23.いつか訪れる覚悟はできていた
その後、久しぶりに日本に帰ってきた兄のために和食を振る舞った。
「美味い美味い」と褒めてくれる兄――琉生は、少し伸びた黒髪をかきあげながら昔と変わらない優しい笑顔を浮かべた。でも前より痩せたようにも見える。
きっと仕事が大変なのだろう。
「ところでお兄ちゃん、いつまでこっちにいられるの?」
食事を済ませてご機嫌の兄に、さりげなく尋ねた質問。
会えたのは嬉しいけど、できればすぐに帰ってくれると助かる。
「あぁ、実はな、これからはこっちの大学病院で働くことになったんだ」
「ええ!!?」
その質問に、兄はにっこりと笑って答えた。
私は思わず大仰に驚いて声を上げてしまった。
「……なんだその反応、嬉しくないのか?」
「あ、ううん、ビックリしちゃって……」
「そうだろ! 結愛を驚かせてやろうと思ったんだ!」
「……」
驚かせてくれるのは、もう十分です……。
そう言うのは心の中でだけにして、確認の質問を投げかける。
「じゃ、じゃあ、これからはこの家で一緒に暮らせるの……?」
「そうだよ。結愛にはずっと寂しい思いをさせて悪かった。これからは俺が一緒だから、安心して」
「……わぁ、嬉しい……。ありがとう」
確かに、三ヶ月前の私なら飛んで喜んでいたと思う。
幼い頃から、入れ替わりで帰ってきては忙しく働く両親のもとで育った。
私が高校生になる頃には兄も留学し、両親はほとんど家を空けるようになっていた。
そして今では、誰も帰ってくることはないこの家。
寂しくて寂しくて仕方なかった。
でも最近は、そんなことまったく気にならなくなっていたんだ。
単に私が親離れしたからというわけではないことは明らかで……。
彼が……クルトの存在が、私を救ってくれたことは考えなくてもわかることだった。
「あ……そうだ、私茶太郎の散歩に行ってくる」
「今からか? 危ないぞ」
「大丈夫。近所の回りちょっと歩いてくるだけだから。お兄ちゃんはゆっくりお風呂に入ってて」
スマホとお財布を持って、茶太郎にリードをつける。
急いで外に出て、いつもとは違う散歩コースを歩いた。
「――クルト!」
「ユア! と、茶太郎も来てくれたのか!」
まだ神社にいてくれたクルトに、茶太郎はしっぽを振って飛びついた。
リードを離しても茶太郎が逃げていくことはない。
「これ、どうぞ」
「ああ、すまない」
途中、自販機で買ってきたお茶をクルトに渡して、私も石段に腰かける。
「……どうしよう」
「何がだ?」
お茶を喉に流しているクルトの隣で、はぁ、と深く息を吐き出して、先ほど聞いた事情を彼にも説明することにした。
「――ということは、俺はもうずっとあの家に戻れないのか……?」
「……」
頷きたくはないけれど、否定もできない。
そんな私の反応を肯定と受け取ったクルトが、静かに口を開く。
「そうか……しかし、俺はユアだけが頼りなんだ」
「わかってるけど……」
私にもどうすればいいのかわからないから困ってる。
美しい青銀色の瞳を私に向けてくるクルトに、ここまで情が湧いてしまうとは、正直思っていなかった。
かわいそうだからとかではなくて、私自身もクルトと一緒にいたいと、今ではそう思っている。
「とにかく、もう少し考えてみるから……やっぱり二、三日これで頑張って」
散歩時用の小さなお財布を彼に渡す。コンビニで買い物くらいならもう一人でもできるはずだ。
「それじゃ、また明日来るから」
「おい……! 今夜はどこで寝れば――」
あまり長居して兄に心配かけるわけにもいかないから、茶太郎のリードを引いて、私は駆け足で家に戻った。
*
「……」
何食わぬ顔で帰って、お風呂に入って、もう一度どうしたものかと頭を悩ませる。
けれど簡単に答えは出てくれず、兄におやすみを言ってその日はもうベッドに入ろうと自室に入って、すぐだった。
コンコンコン――。
「!」
部屋の窓を、誰かがノックした。
コンコンコンコン――。
まただ。
ここは二階だし、もう深夜零時を過ぎているというのに、一体誰……? 怖い……!
恐怖心を抱きながらも思い当たる人物が一人だけ浮かんだので兄は呼ばずに、まさかと思いながらそっとカーテンを開いて外を確認した。
「クルト……!」
窓に貼り付いていたのはやっぱり彼で、ベランダもないそこで、クルトは両手をプルプル震わせながら「早く開けてくれ!」と声を出している。
「何してるのよ、こんな時間に……! 通報されちゃう!!」
とにかく窓を開けて彼を部屋の中に入れると、ふぅ、と深く息を吐き出してから真顔で私を見つめてきた。
「俺はここで寝る」
「……は?」
「考えたのだが、夜はさすがに兄上も部屋に入ってこないだろう? だから、俺はここで寝かせてもらう」
「ええ!? ここって、私の部屋で!? 無理無理無理無理……!! っていうかベッド一つだし……、しかもシングルだし!」
考えてもみなかった申し出に慌てて否定したけれど、そのせいで大きな声を出してしまった私。
「おいっ、そんなに大声を出すな!」
「んぐっ」
そんな私の口を押さえてきたクルトに手首も掴まれ、引き寄せられた。
「……!」
「……っ」
反射的に逃げようとしてしまった私は変な方向に力が入り、身体が横に傾く。
クルトもそのままバランスを崩して私に覆い被さるように続く。
結果、私たちはドサリとベッドの上に倒れ込んでしまった。
「…………」
視界を覆うようにクルトが私の上にいて、その距離は彼の二本の腕だけで保たれていた。
「ユア……」
「……っ」
先ほど、キスをしそうになったあの雰囲気を思い出す。
私たち、また――。
まっすぐに降り注がれるクルトの視線が熱くて、私の鼓動はドクドクと高鳴る。
とてもドキドキするけれど、怖くはない。
むしろ、このまま目を閉じたらどうなるのか、その先が知りたい自分がいた。
「……――」
「……何をしているんだ?」
「「あ……」」
けれど、深い溜め息をつきながら姿を現した兄に、私たちは同時に顔をそちらに向けて固まってしまったのだった。




