第百二話 会談
少し前かがみになった私の背中と頭の後ろに手を回すアンジェリカ様。首筋にチクりとした痛みがあったが、すぐに気持ちが昂るような感覚に襲われた。
耳に入るのはジュルジュルと血をすすられる音。肌に感じるのはアンジェリカ様の息遣い。高揚する気持ちとは裏腹に手足からは力が奪われていく。
「……ふぅ……ありがとう、ソフィア」
私の首筋から口を放したアンジェリカ様を見て、私は腰を抜かしそうになった。そこにいたのは、私の知らないアンジェリカ様だったからだ。
「ア、アンジェリカ様……ですよね……!?」
「ええ。血を飲むと体が少し変化するのよ」
驚きを隠せない私にアンジェリカ様はニコリと素敵な笑みを返しながら答えてくれた。今のアンジェリカ様は私より背が高くなり、胸部の迫力ももとの姿と比べものにならない。もとのアンジェリカ様は美少女だったが、今は紛れもなく絶世の美女だ。
「な、なるほど……!」
「それよりソフィア。もう一つあなたにお願いがあるわ」
「は、はい! 何でしょうか?」
アンジェリカ様はハンカチで口元を拭うと、まじめな顔つきで私に目を向けた。
「あなたには帝国への対処をお願いしたいの」
「帝国への対処……ですか?」
「あなたに、というよりは教会に、と言ったほうが正しいわね」
「えーと……具体的にはどのように……?」
「聖軍よ」
アンジェリカ様が口にした言葉に私は思わず息を呑んだ。聖軍。それはエルミア教と教会がもつもう一つの姿。おそらく、アンジェリカ様は悠久のときを生きるなかで、幾度か聖軍を目にしたことがあるのだろう。
「なるほど……聖軍を編成し、悪魔族と手を組んだ帝国に圧力をかける、ということですね?」
「そうね。私が皇帝や皇族を根絶やしにするのは簡単だけど、それだとランドールのように一時的ではあれど国が乱れる。内乱の勃発や外部勢力の介入にもつながりかねない」
たしかにその通りだと思う。でも、真祖であるアンジェリカ様がそこまで気にするほどのことだろうか?
「帝国がどうなろうが私の知ったことではないけど、罪のない人々が苦しんだり死んだりするとパールが哀しむわ」
「たしかに……聖女様ならそうでしょうね。」
とても天真爛漫で愛らしい聖女様だが、すでにあのご年齢で人々を慈しむ心をお持ちであることを私も知っている。
「分かりました。ただ、聖軍を編成するほどの聖騎士を今から集められるかどうか……」
「それっぽく見えれば脅しの効果はあるでしょ。教会本部と近隣の教会から集めて、あとはデュゼンバーグの国軍から兵士を借りればいいわ」
何か急に大ざっぱになったけど……まあアンジェリカ様らしいか。
「分かりました。私は今から行動を起こします。帝国の教会にも早馬を出しましょう」
「ええ。よろしくね」
こうして、私は数十年ぶりとなる聖軍を編成することになった。枢機卿のジルコニアや聖騎士団長のレベッカなど、優秀な部下のおかげもあり短時間で聖軍を編成し、私たちはセイビアン帝国へと足を向けたのであった。
――で、今にいたる。
趣味の悪い調度品や装飾で埋め尽くされた応接室。体が沈み込んでしまいそうなフワフワのソファに腰掛けているのは、エルミア教の教皇ソフィア・ラインハルト。そしてその向かいに座るのは、セイビアン帝国の皇帝ニルヴァーナである。
落ち着いた表情のソフィアに対し、皇帝ニルヴァーナの顔色はよくない。世界中に絶大な影響力をもつエルミア教、その頂点に君臨する教皇と膝を突き合わせているのだから当然である。
皇帝の背後と両隣に立つ護衛の兵士からも緊張が見てとれる。唯一緊張していないように見えるのは……。
「教皇猊下。ようこそおいでくださいました」
皇帝ニルヴァーナの隣に座する壮年の男。だらしない体つきの皇帝とは異なり、長身痩躯で精悍な顔つきをしている。
「私はセイビアン帝国皇帝ニルヴァーナの嫡男、オズボーンと申します。猊下とお会いできましたこと、まことに光栄でございます」
「ふむ。教皇ソフィア・ラインハルトである。形式的な挨拶はよい。我々がここに来た理由は先ほどこのレベッカが伝えた通りだ」
ソフィアは表情を変えることなくオズボーンの目をまっすぐ見つめて口を開いた。再び顔色が悪くなる皇帝ニルヴァーナ。どことなく、嫡男が同席したことに困惑しているようにも見える。
「……教皇猊下自らが聖軍を率いてのご臨場、それだけで我々は事の重大さを理解しております。それに、先ほどレベッカ殿が申されたことが真実であれば……」
オズボーンは隣に座るニルヴァーナにジロリと視線を向ける。父親とはいえこの国の皇帝だというのに、なかなかの胆力である。
「く……! お前は黙っておれ! 儂にやましいことなど何もない!」
堪らず声を荒げるニルヴァーナ。
「皇帝よ。我々の調査によると、そなたは悪魔族と手を結びランドールを手中に入れようと画策しておったようだな」
「と、とんでもない言いがかりです!」
「ほう。そのような事実はないと?」
「当然です! 逆にお聞きしたい。猊下、私が悪魔族と手を結んだという証拠はおありですか?」
表情に出さぬようほくそ笑むニルヴァーナ。そのような証拠があるわけがない。あとは何を言われても知らぬ存ぜぬで押し通そう。それですべてうまくいく――はずだった。
何やら急に部屋の外が騒がしくなり、勢いよく応接室の扉が開かれた。弾けるように剣を抜いて警戒する護衛の兵士とレベッカ。そこに現れたのは――
「ごきげんよう、皆さま」
アンジェリカの忠実なる眷属、メイドのアリアである。
「な、何者だ貴様! 無礼じゃぞ!」
「……その者は教会の関係者だ」
怒鳴るニルヴァーナを手で制したソフィアは、そっとアリアに目を向ける。
「会談中にお邪魔いたします。猊下、こちらをお持ちしました。どうぞ」
そう口にするなり、アリアはアイテムボックスを展開し何かを取り出すと、応接室の床にそれを転がした。誰もがそれを見て青ざめる。
床に転がされたのは、両腕を切断された状態の悪魔族。皇帝とランドール攻略を画策していた悪魔侯爵フロイドである。
「……ニルヴァーナよ……我々の負けだ……」
生気と希望を完全に奪われた目を向けられた皇帝ニルヴァーナの顔が絶望の色に染まった。
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