第百三十一話 危険な好奇心
快晴ではあったものの空の上は強風が吹き荒れていた。風に煽られて暴れる髪の毛を片手でまとめながら地上に視線を落とす。多分あそこだ――
「アリア、行くわよ」
「……お嬢様、本当に行くんですか?」
アンジェリカの隣で不安な表情を浮かべるアリア。それもそのはず、今二人がいるのは伝説のエビルドラゴンが住処にしていると言われる山の上空だ。
「もちろんよ。どんなドラゴンなのか見てみたいし、凶悪な生き物なら倒しておいたほうがいいじゃない」
こう言いだしたらもうダメだ。お嬢様が好奇心を抱いた時点でこうなることは目に見えていた。アリアは諦めの表情を浮かべそっとため息をつく。
二人は山の頂上へと降り立った。空の上よりはマシではあるものの、標高約千メートル以上の山頂ゆえ相変わらず風は強い。
ごつごつとした岩場を、アンジェリカとアリアは飛び跳ねるようにして進んでいく。と、地鳴りのような低い音が耳に飛び込んできた。
「……いた」
音の正体はエビルドラゴンのいびき。自力でそうしたのか、エビルドラゴンの周りは岩が切り崩されており平坦にならされていた。そこで体を丸めるようにして眠る巨大な漆黒のドラゴン。
「お嬢様、エビルドラゴンには魔法が通用しないと言われていますが?」
「その話本当なのかなー? まあ試してみれば分かるよね」
慌てるアリアが止める間もなく、アンジェリカは五つの魔法陣を瞬時に展開させた。
『魔導砲!』
眠るエビルドラゴンへ一斉に砲撃を開始する。魔法陣から放たれた閃光が次々と漆黒の巨体へ襲いかかった。
普通のドラゴンなら骨も残さず消失しているはず。舞いあがった土埃を風が追い払うまで、目を細めて凝視した。
「……ありゃ?」
そこには、先ほどとまったく同じ姿勢で眠るエビルドラゴンの姿があった。
「本当に魔法効かないみたいね」
「ですね。もう帰りましょうよお嬢様~」
「何言ってんのよ。せっかくここまで来たのに」
乗り気でないアリアを無視したアンジェリカは、つかつかとエビルドラゴンに近づくと魔力を集約させた拳で思いきりその背中を殴りつけた。
凄まじい音があたりに響き渡る。と、エビルドラゴンの黒い鱗が一枚剥がれた。
「お、戦利品ね。アリア、ちょっとこれ持ってて」
鱗をアリアに放り投げたアンジェリカは、再度拳を振り下ろそうとしたのだが――
『……何だ貴様ら……』
ゆっくりと目を開いたエビルドラゴンは、丸めていた体をのそりと起こすと金色の瞳でアンジェリカを睨みつけた。巨体から漏れ出る強烈な殺気。
「あ、起きちゃった」
エビルドラゴンは猛々しく咆哮をあげると、そのまま開いた口からブレスを見舞おうとした。咄嗟に上空へ避難するアンジェリカ。
『我の眠りを妨げるとは……死して償うがよい……』
ちょっとした街なら消失してしまいそうな威力のブレスを放つ。アンジェリカは落ち着いて複数枚の魔法盾を起動させると、同時にエビルドラゴンの足元へ巨大な魔法陣を展開させた。
『煉獄』
爆炎が包み込むが、エビルドラゴンはそれをものともせずアンジェリカへと飛びかかった。やはりダメージはない。
「うーん、やっぱり効かないか」
接近してきたドラゴンの腹へ蹴りを見舞う。が、あまり手ごたえは感じられない。
「ちょっと、アリア! あなたも手伝いなさいよ」
「ムリですってお嬢様! いったん引き上げたほうがよくないですか!?」
「何言ってんの――」
刹那、地上にいるアリアのもとへ降り立ったアンジェリカたちを囲むように、足元へ巨大な魔法陣が展開した。
『龍炎』
咄嗟に魔法の圏内から逃れるアリア。今度はアンジェリカが爆炎に呑まれることになった。
『くくく……我と戦おうなど身のほど知らずもよいところ……ん?』
目を細めたエビルドラゴンの視線の先には、腕を組んで平然としているアンジェリカの姿。
『魔法無効化か……いったい何者……いや、何者でもよい』
巨体に似合わぬ俊敏な動きでアンジェリカとの間合いを詰めたドラゴンは、その細い体を引き裂かんと鋭い爪を振り下ろした。
虚をつかれたアンジェリカはやや反応が遅れ、常時体に張っている対物理攻撃結界が三枚も同時に破られてしまった。
「こ、これはなかなかの相手ね」
さすがに結界なしでこの攻撃を喰らうのはヤバい。かといってこちらの魔法は通用しないし、徒手での物理攻撃もそこまで大きなダメージは与えられない。
アイテムボックスに何かいい武器あったかしら? こんなことなら家から家宝の槍を引っ張り出してくればよかった。まあバレたらママに大目玉喰らうけど。
と、視界の端に大きな黒い鱗を抱えたアリアの姿が映った。アレだ!
「アリア、いったん引くわよ!」
『バカめ、逃がすものか』
追撃と言わんばかりにエビルドラゴンは大きく口を開けると、再度ブレスを放った。尋常ではない威力のブレスが山肌を大きく削りとる。
『……ん? 欠片も残さず消失したか……? いや……』
手ごたえはなかった。おそらく転移したのだろう。おのれ忌々しい……。次会ったときは必ずズタズタに引き裂いてくれよう。
む……鱗を一枚持っていかれてしまったか……くそ……鱗を剥がされたのは久方ぶりだ……。
忌々し気な表情のまま目を細めたエビルドラゴンは、再び同じ場所へ戻ると体を丸めて眠り始めた。