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50.自分で決めた道を

 カフェに加えて私が始めたバイトは中学生の家庭教師と、スーパーのレジ打ち。

 家庭教師は給料もいいし、労働時間が短くて助かる。

 生徒が学校に行っている間はカフェとスーパーをかけ持ちしてお金を稼ぐ。


 こんなとき、学歴があってよかったと、素直に喜べる私はやはり親に感謝しなければならない。

 クルトも工場の仕事は順調で、私たちはこの生活にすっかり慣れていた。

 仕事場はすぐだし、綾乃ママの手料理は美味しいし、パパさんは面白い。


 毎日綾乃に会えるし、なんと言ってもクルトとこうして一緒にいられることがとても嬉しかった。


 綾乃の家にかける迷惑を最小限にしたいから、私とクルトは借りている離れの部屋で寝ている。


 もちろん、二人で――。



「――ユア」

「ん……」

「ユア、朝だぞ。起きろ」

「んん……」


 ………………。


「……!!」


 まぶたを持ち上げれば、目の前に整いすぎているクルトの顔があった。


「ち、近い……!!」

「はは、ユアがなかなか起きないから」


 今日はお休みだから、昨夜は綾乃の部屋でガールズトークが盛り上がって夜更かしをしてしまった。

 いつも私のほうが早く起きるのに、今日はクルトが先に起きてしまったようだ。


 私の顔を覗き込んで楽しそうに笑っているクルトには、今でもドキドキさせられている。

 彼の顔面のよさには、未だに慣れない。たぶん、一生慣れることはない。


 クルトとこうして同じ部屋で寝るようになって、ひと月はあっという間に経った。

 背が高くて身体の大きなクルトと二人ではこのベッドは少し小さいけど、彼と一緒にいることが実感できてとても嬉しい。


 おはぎとおもちもこの部屋に慣れてくれたし、茶太郎には少し狭いけど今までよりたくさん散歩に連れていってあげている。


 私たちだってもちろん最初は同じベッドで寝ることに緊張したけど、今ではこうしてぐっすり寝てしまう始末。


 こんなに近くにみんながいて、案外私は思っていたより遥かに幸せだ。


「……なんだ? まだ寝ぼけてるのか?」

「……うん」


 ぼんやりとクルトを見つめると、彼はカラカラと笑って私の頭をぽんぽん撫でた。


「早く起きなければ、俺の朝食はユアになるぞ?」

「な……っ! こんな明るいのに何言って――!」


 本気か冗談か、頭を撫でた手をそのまま髪に滑らせて、ちゅっと口づけるクルトは今日も朝から色っぽい。


「夜食ならいいのだな?」

「そういうことじゃないけど……」


 赤くなっているだろう私を見てまた楽しそうに笑うクルトは、たまに意地悪。

 だけどクルトからは私のことが大切だという想いが伝わってきているし、今は自分の稼いだお金でこの部屋を借りていると堂々と言えるのだから――。


 クルトと一緒にいたいという思いだけで突っ走って家を出てしまったことを、私は何一つ後悔なんてしていない。


 最初は綾乃の家族にいろいろ気を遣ったりもしたけど、今では本当の家族のように接してくれているし、少しずつ貯金も増えてきた。


 不安がないわけではないけれど、とても充実した日々だった。




 そんなある日――。


 いつものように、私は夕方まで受け持っている中学三年生の女の子の家で勉強を教えてきた。

 この季節は外を歩くのがとても気持ちよくて、のんびりと散歩のつもりで帰路を歩いていた。


「結愛!!」

「え?」


 だけど家まであと少しのところで、前方から私の名前を大声で呼んで、駆け寄ってきた綾乃。


 もうあと百メートルもせずに到着したというのに、わざわざお出迎えなんてどうしたのだろう?


