第百十四話 無能
聖デュゼンバーグ王立魔法女学園の職員室は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。国教であるエルミア教の教皇が、わずかな供を引き連れ学園に臨場したのだから当然である。
なお、学園に生徒はほとんど残っていなかったため、大きな混乱にはならなかった。選抜試験のため参加者と見学者以外は登校しておらず、試験も午前で終わったため多くの生徒は帰宅している。
異様な空気が漂う学園長室のなかで、年配の学園長、副学園長と向き合うソフィアとジルコニア。その背後では護衛の聖騎士レベッカが鋭い視線を周囲に巡らせている。
「きょ、教皇猊下におかれましては大変ご機嫌──」
「余計な挨拶はよい。今日は確認したいことがあって足を運んだ」
緊張しつつも挨拶をしようとした学園長の言葉を遮り、ソフィアは来訪の理由を簡潔に述べた。学園長の顔色は悪い。
「さ、左様でございましたか。それで、確認したいこととは……?」
「学園では生徒に対し正当な評価をしていないのか?」
「ええと……いったいどういうことでしょうか?」
「本日行われた選抜試験。生徒の実力を正当に評価せず、抗議した生徒にも暴論を吐いた恥ずべき教師がいると聞いた」
ソフィアは鋭い視線を学園長に向ける。
「そ、そのような事実はないかと……少なくとも私は把握しておりません……!」
「ほう。学園長ともあろう立場の者が、教師たちの言動を把握できていないと?」
「も、申し訳ございません……!」
しどろもどろになりながら、額から流れる汗をハンカチで拭い続ける学園長。その隣では副学園長も顔を青くして俯いていた。
「この学園にハイロウなる教師がいるでしょう? ここへ呼んでいただけますか?」
ジルコニア枢機卿が静かに口を開く。口調こそ丁寧だが有無を言わさぬ迫力があった。学園長は慌てた様子で部屋を出ると、近くにいた教師に声をかけハイロウを呼びに行かせた。
数分後、ハイロウが学園長室に入ってきた。自分がなぜ呼ばれたのかまったく分からず不安げな表情を浮かべている。
「そなたがハイロウか」
「は、はい……」
ソフィアにじろりと視線を向けられ、ハイロウの背中を嫌な汗が伝う。
「そなた、本日の選抜試験で特定の生徒に不当な評価をしたそうではないか」
「い、いえ! そのようなことは決して!」
「黙れ。ではなぜメルという女生徒は試験でそなたを倒したにもかかわらず不合格になったのだ?」
メルの名を聞いた途端に色をなくすハイロウの顔。心当たりがある証である。
「あ、あれはメルに問題があったからです! 決して不当な評価などでは……!」
「どのような問題だ? 外部の指導者から魔法の指導を受けたことか?」
「そ、それは……!」
そうですなどと言えるはずはない。その行為自体は何の問題もなく校則に抵触しているわけでもないのだ。
ソフィアはソファから立ち上がると、直立不動で固まっているハイロウの前に立ちその顔を睨みつけた。
「貴様は私情で前途ある生徒に不当な評価をした。そもそも、その生徒がこれまで才能を開花させられなかったのは教師である貴様が無能だからだ。反論はあるか?」
俯いたまま顔を歪ませるハイロウ。無能だと罵られ思わず拳に力が入るが、教皇相手に何もできるはずはない。
「貴様のしたことは生徒を導く教師としてあるまじきこと、恥ずべきことだ。学園長、どのように処分すべきだと考える?」
ことの成り行きを見守っていた学園長へ体を向き直したソフィアは、その目をじっと見つめた。
「は……ハイロウ先生は解雇し、その生徒は改めて合格にいたします」
その言葉にハイロウは弾けるように顔を上げる。目は驚愕に見開かれ、唇はワナワナと震えている。
「よろしい。ああそうだ、ハイロウ。貴様の父親は学園運営機関の幹部らしいな。父親にも責任をとってもらうぞ」
その場に崩れ落ちるハイロウ。すべてを失ったことを悟り呆然とするしかなかった。
「学園長。こいつのような教師がほかにいないか調べよ。子どもの才能を潰すような教師は必要ない」
「は、はい、かしこまりました」
「徹底的にやれ。次に同じようなことがあればそなたらもただでは済まさぬぞ。たとえ国や王族が許しても教皇たる私と教会は絶対に許さん。それがどういう意味か分かるな?」
「は、はい……もちろんです。猊下の仰る通りにいたします……!」
学園長に念押ししたソフィアは、力なく床にへたり込むハイロウを一瞥すると、ジルコニア、レベッカを伴い学園長室をあとにした。
──視界に映るのは板貼りの天井。楽しそうに会話しながら通りを歩く同い年くらいと思われる子どもたちの声が聞こえる。
自宅のベッドで大の字に転がっていたユイは、半身を起こすと深くため息を吐いた。
あんなの絶対に間違ってる。明日もう一度ハイロウ先生に抗議して、それでもダメなら学園長に直接話を聞いてもらおう。
そんなことを考えていると──
「ユイ、お友達が来てるわよ」
扉越しに母親から声をかけられ、ユイはベッドから降りる。上着を羽織って玄関の外に出たユイの目に飛び込んできたのは、眩しそうに空を見上げているメルの姿。
「メル……」
「あ、ユイ。試験合格になったよ」
ユイに気づいたメルはほんの少し笑みを浮かべ、拳を天に突き上げた。
「え……? 本当に……?」
「ん。さっき担任のギル先生が家まで伝えに来てくれた」
「ほ、本当の本当に……?」
「そだよ。一緒に競技会出られるよ」
急転直下の展開にキョトンとしていたユイだったが、メルの言葉が真実であると分かり瞳から涙が溢れた。
「よがっだ……ほんどうに……よがっだ……!」
メルに抱きつき嗚咽を漏らすユイ。呆気にとられたメルも、そっとユイを抱きしめる。
「ん。ユイありがとう。私のために怒ってくれてありがとう」
涙こそ流れないが、メルは喉の奥が熱くなるのを感じた。ユイが泣き止むまで、しばらくメルはその小さな体を抱きしめ続けた。