に黄、緑、白。さまざまな色の丸いお菓子がダイニングテーブルを華やかに彩る。器に盛られた珍しいお菓子にユイたち三人娘は目をキラキラと輝かせた。
「リンドルで流行ってるお菓子よ。遠慮なく食べてね」
普段のユイならひょいっと摘んで口へ放り込むところだが、さすがにアンジェリカの前でそのようなはしたない真似はできないようだ。
「い、いただきます」
行儀よく菓子を一つ指で摘んだ三人娘は、同時に口へ運ぶと小動物のようにかわいらしくむぐむぐと食べ始めた。その様子を微笑ましそうに見つめるアンジェリカ。
と、リズがアンジェリカの前にコトンと紅茶のカップを置いた。ほのかに漂う爽やかな香りが心地いい。
「どうぞ、お姉さま」
「ありがとう」
優雅にカップを口元へ運び一口含む。茶葉のコクと微かな苦味のバランスがとてもいい。
「美味しいわね。もしかしてこの茶葉って……」
「ええ。お姉さまのお屋敷でいただいたのと同じですわ。フェルナンデス様に茶葉の種類をお聞きしたので買ってきましたの」
なるほど。どおりで飲み慣れた味だと思った。まあ、フェルナンデスが淹れる紅茶とは比べものにならないが。
「……お姉さま。もしかしてフェルナンデス様が淹れた紅茶と比べていませんわよね?」
「うっ。どうして分かったの?」
「顔に出ていますわよ」
ジトっとした視線を向けられ肩を竦めるアンジェリカ。
「まったく同じ茶葉を使ったのですが、フェルナンデス様のように美味しくは淹れられませんわ。今度コツを聞かなければなりませんわね」
ふぅ、と小さく息を吐いたリズは器から赤い菓子を取り口に運んだ。表情が綻んだところを見るに満足しているようだ。
「あの、アンジェリカ様! パールちゃんは元気ですか!?」
「ん? ええ、元気よ。最近は庭で剣を振りまわしているわ」
苦笑いを浮かべるアンジェリカに、ユイは両手に菓子を持ったまま首を傾げた。
「剣、ですかお姉さま? パール嬢は剣術にでも目覚めましたの?」
「いえ、そういうのじゃ……ってそうだ。あなたに話があって来たんだった」
パールと剣のくだりで本来の目的を思い出したアンジェリカは、リズへ真剣な目を向けた。
――聖女の力で原因不明の病から生還した聖デュゼンバーグ王国第一王子ゾアの正室セリア。ベッドの上で半身を起こした彼女のそばには、ゾアや医師、側室のメアリ、クアラの姿。
すっかり元気になった様子に皆が胸をなでおろすが、それ以上に彼女の顔色が以前よりよくなり、なおかつ雰囲気まで明るくなったことに誰もが驚きを隠せなかった。
「もしやこれも聖女様のお力なのか……?」
原因不明の病を癒すだけでなく生気までみなぎらせる聖女の力に、ゾアをはじめその場にいる全員が驚嘆する。
「あーあ。せっかく聖女様がいらっしゃってくれたのに眠ってしまうなんて……! ゾア殿下! どうして起こしてくれなかったんですか!?」
元気になった途端に頬を膨らませて怒り始めたセリアに、ゾアはただただ苦笑いを浮かべる。
「い、いや……眠いって言っていたしな……それに聖女様も忙しそうだったから」
「もう。きちんとお礼をしたいので必ず今度お茶会か何かに招いてくださいね?」
「分かった分かった。教皇猊下にもその旨は伝えてある」
「それで、聖女様はどのような方でした?」
興味津々といった様子で矢継ぎ早に質問を繰り出すセリアに、ゾアだけでなくメアリたちも苦笑いを浮かべた。
「そうだな……活発で聡明、それでいて可憐な感じの美少女だった」
「へえ~! それでそれで!?」
「うーん、相当賢いお方と聞いた。猊下のお話によると聖女様はリンドル学園に通われているようだが、編入試験の筆記試験も満点で学園始まって以来の天才児と呼ばれているそうだ」