 そんな可愛らしい思いは、彼女の表情を見て消え失せる。


 だって綾乃は、ひどく慌てた様子で私に近づくなり、「どうして携帯買わないのよ!」と叫ぶように言ったから。


 私のスマホは、あの日家に置いてきた。

 それから買っていない。

 クルトだって持っていないし、なかったらないで、今の私には別に必要のないものだった。


「どうしたの、綾乃。そんなに慌てて」

「さっき、琉生君から連絡があって……っ」

「お兄ちゃん?」

「結愛のお母さんが、倒れたって」

「え――」


 母が倒れた。

 その言葉に、ドクンと一回、大きく鼓動が跳ねた。


「倒れたって……、どうして?」

「わかんない、とにかく結愛が帰ったら連絡するようにって、琉生君からこれ預かってるから」


 そう言った綾乃の手には、以前私が使っていたスマホが握られていた。


「ありがとう……」

「クルト君がね、先に病院に向かったから」

「……クルトが?」

「うん」


 それは少し意外だった。

 けれど今はそんなことを考えるよりも、言われた通りすぐ兄に電話をかけた。




     *




「――お母さん」

「結愛」


 兄の勤める病院の面会時間ギリギリに着いた私は、急いで病室を訪れた。

 そこには兄とクルトがいて、母はベッドで静かに眠っていた。


「……お母さん、どうしたの?」


 見たところ怪我をしている様子はない。


「あぁ、その話なんだが、もう面会時間も終わる。久しぶりに三人で飯でも行かないか?」

「……うん」


 寝てはいるけれど、久しぶりに見た母は以前よりも痩せているように見えた。

 お兄ちゃんも……。



 それから私たちは綾乃に帰りが遅くなる旨の連絡を入れて、三人で近くのファミレスに入った。

 食事を注文し終えると、それが運ばれてくる前に私はもう一度母のことを兄に尋ねてみた。


「それで、お母さんどうしたの?」

「……疲れが溜まっていたんだ」


 クルトはもう状況を聞いているのか、ただ黙っている。


「疲れ?」

「あぁ。母さんは働きすぎだ。それで肝臓を壊して、手術することになった」

「手術……」

「と言っても簡単な手術だから、心配することはないよ」

「……」


 なんと言ったらいいのか、わからない。

 心配するなと言われても、心配はしてしまう。

 けれど私みたいな娘に心配されたって、お母さんは迷惑なだけかもしれない。


 私みたいな、親不孝者に心配されたって……。


「結愛、うちに帰ってくる気はないか?」

「え?」


 するとふと、お兄ちゃんが話題を変えた。

 ……ように思えたけれど、違う。


「母さんも少し意固地になりすぎたと、後悔しているんだ」

「……」

「母さんの職場の人に聞いた。結愛が家を出ていった頃から、母さんの様子がおかしくなったって。今回の病気は、ストレスが原因でもあるんだ」

「……」


 ストレスが、原因……?

 それじゃあ、私が原因だってこと?

 私のせいで、お母さんは倒れたの……?


「クルトはもう、綾乃ちゃんのところで住み込みで働けるだろう? 会うなとは言わない。これからはお互い自立して、別々に暮らすだけだ。世間一般の普通の恋人はみんなそうしている。だから、母さんを安心させてやってほしい」


 クルトはもうその話をお兄ちゃんにされたのだろう。

 無反応で、黙って聞いている。


「……無理、だよ」

「結愛」


 だけど私は、半端な覚悟であの家を出たわけではない。


「私は、もう家を出たんだもん、自分の意志で決めたの。ストレスなら私だっていっぱい感じてた。私は倒れなかっただけ……。それに、クルトと会っていいって、お母さんが言ったの? 違うよね、どうせ私が帰ったらまたあの家に縛られるだけだよ」

「結愛……」


 一気にしゃべった。

 兄を怒らせようが、軽蔑されようが、構わないと思った。

 だって今の私にはクルトが一番大切で、クルトと少しでも長く一緒にいたいと思ったから。


 もう少しで、二人で暮らすお金だって貯まるんだから。


「そうか……、わかった」


 とても悲しそうな顔をして、けれどお兄ちゃんはそれ以上私を説得しようとはしなかった。


 私だって、辛くないわけではない。胸だって痛んだ。

 けど、けれど……。

 自分の道は自分で決めるんだ――。



本日3回目の投稿です。

21時と22時頃にも投稿予定!

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