第百七話 危険な遭遇
競技会の選抜試験に合格するため、魔法の指導をしてほしいとアンジェリカにお願いするジェリーとオーラ。一方、リズはメルの才能が開花しなかったのは教師に問題があると判断し、選抜試験に合格できるようより厳しく指導をしようと心に決めたのであった。
木漏れ日が降り注ぐ森のなか。がしゃがしゃと耳につくのは積もった落ち葉を踏みしめる音。静かな森ゆえに些細な音でも気になってしまう。
針葉樹特有の爽やかな香りが鼻腔に心地よい刺激をもたらす。かわいらしい小鳥のさえずりも聞こえてきた。ああ、これがピクニックならどれほど楽しいことか。そんなことを考えていた矢先――
「いたわよ」
先頭を歩いていたアンジェリカが立ち止まり片手を挙げた。止まれの合図だ。ジェリーとオーラはゴクリと唾を飲み込むと、何とか体の震えを止めようと努める。
「うん、初めてならこれくらいで十分ね」
彼女たちが視線を向ける先に見えるのは、体長三メートル以上はあろうかという巨体のオーク。しかもそれが三体もいる。
今アンジェリカたちがいるのは、屋敷から少し離れた魔の森のなか。強くなるには実戦が一番、という体育会系な考え方のアンジェリカは、特訓初日からジェリーとオーラに実戦経験をさせるべく森のなかへ連れ出したのだ。
「パ、パールちゃんのお母様……あれってオークですよね……!?」
「ん? そうよ?」
初めて目にするオークにすっかり腰が引けているジェリーとオーラ。リンドルで暴れていた悪魔族との実戦経験はあるものの、あのときはアルディアスの背にのってでたらめに魔法を放っていただけだ。
本格的な実戦となるとこれが初めてなのである。まあ七、八歳の子どもなのだから当然と言えば当然なのだが。
「大丈夫よ。パールも五、六歳のころにはあれくらいのオークを一人で退治していたから」
「いや、そこ絶対比べちゃダメですよね……」
正論だが、アンジェリカは首をコテンと傾け不思議そうな表情を浮かべている。
「ジェリーちゃん、オーラちゃん。危ないときは私も手伝うから大丈夫だよ!」
二人の後ろに立っていたパールが腰に手をあてて胸を張る。
「うう……やるしかないのです……これも選抜試験に合格するため……!」
覚悟を決めるオーラ。ジェリーも頷き戦闘態勢に入る。
「一人一体ね……となると一体邪魔か」
ジェリーたちに言葉をかけたアンジェリカは、振り返りざまに一体のオークへ手の平を向けると詠唱もなしに高出力の魔法を放った。骨も残らず消し炭になるオーク。
おとぎ話で伝え聞く真祖の力を目の当たりにし、ジェリーとオーラの顔が驚愕に染まる。
「さ。やってみましょうか」
にっこりと微笑むアンジェリカに、ジェリーとオーラは今度こそ覚悟を決めて力強く頷いた。
「リズせんせー-!」
玄関先でリズを大声で呼んでいるのは、栗色の髪をポニーテールにまとめた弟子のユイ。その後ろには同じく弟子のモアとメルの姿も。
「出てきませんね。どこかお出かけしているんでしょうか?」
艶のある黒髪が印象的なモアが首を傾げる。
「うーん。この時間帯に来るのは知ってるはずだけどなぁ。買い物にでも出かけたかな?」
「じゃあ庭で待っていましょうか」
「おー。また石集めようっと」
ブロンドのふんわりとした髪を揺らしてメルが庭に駆けていく。その様子を苦笑いしながら見つめるユイとモア。
「あ、そうだ。この隙にみんなで森のなか行ってみない?」
「森のなか……ですか? たしか、以前入ろうとしたときはリズ先生に止められて注意されたんですよね」
「そうそう。リズ先生がいるとまた止められるからさ。今のうちに森のなか探検しよーよ」
二ヒヒといたずらっぽい笑みを浮かべるユイ。
「そうですね……先生もまだ帰ってきそうにないですし」
「よし決まり! おーい、メル! 森へ探検に行くぞー!」
振り返り一瞬首を傾けたメルだったが、すぐにトテトテとユイたちのもとへ戻ってきた。こうして、三人は森のなかへ探検に出かけたのである。
――聖デュゼンバーグの王都で買い物を済ませたリズが自宅に戻ると、いつもこの時間に来ているはずの弟子たちの姿が見えなかった。
「あら? あの子たち今日は来ていないのかしら? たしか来るって言っていたと思うのですが……?」
不思議に思いつつも屋敷へ入り、買ってきた紅茶やお菓子をキッチンの戸棚に仕舞い始める。小さな弟子たちと頻繁にお茶会を開くようになって、紅茶もお菓子も消費が激しくなった。