「すっ……ごい……!」
目を丸くして口をぽかんと開け呆けるセリア。未来の王妃候補とは思えない顔をするセリアにゾアが軽く咳払いをして窘める。
「たしか猊下はそう仰っていたよな? メアリ?」
ゾアは椅子に腰かけたまま背後に立つメアリへ顔を向けた。
「え、ええ……たしかにそう仰っていましたわ……」
いきなり話を振られたからかメアリの目が泳ぐ。先日、聖女様と顔を合わせて以来どことなく様子がおかしいとゾアは感じていた。
「どうかしたのか、メアリ?」
「い、いえ。何でもありませんわ。そう言えば私、用事がありましたのでこれで失礼いたします。セリア様、どうかお大事になさってくださいね」
やや早口で言葉を紡いだメアリは、そそくさと部屋を出て行ってしまった。顔を見合わせて首を傾げる一同。と、そこへ――
メアリと入れ替わるように近衛兵の一人が扉をノックして入ってきた。息を切らす近衛兵の顔色が悪いことから、何やら不吉なものを感じるゾア。
「……何事だ?」
「……お耳を」
近衛兵が耳元に顔を近づけ何やら耳打ちした途端、ゾアの顔色が青く染まる。弾けるように近衛兵の顔を見返すと、情報がたしかであることを示すように屈強な近衛兵はゆっくりと頷いた。
ゾアにもたらされた報告。それは、内務大臣ゲルドの急死を伝えるものだった。
――お代わりした紅茶を満足げに味わうアンジェリカ。ユイたち三人娘はお菓子を平らげたあと、すぐさま庭で魔法の練習を始めた。楽しそうにじゃれ合う声を窓越しに聞きながら、アンジェリカは頬を緩める。
「で、お姉さま。結局エビルドラゴンが復活しているかどうかは分からないのですか?」
「……ええ。でも、何となく嫌な予感はしている。封印した魔剣が今ごろになって現れるのも何かの兆候かと思っているわ」
「なるほど……」
そっとため息をついたリズは一瞬目を伏せたあと、アンジェリカをじろりと見やった。
「な、何よ……」
「いえ。お姉さまがそのようなことまでしでかしていたとは知らなかったものですから。本当……後先を考えないというか何というか……」
「お、お母様と同じようなこと言うんじゃないわよ。めちゃくちゃ叱られたときの記憶が蘇るじゃない」
「メグ様が怒るのも無理はありませんわ。はぁ……」
再度大きなため息をついたリズは、呆れたような視線をアンジェリカに向けた。ほんと、お姉さまのやんちゃぶりにも困ったものですわ。この様子じゃきっとほかにもいろいろとやらかしているんでしょうね。
「と、とりあえず。明日範囲を広げて調べるつもりだから、あなたにも手伝ってほしいのよ」
「まあそれはかまいませんが。ただ、エビルドラゴンを見つけたらどうするつもりですの?」
「もちろん倒すわよ」
「どうやってですの? 魔剣はお姉さまに愛想を尽かし今はパール嬢の所有物となったのでしょう?」
「う……何か棘のある言い方ね。でも、たしかにそうね……」
そうだ。エビルドラゴンを見つけたところで武器がないんだ。かといって四六時中パールを連れまわすわけにもいかない。
ケンが言うことを聞いてくれたら一番いいけど、あの調子じゃまず無理だろう。さて困った……今なら素手でも何とかなる……んー、厳しいか……?
「ごめんなさい、リズ。明日はやっぱり中止ね。先に武器を何とかしてみるわ」
「また魔剣でもお創りになるのですの?」
「それはやめとくわ。また面倒なことになりそうだし」
「面倒なことにしたのはお姉さまですけどね」
リズの辛辣な言葉が鋭利な刃物の如くアンジェリカを斬り刻む。もちろんアンジェリカは何も言い返せない。
「……また来るわ」
席を立ち大きく深呼吸をしたアンジェリカは、一言そう口にするなりリズの前から姿を消した。