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49.ありがとうお兄ちゃん

「おはよう、ユア」

「おはよう……」


 結局私は一睡もできなかった。

 ただ目を閉じて、クルトが寝返りを打つ度にびくりと身体を揺らして夜が明けるのを待った。


 茶太郎が起こしにきたようで、先にクルトがベッドから身体を起こしたから、それに続いて私も起き上がると、クルトは平然とした様子で挨拶してくれた。


 クルトは眠れたのかな……?


 ともかく早めにホテルを出て、その日は綾乃の家に行った。


 目の下に(くま)を作ってクルトと一緒に現れた私を見て「どうしたの?」と聞いてきた綾乃とその両親に昨夜のことを説明すると、こちらからお願いする前に「うちに泊まりなさい」と言ってくれた。


 眠れないから一晩考えてみたけれど、今はこれしか方法がないように思える。


 綾乃のお父さんは、お金が貯まるまで工場の離れにある事務所の二階の仮眠部屋を、私たちに貸してくれると言ってくれたのだ。

 十畳ほどの部屋には休憩用のベッドとトイレがあり、十分人が生活していけそうだった。


 それだけでもありがたすぎる話なのに、彼女の両親は食事もお風呂も一緒にと言ってくれた。

 遠慮をすれば、「綾乃だってよく結愛ちゃん家にお世話になったでしょう」と、綾乃ママ。

 と言っても、うるさい親がいない私の家にただ泊まりに来ていただけだけど。


 彼女の両親には、本当に昔からよく面倒を見てもらった。

 親戚でもないのに、運動会や参観日で親が来ていない私の親代わりをしてくれたのを覚えている。

 本当に人情熱くて、いい人たち。私にとっては、家族よりも繋がりの深い人たち。

 そんな人たちのあたたかく優しい笑顔に、私は涙が溢れそうになった。


 おはぎとおもち、それから茶太郎には申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、彼らは私が拾ったのだから責任を持ってどこまでも連れていかなければと思う。


 三匹はとても仲がよくて、本当によかった。

 この子たちは私の大事な家族。

 あのまま広い家にいさせてあげられなくて本当にごめんね……。



 そういうわけで、私たちはクルトが働く代わりに離れに住まわせてもらうことになった。

 お給料も今まで通り払うと言ってくれたけど、同じようにもらうのはさすがに強くお断りして、そこから家賃や食費を引いてもらうことにした。


 私が頑張って働いてお金を貯めたら、二人で部屋を借りようと思う。




 ――そうして数日を過ごし、とうとう卒業式の日がやってきた。


 制服を家に置いてきてしまった私は、少し小さめだけど綾乃が一年生のときに着ていたものを借りて出席した。


 父はもちろん、母も来てはくれず、夜勤明けだったらしいお兄ちゃんだけが眠そうな顔で駆けつけてくれた。



「卒業おめでとう、結愛」

「ありがとうお兄ちゃん」


 そのまま兄とともに綾乃の家に足を運ぶと、お兄ちゃんは躊躇いがちに私に大きな鞄を渡してきた。


「これ、全部はさすがに無理だったが、結愛とクルトの着替え」

「……いいよ、いらない」


 あの日、母に言われたことを思い出して私は兄の厚意を突き返す。


「結愛、意地を張るな。バイト代だってそんなにないだろう? 自分の小遣いは自分の働いたお金でまかなっていたのは知ってる。親からの仕送りはほとんど使っていなかったじゃないか」

「……でも、食費とかには使わせてもらってたし」

「当たり前だ。それが親の義務だ。いや、あの二人は親の義務を果たしていたとは言えないんだ。だからお前がそこまで意固地になる必要はない。母さんだって本当はわかってる。結愛がすぐ泣きついて謝ってくると思ったんだろう。それに、綾乃ちゃんのご両親にも迷惑をかけるし――」

「あら、うちは構わないのよ、結愛ちゃんがいつまでいてくれたって」

「……」


 お茶を出しながら微笑む綾乃ママは、冗談か本気かもわからない言葉を発した。

 ……たぶん本気で言ってくれているのだろうけど。


「ああ、クルト君にはしっかり働いてもらうから、なんの問題もない」


 綾乃パパもにこやかに笑いながら続けた。


「……大学はどうするつもりだ?」

「大学には行きません。親に学費を払わせるわけにはいかないので」

「行かないって……、それで将来どうするんだよ!」


 一瞬慌てるように大きな声を出したお兄ちゃんだけど、綾乃たちの目を気にして咳払いをした。


「お金のことなら気にするな。親に頼れないなら俺が出すから」

「ううん。来年、保育科のある学校に行きます。それまでにある程度お金を貯めて、奨学金で通うつもりです」

「保育科……」

「私、保育士になりたいの。医者も弁護士も嫌。お兄ちゃんは立派だと思う。きちんと親に敷かれたレールを歩いて、踏み外さない」

「結愛……」

「私も、お兄ちゃんみたいになれたらよかったんだけど、なれなかった。だからこれ以上私を甘やかさないで」


 本当に、感謝はしてる。

 いつでも自分のことより私を思ってくれていたのだって、私のためにも親の言うことを聞いていたのだって、クルトを、受け入れてくれたことだって……。


 全部、感謝しているんだ。


「……わかった。母さんには時期を見て話してみるよ」

「ありがとう」

「ご迷惑をおかけしますが、妹をよろしくお願いいたします」


 改めて綾乃の両親に頭を下げたお兄ちゃんに、二人はあたたかい笑顔で応えた。


「……それから、クルト」

「ん?」


 最後に、リビングのソファで話していた私たちに気遣うような微妙な距離を置いて、ダイニングテーブルで綾乃とお菓子を食べていたクルトに、兄が気まずそうに近づいていく。


「帰り、見送ってくれよ」

「あ、じゃあ私も」

「いや、クルトと二人で話したい」

「……わかった」


 もう帰るらしい兄に見送りを指名され、クルトは黙って立ち上がる。


「……なんだろうね?」

「さぁ……男同士の話でもあるんじゃない? 妹をよろしく、的な」

「……」


 綾乃と一緒に二人の背中を見つめながら、私はなんとも言えない思いに胸が締めつけられた。



本日2回目の投稿です。

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