第百十八話 お誘い
煌びやかな装飾が施された壁と天井を燭台の灯りが煌々と照らしている。高級に見える絵画や彫刻などいくつもの美術品で彩られた室内に音はないが、耳を澄ませると人々が楽しそうに会話する様子が聞こえてきた。
「ねえ……私たちどうしてここにいるんだっけ……?」
ソファへ横並びに座する三人娘の一人、ユイが不安そうに口を開く。ここはリンドルの中心街にある高級レストランの個室。
リンドル学園で開催された魔法競技会初日の最終戦、メルが見事な魔法で対戦相手を撃ち破った。大地が揺れているのではないかと思うほどの歓声と興奮に包まれたのを、ユイとモアは思い出す。
メルの対戦相手であったジェリーは魔導砲の直撃を受けたものの、魔法盾が勢いを殺したためそこまで大きなダメージはなかった。治療班がすぐさま治癒魔法をかけたため傷も残っていない。
「お誘いを受けたからだよ」
緊張した面持ちのユイとモアに対し、メルはいつも通りである。そう、三人がここにいるのは食事のお誘いを受けたからだ。
競技会初日が終わりリンドルの宿泊施設へ戻った三人だったが、教師から来客を告げられた。訪ねてきたのはリンドルの役人。何でも、ランドール中央執行機関の代表議長であるバッカス氏が三人の戦いぶりに感銘を受け、食事に招待したいとのこと。
最初は丁重に断っていた三人だったが、リンドル学園の選手も参加するとのことで了承することにした。それで今にいたる。
「うう……こんな高そうなレストラン初めてなんだけど……」
「それに、中央執行機関の代表議長と言えば、実質この国で一番偉い方ですよね……?」
「何が食べられるのかなー?」
緊張と不安でいっぱいのユイ、モアに対しメルは通常運転である。と、そこへ――
「やあ、遅くなって申し訳ないね」
個室の扉が開き壮年の男性が声をかけながら入ってきた。三人が慌ててソファから立ち上がり頭を下げようとする。
「いや、楽にしてほしい。私はランドール中央執行機関の代表議長バッカスだ。それと……」
かしこまろうとする三人を手で制したバッカスの背後から、二人の美しい女性と三人の子どもが姿を現す。
「こちらの三名は君たちも知っているね? 今日の競技会に参加していたジェリーにオーラ、それにパール様だ」
パールだけ様をつけたことに疑問を感じつつ、三人は小さく会釈した。ユイがパールに小さく手を振り、パールもそれに応える。
「それとこちらが……」
「私はアンジェリカ、パールの母親よ。今日の戦いとても素晴らしかったわ」
アンジェリカが微笑みかけるが、三人は思わず息を呑んだ。血のような紅い瞳と身に纏う独特の空気。親愛なる師匠と似た雰囲気を三人は感じた。
「え、お母様なんですか……? めちゃくちゃ若い……!」
思わず言葉を漏らしたユイだったが、慌てて手で口を塞いだ。
「ふふ、ありがとうね。で、こっちが……」
「エルミア教の教皇、ソフィア・ラインハルトです。今日の競技会は私も観戦していたの。デュゼンバーグの一国民としてあなたたちの戦いぶりに感動しました」
にこやかに挨拶したソフィアに対し、絶句して氷のように固まる三人。それもそのはず、デュゼンバーグの国民であるユイたちにとって、国教であるエルミア教の教皇は雲の上の存在である。
「ふふ、そんなに緊張しないで。それに、会うのは初めてではないはずよ? ユイちゃん?」
「え……?」
名前を呼ばれたことに驚くユイ。だが、言っている意味がまったく分からなかった。一国民、それも子供がエルミア教の教皇に会う機会などまずない。
「私があげたハンカチはまだ持ってくれているかしら?」
「……あ、あ、ああああああああ!?」
思い出した! あのとき教会で私の話を聞いてくれた人! え、教皇猊下!? 何で!? どうして!?
