25.俺と兄上(※クルト視点)
「それじゃあ、私そろそろ行くから!」
「ああ」
「頑張れよ、結愛」
この世界に来て、ふた月――。
ある日突然帰ってきた、ユアの兄、ルイ。
俺が異世界からやってきたということを信じているかは定かではないが、この家に住むことは承諾してくれた。
今日はユアの学校は休みだが、彼女は仕事に行った。
十七歳のユアはこの家で一人で暮らしていた。侍女などの使用人も雇わず、家事も一人で行って昼間は学校に通い、夜や休日には働きに出るユアは、決して貧乏ではなさそうだった。
忙しくしていたいのは、もしかしたら一人が寂しかったのではないだろうかと密かに考えている。
この世界でも俺が騎士として働けたら……いや、他の仕事でもいいから、何かユアの助けになれたらいいとは思っているのだが、それは中々難しいようだ。
俺にはこの世界での身分証がないし、それは簡単に作れるものではないようだ。
この世界の服を着て、この世界の言葉を話せても――俺という存在はこの世界では認められないのだ。
こっちの世界に来た日からは考えられないほど、この世界の人々は俺に優しく接してくれる。
特に女性が、だが。あの日はこちらから話しかけても変な目で見られたのに、今では何もしていなくても向こうから声をかけてくる。
着ているものがそんなに変だったのか、混乱していたあのときの俺が相当おかしなことを言っていたのか……。
よくわからんが、下心なく本当に親切にしてくれたのはユアだけだ。
だから俺はユアのもとにいて、ユアを守りたい。
ユアは可愛らしい女性だ。
そのせいで以前危険な目に遭っていたが、今後はそのようなことが起きる前に阻止したい。
今の俺にできることは、それくらいなのだから――。
「――それでお前、本当の目的はなんだ?」
「む?」
ユアを送り出した後、二人きりになると、ダイニングテーブルでコーヒーを飲んでいたルイが、テレビを見ていた俺に鋭い視線を向けてきた。
「結愛もいないし、本当のことを言ってみろ。金に困っているのか、それとも結愛のストーカーか?」
「おい、ちょっと持ってくれ」
昨日の俺たちの説得も虚しく、ルイは俺を信用していないらしい。
まぁ、気持ちはわからなくもないが……。
「俺は本当に他の世界から突然この場所に来てしまったんだ! 俺の世界には魔法があったし、魔物もいた! この世界にそれらはあるのか!?」
ユアに散々言われてきたことをルイに言ってみる。
「あるぞ」なんて言われたらどうしようかと、未だに思ってしまう。
「……じゃあお前も魔法が使えるのか?」
「簡単なものなら使えたが……どうやらこの世界では使えないらしい」
「ふぅん……それにしても、どうしてわざわざ一人で暮らしていた女子高生の結愛のところへ来た。お前の世界にはそういう常識がないのか?」
腕を組みながら俺を睨むその視線は、完全に変態か何かと俺を疑っている目だ。
まぁ……可愛い妹なのだろう。
もちろん俺の世界でも一人暮らしの女性のところに住み着くなど、婚約者などではない限り常識的にはあり得ないことではあるが。
「それは……彼女が、ユアだけが、俺を助けてくれたからだ」
そして俺もまっすぐにルイに向き合い、再びあの日のことを思い起こした。
「誰も俺を助けてくれる者はいなかった。野垂れ死にしそうだった俺は、あなたの妹に助けられたんだ。食べるものをもらって、家に泊めてくれた。俺のことも信頼してくれた」
「……」
「だから俺も、彼女の力になれることがあるならなってやろうと思った。ただそれだけだ」
真摯にその思いを伝えると、ルイは俺を見定めるような視線を下げて、ふぅと息を吐いた。
「あの子は……結愛は、昔からそうだったんだ」
「……」
「捨てられている動物を放っておけない。教室に一人でいる子を放っておけない。ずっと、自分がそうだったからだ」
そんな話を始めたルイは、頭から俺を信頼していないわけでもなさそうだった。
「ずっと、自分が?」
「ああ、結愛から聞いたか? 親の話を」
「いや……詳しくは」
仕事で家を空けているのは聞いた。こんな家に一人で何かと大変だとは思っていたが。
「うちの両親は、昔から仕事人間だった。母親も結愛が生まれてすぐ、働きに出たんだ」
「へぇ……」
「保育所に預けられても、いつも最後まで親が迎えに来なかったあの子は、ずっと一人で待っていた。歳が離れているから、俺が迎えに行くことも、何度もあったが」
「……」
神妙な面持ちで続けるルイの話を、俺も黙って聞いた。
「それでもあの子はまっすぐに育ったよ。とても優しい子に、育った」
「それは知っている」
「……お前のことを放っておけなかったのも、家に住まわせてしまったのも、わかるんだ。だから俺はお前を追い出さなかった」
「……」
その眼を見て、理解した。
この兄は、俺を信用した云々の前に、妹に対する罪悪感や同情で俺を追い出さなかったのだと。
つまり、俺のためではなく、ユアのためなのだと。
「――やはりあなたは、ユアの兄上だな」
「どういう意味だ」
つい口元が緩んでしまう。
「いい奴だ」
「……」
そう答えると、数秒無言で視線が交わった。
だが、変な気まずさなんてものは感じず、逆に俺は気持ちのいい気分でさえあった。
「……とにかく。必要以上に結愛に関わるなよ」
「だから、ふた月も一緒にいたが何もしていない」
この兄貴も結構しつこいな……。そう思ったが、更に強い口調でルイは言った。
「そうじゃない。結愛に惚れるなって言ってるんだ」
「……惚れるなって、それはいくら兄上でも、好きになってしまったら仕方がないだろう?」
感情までコントロールできる自信はない。
何せ俺は、もうとっくにユアに特別な感情を抱いているからだ。
恩人に対する感謝以上の、特別な感情を。
困ったように眉を寄せて問う俺に、ルイは真剣に言葉を付け足したのだが――。
「やはりもう手遅れなんだな。だがこれは、お前のためにも言ってるんだ」
「……」
どうやら〝俺のため〟というのは本当のようだから、俺は口元を引き締め、一応「わかった」とだけ返事をしておいた。
……まぁ、無理だろうが。




