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第百三十五話 一縷の望み

聖デュゼンバーグ王国第一王子、ゾアの正室セリアが眠る寝室は重苦しい空気に支配されていた。ベッド脇の椅子に腰かけて正室の寝顔を見つめる第一王子ゾアの顔色も悪い。


「ゾア様。教皇猊下がセリア様をお見舞いしたいと参られています」


「何、猊下がわざわざ? すぐお通ししてくれ」


深々と腰を折った側近が踵を返し駆けていく。ほとんど間を空けず、ソフィア・ラインハルト教皇猊下がセリアの寝室へやってきた。


「突然の訪問申し訳ない、ゾア殿。セリア殿が危篤と聞いていてもたってもいられなくてな」


「何を仰います猊下。わざわざご足労いただき、セリアもきっと喜んでいることでしょう」


ソフィアは眠るセリアのそばへ近づき、寝顔をじっと見つめた。こうして見ると、本当にただ眠っているだけのように見える。


「……医師は何と?」


「それが、まったく原因が分からぬと……未知の病やもしれぬとのことでした……」


悲痛な面持ちで言葉を絞り出すゾア。最愛の正室が突然倒れ意識を取り戻さぬとなれば当然だ。


セリアとは公務で王城を訪れたときよく顔をあわせていた。教皇ソフィアと同い年であることを喜んでいたセリア。良家の出身なのに意外と庶民的で、高価なだけの紅茶より安くて良質な茶葉を好んでいたセリア。


ウェーブがかかった黄金色の髪の毛にそっと手を触れる。セリアはぴくりとも反応しない。


医師でも原因が分からないとなれば手の施しようがない。このまま死にゆくのを待つしかないのか。いや……手がないわけではない。


だが、できることならその手は使いたくない。あの方の信頼を失うおそれがあるし、もしかすると二度と許してもらえないかもしれないのだ。


……それでも私は……救えるものならセリアを救いたい。セリアはいずれこの国の王妃になる女性だ。そしてその資質も十分持ち合わせている。


「……ゾア殿。できるだけセリア殿のそばにいてあげてほしい。私も……自分にできることをしよう」


「……? は、はい……」


ソフィアはセリアの寝室を退室すると、やや早歩きで馬車へと向かった。一縷の望みを胸に秘めたまま。と、そのとき──


「教皇猊下!」


背後から声をかけられたソフィアは、はやる気持ちを抑えながら振り返る。声の主は第一王子ゾアの側室、クアラ。


「おお、クアラ殿か」


「猊下……セリア様の容体はどうなのでしょうか?」


今にも泣きそうな表情を浮かべたクアラは、ソフィアに駆け寄ると上目遣いで目をじっと見つめた。


「……医師にも原因が分からぬと。顔色はそこまで悪くなかったが意識はない。このままでは……」


「そ、そんな……」


顔を両手で覆うクアラの肩にそっと手を置いた。小刻みに震える小さな肩。


「クアラ殿。最近のデュゼンバーグは何やらおかしい。もしかすると未知の病が伝染し始めているのかもしれない。貴殿も気をつけるのだぞ」


「……はい。猊下もどうかお気をつけて……」


ソフィアはその言葉にしっかりと頷くと、踵を返し先を急いだ。そう、急がなくては。セリアが死んでしまってはどうしようもない。急がなくては。



──上空から地上を見下ろす紅い瞳の少女。アンジェリカが今いるのは、かつてエビルドラゴンと一戦を交えた山の上空である。


千年、いやそれ以上の年月でこのあたりの地形もずいぶん変わった。アンジェリカは上空から周りに視線を巡らせつつ、時の流れに思いを馳せる。


目を閉じ魔力を集中させたアンジェリカは、目に見えない巨大な魔法陣をあたりいったいの大地へ展開させた。


索敵(サーチ)


索敵に引っかかったありとあらゆる生命の気配を感じる。人間に小動物、魔物、亜人種……。神経と魔力を集中し慎重に気配を探るが、エビルドラゴンらしき存在は感知できない。


「……やはりいないか」


ふぅ、と大きくため息を吐いたアンジェリカは、地平の遥か向こう側へ視線を向けた。もう少し索敵の範囲を広げてみるか。やったことないけど……。


アンジェリカは魔力をさらに練ると、展開していた見えない魔法陣をさらに広範へと広げた。地上だけでなく地下にまで索敵の効果を拡大させる。


さまざまな生命の息吹きを全身で感じながら、アンジェリカは集中力を極限まで高めた。


「ふぅ……そう簡単には見つからないか……ん?」


アンジェリカが周囲へ視線を巡らせる。一瞬だがわずかに肌を刺すような感覚を覚えた。


確信はない。が、それっぽい気配。ただ、エビルドラゴンにしては魔力が少ない気がした。再度魔力と集中を高め索敵を開始したが、もう何も感じられない。


「……もう少し範囲を絞り込まないとダメか」


気配がした方角は覚えた。また明日調べてみよう。リズやアリアにも手伝ってもらおうかしら。そんなことを考えつつ索敵を解除したアンジェリカは、帰宅すべく魔の森の方角へ向けて飛び始めた。