まさかこの私が人間の、しかもあんな小さな子どもたちを弟子にする日がやってくるとは思いもしませんでしたわ。長く生きているといろいろなことがありますのね。
でも、とてつもない時間を一人ですごしてきたので、あの子たちとすごす時間を楽しく感じているのも事実。鍛えたところで私より魔法が上達することはないでしょうが、身長はあっという間に抜かすのでしょうね。
そんなことを考えながら紅茶を淹れ、弟子たちがやってくるのを待つリズ。だが、三十分以上経っても弟子たちがやってくる様子はない。
「おかしいですわね……ユイやメルはともかく、しっかり者のモアがいるのにこれほど時間に遅れるのは考えにくいですわ……」
何かあった……? 病気やケガとか? いや、それなら誰か一人でもそれをここへ伝えに来るはずだ。
「――まさか!」
椅子から勢いよく立ち上がり森へ目を向けたリズは、弾けるように外へ飛び出すと凄まじい速さで森へ向かい飛んでいった。
――森のなかを恐る恐る歩く三人娘。最初は探検気分で楽しかったが、奥へ向かうにつれて楽しさよりも恐怖心が湧きあがってきた。太陽の光はほとんど届かなくなり、今まで聞いたことがない音や声も聞こえる。
「ユ、ユイ……もう戻りましょうよ……」
「う、うん……でも、どっちから来たのか……」
森のなかに整備された道などない。まともに森歩きの経験もない三人が、道に迷わない工夫などしているはずもなかった。
と、そのとき――
「あん? どうしてこんなとこに人間のガキがいるんだ?」
不意に声をかけられ跳びあがる三人。振り返った彼女たちの目の前には、体長二メートル以上はある屈強な狼獣人が数人立っていた。
「……ヒィッ!」
短く悲鳴をあげるモア。ユイも顔が真っ青である。メルだけはいつもと変わらずぼーっとしていた。
「ちっ。こんなガキじゃヤる気にならねぇなぁ……だが」
狼獣人がユイたちの体をじろじろと舐めまわすように視線を這わせる。
「肉はやわらかそうだよなぁ。最近は堂々と人間に手を出しにくくなったことだし、久々にいただくとするか……」
舌なめずりしながら三人娘に近づく狼獣人たち。と、震えるユイとモアを押しのけてメルが狼獣人の前に立ちはだかった。
「あん? 何だてめぇ」
「ダメ。友達に手を出さないで。向こう行って」
無表情のまま狼獣人を見上げるメル。その瞳には恐怖の色など微塵も浮かんでいない。
「メ、メル……あ、危ないから……!」
ユイが口にした瞬間、狼獣人がメルの頬を勢いよくはたいた。吹っ飛び地面を転がるメル。
「メ、メル!!」
「ん……大丈夫……」
ゴロゴロと地面を転がったメルだが、むくりと起き上がると表情を変えずに服の汚れを手で払い始めた。
「な、何なんだてめぇはよ……!」
何となく不気味なものを感じたが、狼獣人は気をとり直しモアを抱きかかえると肩に担いだ。
「きゃあああああ!」
「モ、モアを放せこんちくしょー!」
ユイが魔法を放とうとするが、その前に狼獣人に頬を殴られメルと同じように地面を転がった。
「ユイ……大丈夫?」
倒れたユイのそばに駆け寄ったメルは、心配そうに顔を覗き込んだ。擦り傷ができているが、大したケガはなさそうだ。
モアを助けるため立ち上がったメルだが、いつの間にか背後にやってきていた狼獣人に今度は腹を思いっきり蹴られてしまう。堪らず吹っ飛び木に体をしたたかに打ちつける。
「メルちゃん!!」
「ぐ……メル……」
メルは起き上がってこない。ユイは後悔した。自分が森へ探検に行こうなどと言い出したから。先生に注意されて止められたのにそれを破ったから。
悔しさと自分の愚かさに涙が止まらない。自分だけが食べられるならまだいい。でも、モアとメルだけは……! でも、自分には何もできない。自分にはそんな力はない。悔しい……!
――刹那、周りの温度が急激に下がり、小鳥のさえずりも一斉に止んだ。ただならぬ気配を感じ、その場にいた全員が視線を向けた先にいたのは、ふわふわと宙に浮く紅い瞳の少女。
「……あなた方……私の弟子に何をしてくれてますの?」
凍てつくような声を発したリズは、怒りのこもった目で狼獣人を見下ろした。
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