第百十三話 激怒
「猊下、少しお時間よろしいですか?」
執務を終え自室で読書をしていたソフィアは、ノックの返事をする前に部屋へ入ってきた枢機卿ジルコニアにジトっとした視線を向けた。
「……いいけど、何?」
読みかけの本にしおりを挟みパタンと閉じると、ソフィアはジルコニアに向き直った。
「それが……先ほどから子どもがずっとお祈りを捧げていまして……」
「……? それがどうしたの? この国では熱心な信徒など珍しくないじゃない」
エルミア教の信徒は世界中にいる。特に、教会本部があるデュゼンバーグにおいては幼児から高齢者まであらゆる年齢層の信徒がいるのだ。
「その子、一時間以上泣きながらお祈りしているんです。それに雰囲気もただならぬというか……」
ジルコニアは頰に手をあてて困惑するような表情を浮かべる。熱心な信徒が多いとはいえ、子どもが泣きながら一時間以上も祈りを捧げ続けているというのはたしかにただごとではない。
ソフィアは少し思案したかと思うとおもむろに立ち上がり、服を着替え始めた。
──創造神エルミア像の前に両膝をついて一心に祈り続ける少女。栗色の髪をポニーテールにまとめた少女、ユイは涙を零しながら一時間以上祈り続けていた。
生来、勝気で言動も荒っぽいユイはなかなか友達ができなかった。女子からは疎まれ、男子とは何度も殴り合いになったことがある。
そんなユイに偏見をもたず、友達としてつきあってくれた存在がメルとモアだった。
メルがリズのもとで才能を開花させたことを、誰よりも喜んだのはユイである。大切な自慢の友人がこれで認めてもらえる。競技会に出場し、いい成績を収めれば誰もがメルのことを見直してくれる。
だが、その機会は横暴な教師によって奪われた。とんでもない暴論で友人を否定し、競技会参加の道は断たれてしまった。
エルミア様、どうしてメルにばかり試練を与えるのですか? メルは赤ちゃんのとき森に捨てられていたそうです。
メルはそのことを自分で話しちゃうから、以前は親なし子って陰口も叩かれていました。最近は少し笑うようになったけど、以前はそんなに笑わなかった。
表情が乏しく何を考えてるか分からないから、私と同じで友達もできなかったんです。学園でも教師や生徒から落ちこぼれって言われて、彼女を見てクスクス笑う子もたくさんいました。
でも、やっとメルが皆んなから認められる機会が巡ってきたんです! それなのに……!!
悲しくて悔しくて嗚咽が止まらない。泣きすぎて頭が痛くなり、瞳から零れ落ちた涙で床は濡れていた。
「どうしたの?」
突然背後から声をかけられそっと振り向くと、そこには真っ白な美しい髪のお姉さんが立っていた。
「……な、何でもないです……」
慌てて涙を拭うユイに、白い髪の女性はスッとハンカチを手渡すと、包み込むような優しい笑顔を向けた。
「何でもなくはないでしょ? もしかしたらお姉さんが何か力になれるかもしれない。ちょっと話してみてくれないかな?」
地味なワンピース姿のソフィアは、優しく語りかけると少女の手をとり立ち上がらせ、近くの椅子へと誘う。
「はい、これどうぞ」
並んで座るユイにソフィアが小さな包みを渡す。
「これは……?」
「王都で流行ってるお菓子。甘いものを食べると気持ちが落ち着くわ」
「あ、ありがとうございます……」
そっと菓子を口に入れる。口のなかいっぱいに広がる甘味。ごくわずかだがユイの気持ちも落ち着きを取り戻した。
「それじゃ、何があったのか聞かせてくれる?」
ソフィアが促すと、ユイは少しずつこれまでのことを話し始めた。途中何度か感情が昂りそうになるユイをうまく宥めつつ、ソフィアは話を聞き取っていく。
一気に話し終えると、再びユイは俯いて涙を零し始めた。ソフィアはそっとユイの小さな体を抱きしめる。
「そんなことがあったのね。大丈夫よ、創造神エルミア様はすべてお見通しなの。きっとあなたのお友達には幸せが待っているわ」
「……本当に?」
「ええ。だから今日はもうお帰りなさい。子どもが、それも女の子が体を冷やしてはいけないわ」
「はい……」
ハンカチで涙を拭ったユイが椅子から立ち上がる。
「あの、ハンカチありがとうございました。洗って返します」
「いいわ、あなたにあげる」
ソフィアはそっとユイの頭を撫でた。ユイは何か言いたそうにしていたが、ぺこりと頭を下げるととぼとぼと礼拝堂の出口へと向かった。
「ジル、話は聞いたわね?」
瞳に怒りの炎を宿したソフィアが口を開く。いつもより声のトーンが低い。柱の陰からそっと姿を現したジルコニアは、珍しくソフィアが本気で怒っていると感じた。
「はい、猊下」
「今すぐ準備をしなさい。学園へ向かうわ」
「猊下自らですか!?」
思わず大きな声を出してしまい、慌てて両手で口を塞ぐジルコニア。
教皇はただの聖職者ではない。エルミア教において教皇は創造神エルミアに次ぎ神聖な存在である。
だからこそ誰と会うときも御簾越しであり、その顔を晒すことはまずない。唯一の例外はアンジェリカやその身内である。先日、聖軍を率いて帝国へ臨場したのも異例中の異例だ。
「ええ。そんな腐った教師が子どもたちに指導しているなど反吐が出る。ほかの教師や関係者たちに気を引き締めてもらうためにも、私自ら出向くわ」
ジルコニアは納得した。ソフィアと幼馴染であるジルコニアは、彼女が学生時代教師たちから理不尽な扱いを受けていたことを知っている。
先ほどの少女が話していた友人に、幼いころの自分を重ねてしまったのかもしれない。
「かしこまりました。ただちに準備いたします」
これほど行動的になったのはアンジェリカ様や聖女様の影響もあるわよね、と思いつつジルコニアはその場をあとにした。
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