「エルミア様はすべてお見通し、お友達にはきっと幸せがやってくる。その通りだったでしょ?」
「も、もしかして……ハイロウ先生がいなくなったのも、メルが競技会に出られるようになったのも教皇猊下が……?」
「いいえ、創造神エルミア様のおかげよ」
涙を浮かべるユイに微笑みかけそっと頭を撫でるソフィア。話についていけないモアとメルは顔を見合わせている。
「さあ、あなたたちもお腹が空いているでしょう? 食事しながらお話をしましょう」
テーブルの上に並べられた豪勢な料理を楽しみつつ、和やかに食事会の時間がすぎていく。最初は緊張していた子どもたちだったが、次第に緊張もほぐれてきたようだ。なお、この場にあってパールとメルだけは最初からまったく緊張していない。
メルの魔導砲であっさりとやられてしまったジェリーだが、わだかまりはいっさいないようだ。一度会っていることもあり、楽しそうに会話をしている。
「ねえ、一つ聞いてもいいかしら?」
食事がひと段落しデザートを待っているとき、アンジェリカがそっと口を開いた。
「メルちゃん、あなたが使った魔法。あれって魔導砲よね? 誰に教わったのかしら?」
アンジェリカが紅い瞳でじっとメルを見つめる。アンジェリカの口から魔導砲の名が出たことに驚愕するユイとモア。一気に高まる緊張。
「ん。リズ先生」
メルは表情をまったく変えずにさらりと答える。あまりにも普段通りなのでユイとモアは呆れてしまう。
「あ、あの! リズ先生は私たち三人のお師匠様で……!」
「そう……あなたたちもなのね」
懐かしそうな、それでいて少し寂しそうな表情を浮かべたアンジェリカ。三人は思わず顔を見合わせた。
「あの、もしかしてリズ先生をご存じなんですか……?」
モアがおずおずとアンジェリカに質問する。
「ええ。私の従姉妹よ。昔はよく一緒に遊んでいたわ。魔導砲は私が開発した魔法だけど、リズは私が使うところを何度も見ていたから覚えていたのね」
「そ、そうだったんですね! え……ということは、パールちゃんのお母様って……?」
ユイとモアが上目遣いでアンジェリカを見つめる。
「この方は真祖、アンジェリカ・ブラド・クインシー様。あなたたちもおとぎ話で名前くらい聞いたことはあるでしょう?」
ナプキンで口元を拭いたソフィアが発した言葉に、ユイたちは思いきり息を呑む。子どもでもその名は知っている。過去にいくつもの国を滅ぼしたと言われる紅い目の真祖。国陥としの吸血姫。
「まあ真祖だけど怖がらないで……って全然怖がっていないわね?」
「はい……驚きはしましたが、リズ先生もとても優しいので……」
子どもたちが怖がっているのではないか、と不安になったアンジェリカだったが、まったくその心配はなかったようだ。
「そう……あの子は昔から優しい子だったわ。まさか人間の子どもを弟子にしているとは思いもよらなかったけど」
「あの、アンジェリカ様が真祖ということは、パールちゃんも吸血鬼……?」
恐る恐る尋ねるモアにアンジェリカは静かに首を振り、そっとパールに視線を向ける。何かをモグモグと食べながら軽く頷くパール。
「この子は赤ん坊のころ森に捨てられていたの。それを私が連れ帰って娘として育てたのよ」
ユイとモアは驚愕に目を見開く。人間を娘として育てていることに驚いたのではない。メルとパールの境遇があまりにも似ていることにユイとモアは驚いたのだ。
「そう……だったんですね」
ユイがちらりとメルに視線を向ける。すでにメルは運ばれてきたデザートを食べ終えたようだ。
「ん。じゃあ私と一緒だ」
メルが特に表情を変えることなく口にした一言に、アンジェリカの目がスッと細くなった。