第百二十八話 不気味なソレ
「いったいどうなってやがる!」
リンドル冒険者ギルドにウィズの怒声が響き渡る。今にも嚙みつきそうな目をしたウィズに詰め寄られているのは、ギルドマスターのギブソン。
「お、落ち着きましょうウィズさん。とりあえず執務室へ……お茶出しますから……!」
ぷんすかと怒るウィズを何とかなだめようとするが、彼女の怒りはなかなか収まりそうにない。何せ、囮になるため三日もシャンバラの街を歩きまわったというのに何の成果も得られていないのだ。
執務室のソファへどかっと腰かけたウィズの前にお茶が差し出される。ちょうどギルドが忙しい時間帯だったため、わざわざギブソンがお茶を淹れてくれたようだ。
「ったく……三日も滞在したのに結局何もねぇし……本当にそんな事件起きてたのかよ?」
「そ、それは間違いありません。三日のあいだ何か変わったことはありませんでしたか?」
「まあ……あったと言えばある」
あのとき、ウィズはたしかに自分へ向けられている悪意を感じた。あれが件の変質者なのかどうかは分からないが。
「そうだ、今まで襲われた女はどんな奴らだったんだ?」
「どんな、と言いますと?」
「だから、身体的な特徴とか年齢とかだよ。何かしら共通点があるかもしれないだろうが」
納得したような表情を浮かべたギブソンは、事件に関する資料を机の引き出しから取り出しウィズに差し出した。
ふむふむ。狙われたのは若い女ばかりか……この情報だけじゃ何も分からねぇな……。
「狙われたのは若い女性ばかりです。皆さん、美しくすらりとした体つきの方ばかりだとか」
「……すらりとした?」
「え、ええ。そう聞いています」
すらりとした……? 何か引っかかる。
「ちょっと待て。変質者がすらりとした体つきの女ばかり狙っているのだとしたら、そもそも私は犯人の眼中に入ってないんじゃ……?」
すらりとした、と言えば聞こえはいいが、要するに体に凹凸がない平坦な体つきということだ。ボンキュッボンのウィズとは正反対である。
「……これって囮役の選定が間違ってるんじゃねぇの?」
ぎろりと鋭い視線を向けられたギブソンの頬を冷たい汗が伝う。目も泳ぎ始めた。
「い、いや……でも……」
「でもじゃねぇよ。じゃなきゃ薄暗いなか三日も街中歩きまわって何も起きなかったことの説明がつかねぇ」
あのときたしかに悪意を向けられていた。が、すぐにそれは消えた。おそらく私の姿を見て「違う、こいつじゃない」と思ったのだろう。
「つまり、貧乳……もとい平坦な体つきの女性を囮にすべきと……?」
「そう考えるべきじゃねぇの?」
腕を組み考え込むギブソン。ギルドに登録している女冒険者の何人かを思い浮かべているようだ。
「うーん……そうなるとなかなか……」
「……アンジェリカの姐さんにでも頼んでみるか? 頼んだ理由知ったら骨も残さず消されるだろうけどな」
平坦な胸部を気にしているアンジェリカ。貧乳だからという理由で囮をお願いした日にはギルドそのものが消失するだろう。と、そこへ――
「失礼しまーす! あれ? ウィズちゃん?」
元気よく執務室へ入ってきたパールは、ソファに座っているウィズに気づき怪訝な表情を浮かべる。
「お嬢。学園はどうしたんですか?」
「今日は午前中だけだったから。ウィズちゃん、依頼はもう達成したの?」
「いや、それが……」
ウィズはギブソンから受けた依頼の内容と、ここ数日の出来事をパールへ簡潔に説明した。ふんふんと真剣な目で話を聞くパール。
話を聞き終えたパールは顎に指をあててしばらく考え込んでいたのだが……。
「よしっ。ギルドマスターさん、その囮、私にやらせてもらえませんか?」
パールの提案にぎょっとした表情を浮かべるギブソンとウィズ。
「い、いや、でも……狙われた女性たちに直接的な被害はないとはいえ、何があるか分かりませんし……」
「大丈夫ですよ! ウィズちゃんと二人で依頼を受けるってことにすればママも何も言わないだろうし!」
