第九十六話 弱者は無力
ソフィアとレベッカの安全を確保するため彼女たちを連れてデュゼンバーグへ転移したアンジェリカ。心配するソフィアに対しアンジェリカは「あなたの血を吸わせてほしい」とお願いをするのであった。
アンジェリカから血を吸わせてほしいと言われたソフィアは一瞬呆けてしまったものの、すぐハッと我に返った。
「あ、ええと……はい。私の血でよいのならいくらでもどうぞ。ただ、一応理由をお聞かせいただいてもいいですか?」
以前、ソフィアはアンジェリカに初めて会うとき自ら抜いた血を献上しようとしたが、そんなものいらないと拒否された経験がある。真祖には吸血衝動がなく、血を吸う必要もないと本人から聞かされた。それが、今このタイミングで血を吸わせてと言われたことに率直な疑問を抱いたのである。
「理由はいたって単純よ。私たちは血を飲むと真の力を発揮できる」
「そ、そうなのですか……!?」
初めて聞かされる衝撃の事実にソフィアの顔が驚きの色に染まる。
「ええ。吸血せずとも何とかなるかもしれないけど、数が数だから。一応本気で戦えるようにはしておかないとね」
「あの、ちなみに今まで吸血したことって……」
「一回だけね。お母様と三日くらい大ゲンカしたとき、人間の街で出会った女の子にお願いして血を吸わせてもらったわ」
「つまり、お母様と本気で戦ったと……」
「まあね。最終的にはお父様やお兄様、従姉妹たち、軍まで駆けつけて全力で止められたけど」
何ともスケールの大きな話に啞然とした表情を浮かべるソフィア。
「なるほど……分かりました。アンジェリカ様のお願いなら断る理由なんてありません。さあどうぞ!」
ソフィアは首筋を差し出すが、微妙にぷるぷると震えていた。初めて吸血鬼に血を吸われるのだから当然と言えば当然である。
「大丈夫、痛くしないから」
アンジェリカはソフィアの背中にそっと手を回すと、白く細い首に鋭い牙をそっと突き立てた。
「……っ!!」
じゅるじゅると血をすする音だけが室内に響く。血を吸われながらも恍惚の表情を浮かべるソフィア。アンジェリカの息遣いが次第に荒々しくなってきた。そして――
ランドールの国境近くには、首都リンドルから向かった国軍がすでに布陣していた。軍を指揮する将軍は、小高い丘の上から悪魔の軍勢に視線を巡らせる。
「く……! こんな馬鹿げた数の軍勢をどうせよと言うのだ……! しかも相手は人間ではないというのに……!」
目の前に広がるのは、地平の先まで埋め尽くす規模の軍勢。総勢五万もの悪魔が布陣する様子は壮観とも言える光景であった。
そもそも、何故いきなり悪魔が軍を率いて攻めてきたのか将軍には意味が解らなかった。国境を監視していた兵士からもたらされた報告によって軍を率いてきたものの、常軌を逸する光景に将軍はただただため息をつく。
悪魔の軍勢五万に対し、ランドールの国軍は二万程度。しかも、それはランドール全域から軍を集められた場合である。今この場にいるのはせいぜい三千が関の山だ。
「これほどの戦力差でまともな戦いになるはずがない……」
将軍は自らの死とランドールの消滅を覚悟して天を仰いだ。
「情報が少なすぎる! 報告はこれだけなのか!?」
ランドール中央執行機関の拠点は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。国境の監視兵からもたらされた信じがたい報告は、人々を混乱させるのに十分だった。
「国境への軍の展開はどうなっている!?」
代表議長バッカスの声が拠点内に響き渡る。帝国と悪魔族が何かしら行動を起こす、と予測していたバッカスたちであったが、それでも突然大軍を率いて押し寄せてくるとは思いもよらなかった。
「すでに街中へ侵入した者がいるかもしれん! 冒険者ギルドとも情報を共有しろ!」
的確に指示を飛ばし続けるバッカス。束の間の静寂が執務室を支配した。
と、そのとき――
何の前触れもなくその男は現れた。
人間のように見えるが、肌の色や頭から生える角を見るに、悪魔族であることは明白だった。
「やあ、こんにちは。君がバッカスだね?」
若く見える悪魔はにこりと笑顔を浮かべると、軽い調子でバッカスに声をかける。
「な、何者だ貴様……!」
バッカスは壁に掛けてあった一振りの剣に手を伸ばす。
「死にゆく者に名乗るのは無意味だろ? 君に恨みはないけどこれも仕事なんだ。悪いけど死んでもらうよ」
バッカスとて、かつては戦争で英雄と呼ばれたほどの男である。戦場で数々の武勲を打ち立て、旧王国では爵位を与えられた。鞘から抜いた剣を構え、じりじりと距離を測る。
「私はまだ……死ぬわけにはいかん」
「残念だがそれは叶わない。君は確実にここで死ぬ」
非情なことを口にした悪魔の姿が一瞬で消える。刹那、背中にちくりとした痛みを感じるバッカス。背中に鋭い爪のようなものを突きつけられているようだ。
「弱者は強者の前では無力だよ。さようなら、バッカス」
確実な死を覚悟したバッカスは、国の行く末に思いを馳せながら目を伏せた。が――
「ごきげんよう」
二人以外誰もいない部屋に若い女の声が響く。驚く二人が向けた視線の先には、スカートの端をつまんで見事なカーテシーを披露するメイドの姿。
「だ、誰だ――」
悪魔の刺客がメイドに注意を引かれた隙を逃さず、バッカスは床を転がるようにして距離をとった。
同時に真祖アンジェリカの忠実な眷属、アリアが瞬時に悪魔との距離を詰めると、正面から片手で首を掴み持ちあげた。
「ぐ……ががっ……! き、貴様いったい……!」
首を掴まれたまま宙吊りにされ苦しみにもがく悪魔の刺客。
「ふふ。死にゆく者に名乗る意味があって?」
「な、なな……!」
「弱者は強者の前では無力。まったくその通りですわ」
不自然なほどの笑顔を顔に貼りつけたアリアは、ふふと笑うと遊んでいる片手で悪魔の胸を正面から貫いた。何とも言えない不気味な色の血が噴きだす。
「ぎぎゃっ……ぐぐ……があっ……!」
宙吊りにされたまましばらく苦しんだあと、悪魔はぴくぴくと痙攣し始め、やがて完全に息絶えた。死んだのを確認したアリアは、笑顔を消し去り忌々しい表情を浮かべる。
「ちっ……! 汚らしい……!」
吐き捨てるように呟くと、悪魔の体からぬらりと手を引き抜き死体を床に打ち捨てた。
「き、君はいったい……」
唖然とした表情を浮かべるバッカスを振り返ったアリアは、にっこりと微笑むと……。
「タオルとお水、貸してくださるかしら?」
とりあえず手に付着した汚い血を早急に拭いたいアリアであった。
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