──上空から屋敷の庭へ降り立ったアンジェリカのもとへ、三頭の子フェンリルが駆け寄ってきた。一頭ずつ頭と首元を撫で頬擦りをする。ああ、モフモフ最高。


と、モフモフを堪能していたところ視界の端に見知った顔を捉えた。テラスのガーデンチェアに腰かけこちらへ視線を向けている真っ白な髪の女性。


「来ていたのね、ソフィア」


庭からテラスへ上がったアンジェリカは、ソフィアを見て怪訝な表情を浮かべた。何となく顔色が悪い気がする。それに、いつもは着用していない公務用の衣服を纏っている。


「……何かあったの?」


ぴくりとソフィアの肩が跳ねる。明らかに様子がおかしい。アンジェリカはルアージュを呼んで紅茶を出すよう伝えるとソフィアの向かいに腰かけた。


「……アンジェリカ様。本日はエルミア教の教皇ソフィア・ラインハルトとしてお願いにあがりました」


「ずいぶんと深刻そうね。で、何?」


「実は……」


目を伏せたソフィアが言葉を絞り出すように紡ぎ始める。第一王子の正室であり未来の王妃候補であるセリアが生命の危機にさらされていること。医師の診察でも原因は分からず未だに意識を取り戻さないこと。


「アンジェリカ様。このようなお願いをするのは筋違いだと十分理解しています。そのうえでお願いいたします。どうか、聖女様のお力をお貸しいただけないでしょうか?」


テラスを静寂が支配し、吹き抜ける風が悲しげな音色を奏でる。遠くではアルディアスとその子どもたちがこちらへ心配げな視線を向けていた。


紅茶を運んできたルアージュも、普段とは異なるただならぬ雰囲気に口を開けなかった。そっとアンジェリカの前にカップを置き、一礼して踵を返そうとしたルアージュだったが……。


「……ルアージュ、パールは戻ってるかしら?」


「は、はいぃ〜。リビングで読書しています〜」


「そう。ここへ呼んでもらえるかしら?」


顔をあげたソフィアの目を、アンジェリカは紅い瞳でじっと見つめた。心の奥底を覗くかのように少しのあいだ見つめたあと、静かに口を開いた。


「……ソフィア。あなたが教皇としての立場でパールを利用しようとしているのなら私はそれを容認できない」


ソフィアの両手にグッと力が入る。口を真一文字に固く結び、アンジェリカの視線をしっかりと受け止める。


当然だ。アンジェリカ様は愛娘であるパール様を何より大切に考えている。聖女の役割にとらわれず自由に生きてほしいと以前アンジェリカ様は言った。


パール様を王城へお連れしたら、その存在を王族に知られてしまう。噂が広がればまたよからぬことを考える者が出てこないとも限らない。やはり無理なお願いだった。諦めたソフィアだったが──


「でも、あなたは私の大切な友人よ。友人からのお願いなら私はできるだけ叶えてあげたいと思ってる」


途端にソフィアの両目から零れ落ちる涙。思いもよらぬ言葉にソフィアの涙腺は崩壊した。


「ア……アンジェリガざま……」


顔をぐしゃぐしゃにして涙を流し続ける。こんな顔を信徒が見たらどう思うのだろう。ギリギリの精神状態を保っていたソフィアを尻目にアンジェリカはそのようなことを考えていた。


「もちろん、パールが嫌だと言えばこの話はなしよ。それはあなたも理解しているでしょ?」


力強く頷くソフィア。


「まあ、あの子の返事は分かってるけどね……」


苦笑いを浮かべ紅茶に手を伸ばそうとしたとき、テラスへパールがやってきた。


顔をぐしゃぐしゃにしこのうえなくブサイクになったソフィアを見てギョッとしたパールだったが、アンジェリカから事の次第を説明されると二つ返事で快諾したのであった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] アンジェとソフィアの絆。 パールが大切なのでそちらに被害でるのは許容できないけど、友人の切実な願いも叶えて上げたいと。 [気になる点] 擬態とかして存在や魔力を抑えてるのかなー。 メタ的に…
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