前のめりで鼻息を荒くするパールにギブソンは戸惑いを隠せない。ウィズも困ったような表情を浮かべている。
「んん……私が近くで見張っていればまあ危険はないとは思うけど……でも、もし何があったら姐さんに……」
そのときのことを考えてぶるりと体を震わせる。あまり考えたくない未来だ。
「大丈夫だよウィズちゃん! 私だって強いしね! それに、女の人ばかりを狙う変質者なんて許せないもん!」
腰に手をあててぷんすかと怒り始めるパールを見て、ギブソンとウィズは諦めるしかなかった。それほど長い付き合いではないものの、パールが言い出したら聞かないことを二人はよく知っている。
「よし、じゃあさっそく今からシャンバラへ行こう!」
こうして、半ばパールに押し切られる形で、ウィズは再びシャンバラへと戻ることになったのである。
――小動物しか入れないような建物と建物のすき間にソレはいた。数百年ぶりに外の世界へ出たものの、周りがあまりにも変化していたことにソレは驚いていた。
さて、これからどうするか。いや、やることは決まっている。俺をあんな目に遭わせたあいつを見つけて復讐しないことには気が収まらない。
そろそろこのお遊びもお終いだ。ソレは、ここ数日における自分の行動を振り返る。あんなお遊びをするつもりはなかったが、ああいうほっそりとした女を見るとついイラっとしてしまう。
もちろん、あいつを思い出すからだ。最初から体に危害を加えるつもりはなかった。まあちょっとしたいたずら心だ。
それにしても、あいつはいったいどこにいるのだろう。何か手掛かりがあればいいんだが。と、そんなことを考えていると通りの向こうから女が歩いてくるのが見えた。
ん? ほう……なかなかの上玉じゃねぇか。よし、あいつでいたずらはお終いにしよう。まだ子どもみたいだがまあいいだろう。
壁のすき間で蠢くソレは、気配を殺したまま標的が近づいてくるのを待った。
――夕陽で赤く染まったシャンバラの大通りを歩く一人の少女。軽い足取りで進む少女は先ほどから何者かに見られている気がしてならなかった。
「お。引っかかったかな?」
わずかににんまりとしたパールは、速度を変えずにどんどん通りを進んでいく。肌がチクチクとする感じ。悪意を向けられていることに気づきこっそりと魔力を練り始める。
と、風を切り裂くような音が遠くから聞こえてきた。何かがもの凄い速さで近づいてくる気配。
黒いソレが風を巻いてパールのローブを切り裂こうと接近した刹那――
『魔法盾』
パールは体を囲うように魔法盾を展開させる。ガキンッと鈍い音が響いたかと思うと、何かが地面に落ちカランカランと転がった。
路上に横たわるソレを見てパールの顔に戸惑いの色が浮かぶ。
「え……? これって……」
凄まじい速さで飛来したソレの正体は黒い剣だった。が、明らかにただの剣ではない。刃の部分には目のようなものがついており、非常に不気味だ。パールは恐る恐るその剣を手にとった。すると――
『て、てめぇ! 何気安く触ってんだ! は、放せってんだよこんちきしょー!』
「しゃ、喋った!!」
驚くことに剣が喋った。しかも刃部分の目がぎょろぎょろと動いている。気持ち悪さに思わず剣を放り投げそうになったパールだが、何とか思い留まり両手でしっかりと剣の柄を握った。
『な、何だこの力……てめぇ、ただの子どもじゃねぇな……?』
「ただの子どもだよ。てゆーかあなたこそいったい何なの?」
『お、俺はただの剣だ……』
「いや、そんなはずないよね? 正直に言わないと折っちゃうよ?」
『へっ……俺を折るだと? そんなことできるわけ――』
突如、街路樹の木々がざわめき始める。パールが本気の魔力を解放したのだ。
『お、おお……まあ話し相手にくらいなってやってもいいけどな……』
身の危険を感じ態度を翻した不気味な剣を片手に持ち直したパールは、こちらへ駆けてくるウィズに大きく手を振った。