05.騎士クルト(※クルト視点)
時に人は、おかしな夢を見る。
まるで現実のような感覚で本気で焦ったり、絶対起きないようなことが起こってしまったり。
夢というのは不思議なものだ。
夢というのは――。
「……」
目が覚めて、随分おかしな夢を見ていたことを思い出した。
俺が暮らす世界とは違う、異世界に飛んだ夢。
見るものすべてが初めてで、不思議で、あり得ないような世界。
不思議な建物が建ち並び、鮮やかな色をした足の短い魔物が我が物顔で人々の横を走っていた。
取り乱す俺を人々は変な目で見るし、とにかく冷たかった。
頭がおかしくなってしまったのかと絶望し、虚無感を覚えた。
このままわけのわからない状態で俺は死ぬのかと覚悟したが、ただ一人、力尽きて倒れていた俺に親切にしてくれた女性がいた。そして彼女の家で食事をご馳走になると、そのまま彼女の家で眠りについた。
異世界になど召喚術を使っても成功する可能性は無に等しいのだから、あれは悪い夢だったのだろう――。
ふかふかで気持ちがいい布団のぬくもりに甘えたまま、目をつむってもうしばらく横になっていようと考えた矢先――。
「クルト! いい加減起きて!」
バンッと扉が開く音がして、夢の中で聞いた女の声が耳に響いた。
「な……っ!? ユア、なぜ……」
「寝惚けてるの? 悪いけど、私は学校があるから急いで!」
「学校?」
そう言って、またバタバタとそこから走り去っていくユア。
「……夢じゃなかったのか」
自分の頰をつねって、俺はその痛みに肩を落とした。
*
「――で、どうするつもり?」
「何がだ?」
「これから! 悪いけど私と一緒にもうじき出てもらうからね!」
朝食だと言って出されたパンからは、バターのいい香りがした。それをいただきながらユアに視線をやると、彼女は昨日と同じ短いスカートを穿いた姿で俺に言った。一瞬、自然と視線が彼女の白い脚に向く。
胸のあたりまで伸びた黒髪は細く、やわらかそうでサラサラとしている。
少したれ目な大きな瞳に長いまつげ、小さな唇と白くて艶やかな頰。
ユアの年齢はいくつなのだろうか。
化粧をしていないせいか少し幼く見えるが、身体はもう大人のそれのようだ。
しかし、飾らない様子がなんとも可愛らしい雰囲気である。
「出てもらう……では、俺はどこに行けばいいんだ?」
「知らないわよ、私に聞かないで。……あ、病院なんてどう? お医者さんに診てもらったら?」
そんなことを考えながら問えば、小さく笑って答えるユア。
……なんとなく、今馬鹿にされた気がする。ユアはまだ俺の言っていることを完全には信じていないようだ。
「医者に診てもらう必要はない。俺は正常だ」
「あ~、もう遅刻! 行くよ!」
「おい……っ」
ユアに急かされ、残りのパンを口に頰張る。
この後ゆっくり紅茶でもいただこうと思ったのだが……。
「あ、これあなたの服ね! 着替えはあげるから。それからこれ、お弁当あなたの分も作ったから、よかったら食べて」
「……」
一気にしゃべりながらテキパキと、綺麗になった騎士服と鮮やかな柄の布に包まれた小箱を渡してくるユアから、それらを受け取る。
「それから!」
「?」
「これ、どうしても困ったときに使って」
「……」
そう言って最後に手を取られて、一瞬ドキリと胸が跳ねた。握らせられた黄色の小さな封筒には、ぬいぐるみのくまのような、犬のような絵が描かれていた。これはなんだろうか。手紙か?
「じゃあ、頑張ってね!」
「……」
そう言うと、あっという間に腕を引かれて外に連れ出され、ユアは俺を置いて走り去ってしまった。
「……変な女だったな」
しかし、親切にしてくれたのは彼女だけだった。
この国の他の人間は、とても冷たかったのだ。
皆俺を変な目で見て、話しかけると逃げてしまったのだから。
遠くから好奇な視線を送ってくる者もいたが、俺が向けば目を逸らしていなくなる。
着ている服も俺の国のものとは違う、見たことのないものばかりだった。
それに、ユアのスカートもそうだがこの国の女性は随分露出の多い格好をしていた。
逆に、女性なのにズボンを穿いている者も多くいたな。
この街はそういうところかと頭を悩ませたが、どうやらそういうわけでもなさそうだった。
ともかく、とても遠くまで来てしまったらしいということだけはわかった。
腹が減っても、誰も俺の話を聞いてくれない。二日くらい食わなくても大丈夫だと思っていたが、精神的にも少し参ってしまい、動き回ったせいでいよいよ力尽き、最初に転移してきた場所で倒れていたとき、ユアが現れた。
〝大丈夫ですか?〟
という透き通った声に、一瞬天使が迎えに来たのかと思った。
黒い髪と白い肌がとても美しく、心配そうに俺を見つめる大きな瞳は優しい雰囲気を感じさせたが、同時に力強さのようなものが宿っていた。小さな唇が貝殻のように可愛らしく動いて何か言っていた。
そんな天使のように愛らしい彼女はどうやら人間で、それもちゃんと俺の言葉がわかるようだった。
やけに甘い菓子と紅茶をもらい、そんな優しい天使に甘えて彼女の家まで行き、食事をご馳走になった。
この国には俺が食べたことがないようなものがたくさんあるらしい。
ユアが作ってくれたものはどれも美味かった。
〝ご飯〟と呼んでいた白いつぶつぶの〝米〟というものも俺は食べたことがなかったが、それだけで十分満足のいくものだったから、つい遠慮を忘れて一人でほとんどを平らげてしまった。
元の世界に帰れたら、大金を持参して彼女にはしっかりと礼をしなければ。
俺は伯爵家の者としても、騎士としても、それなりに地位のある人間だ。
しかし、ユアは見返りを求めることなく呆気なく走り去っていった。
そんな彼女の後ろ姿を見えなくなるまで見送り、心の中で改めて礼を言う。
彼女は本当に神が仕えさせた天使だったのではないかと考えながら、俺は再びあの神社に向かった。