閑話 母娘喧嘩
「自分がどれだけ危ないことをしたか、あなた分かってるの?」
咎めるような視線と厳しい言葉を投げかけられた少女。黙って俯く少女の顔にはありありと不満の色が浮かんでいた。
「自分は強いから大丈夫だと? 悪魔など相手にならないと?」
だって実際相手にならなかったもん。そこまで怒ること? どうして私ばかり……。
「……納得できないようね」
「だって……」
「だってじゃないわよ。若い娘が傷まで作って……」
紅い瞳にやや怒気を含み深いため息をつく。彼女はただ怒りに任せて叱責しているわけではない。これも愛する娘を心配するが故のことだ。
が、娘には母の真意などまったく届いていない。不満げな顔を見れば一目瞭然だ。
「とにかく、あなたはしばらく外出禁止。大人しくしてなさい」
「……やだ」
「やだじゃないの。私の言うことがきけないの?」
「……知らない」
「いい加減にしなさいよ、アンジェ」
途端に剣呑な雰囲気を醸し出す紅い瞳の女。高まる魔力に周りの空気がびりびりと震える。
アンジェと呼ばれた少女、アンジェリカも唇を尖らせたまま魔力を解放した。
「……そう。口で言っても分からないのね……身のほど知らずのバカ娘。いいわ、表に出なさい」
その言葉に、先ほどまで女の隣で黙ったままことの成りゆきを見守っていた男が口を開く。
「メグ、落ち着くのだ」
「うるさいわね。だいたい、あなたたちがアンジェを甘やかすからこんなことになってるのよ」
メグと呼ばれた美女がじろりと横目で男を睨む。世界の理すら変えると言われた真祖、サイファ・ブラド・クインシーも静かに怒りの炎を燃やす妻には敵わない。
アンジェリカが視線を向ける先、二つ並ぶ玉座の一つからスッと立ち上がったメグ。アンジェリカに目を向け直すと指で天井を指した。
意味を理解したアンジェリカは転移で城の上空へと移動する。強風吹き荒れるなか対峙する母娘。
「来なさい。あなたが過信する力を否定してあげる」
腕を組んだままふわふわと浮遊する母へ瞬時に接近したアンジェリカは、首元を狙って鋭い蹴りを放つ。
が、あっさりとかわされ蹴りは空を切った。その隙を見逃さずメグがアンジェリカの胸あたりを手刀で薙ぐ。
「……!!」
たったの一撃ですべての結界が引き裂かれた。三枚もの対物理結界を一撃で破られたことに驚愕の色を隠せないアンジェリカ。
反撃を──
と、さっきまで目の前にいた母がいない。ハッとして振り返ったアンジェリカの頭に、母の鉄槌、もといゲンコツが落とされる。
もの凄い勢いで落下したアンジェリカは、城の屋根を突き破り先ほどまでいた謁見の間に墜落した。
「う……うう……」
よろよろと立ち上がるアンジェリカに、父である真祖サイファが心配の目を向ける。
「アンジェ、もうやめなさい。メグに謝るのだ」
娘のもとへ近寄ろうとしたところ、メグが目の前に姿を現した。
「邪魔するんじゃないわよ」
「メグ……」
風で乱れた黒い髪をかきあげながら、サイファに鋭い目を向けるメグ。刹那、メグの背後からアンジェリカが急襲するが、読まれていたためまたかわされる。
強い……ママってこんなに強かったのか……。
歯噛みするアンジェリカ。このままではまずい。そう感じたアンジェリカは……。
「……絶対に謝らないし大人しくもしないし、ママにも負けないんだから!」
そう叫ぶとアンジェリカはその場から姿を消した。
──開いた目に飛び込んできたのはいつもの天井。隣ではスースーとかわいい寝息をたてるパールの姿。
「夢……また懐かしい夢を……」
思わず苦笑いしてしまうアンジェリカ。あの頃は若かったなぁ……まあ子どもだったし当然か。
結局あのまま三日くらいケンカが続いたのよね。吸血までして臨んだのに勝利、とまではいかなかった。戦闘の経験が全然違ったし仕方ないか。
それにしても、今となってはマ……お母様の気持ちがよく理解できる。あの当時はまったく分からなかったけど、自分が親になって初めて理解できた。
今となってはあのとき厳しく叱ってくれたことも感謝している。それにしても容赦なくない? とも思うけどね。
「ふふ……」
思わず声が出てしまった。パールは起きることなく爆睡中だ。ああ、なんてかわいい寝顔なんだろう。小さな体をぎゅっと抱きしめる。
「……ん、んん……ママ……苦しいよ〜……むにゃ……」
んー、堪らん。うちの娘がかわゆすぎる件。バカ親で結構。お母様もこんな気持ちだったんだろうか。
あ、そういえばあのケンカのあと、落ち込んでいた私をあの子が慰めてくれたっけ。よく一緒に遊んでた母方の従姉妹。
男兄弟しかいなかった私にとって本当の妹みたいな存在だった。元気にしてるんだろうか?
まあ、あの子は誰からも好かれやすいから、どこでもうまくやれるでしょうね。その点はパールも同じだけど。
アンジェリカは窓の外に目を向けた。夜明けまで二時間くらいか。もう少し眠ろう、とアンジェリカはパールに頬擦りしてから目を閉じるのであった。
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