12.危険信号、その1
「……藤堂先生、やっぱりかっこいいなぁ~」
高跳びのお手本で背面跳びを披露した藤堂先生を見て、綾乃がぽつりと呟いた。
藤堂先生は中高陸上部で、高跳びの選手だったらしい。
「歳だってそんなに変わらないし、連絡先聞いちゃおっかな」
「いやぁ、さすがに教えてくれないでしょ」
そんなことを囁いた綾乃に、友香がクスクス笑いながら言葉を返す。
綾乃はどこまで本気で言っているのかわからない。
スタイルがよくて大人っぽい彼女は、年上が好き。
先月までは大学生と付き合っていたけど、今はフリーのはず。
「さすがに先生は無理じゃない?」
「そうそう、向こうもバレたらヤバいだろうし」
「それがいいんじゃない!」
私も話に加わって友香と一緒に否定したけど、綾乃はかえって楽しそうに笑った。
肉食系女子……恐るべし。
「ほーらそこ! おしゃべりばっかりして、俺の背面跳び、しっかり見てたのか?」
「見てました見てました、せんせーかっこよかったですよっ!」
お手本のジャンプを終え、いつの間にかこっちに近づいてきていた藤堂先生に指摘され、綾乃が代表して声を上げる。
「次は君たちにも跳んでもらうからな? 時岡も、大丈夫だな?」
「はい……!」
藤堂先生はいかにも体育会系の短髪黒髪で、爽やかな人。
「はは、まぁわからないことがあったら気軽に聞いてくれ!」
確かに、ちょっとモテそう。
ふわりと笑ったその笑顔を見て、綾乃はきゃっと声を出してから「彼女はいますかー?」なんていう質問をぶつけていた。
*
「あー、キツかったー。やっぱり陸上って嫌い~」
「ほんとー、私もうお腹ぺこぺこー」
体育の授業を終えて、お次は待ち望んだ昼休み!
まぁ、お弁当は毎日自分で作ってるやつだけど、おかげで料理には自信がある。
「さっさと着替えて行こ~」
「うん」
三人でおしゃべりをしながら更衣室に戻ってきた私たちは、ジャージとTシャツを脱いで、当然さっきまで着ていた制服に着替えるはずだった。
「あれ――」
だけど、異変にはすぐ気がついた。
鍵なんてかけられていないそのロッカー内に、私のブラウスが見当たらない。
「結愛? どしたの?」
「……ブラウスが、ない」
「え?」
いつまでも上半身を下着姿でいる私に声をかけてくれた綾乃に正直に伝えると、綾乃と友香も一緒に私のロッカーを覗き込んだ。
「また?」
「……うん」
そう、着替えがなくなるのは、これが初めてじゃない。
「ねぇ誰か、結愛のブラウス知らない?」
「綾乃……」
綾乃はすぐに眉をつり上げて、更衣室中に響き渡るように声を張った。
「え? 知らないよ?」
「結愛ちゃんブラウスなくなったの?」
「ちょっと誰ー? 誰か間違えたのー?」
ざわつく更衣室内で交わされる否定的な言葉。
そうだよ。この中に、意図的にブラウスを盗った人がいるわけない――。
「いい気味。ビッチなんだから、そのまま下着姿で戻ればよくない?」
「ちょっと理沙、やめなよー」
「……」
そう思いたかったけど、体育の授業は理沙のクラスと合同なのだ。
そんな言葉を吐いた理沙に、綾乃が食って掛かった。
「ねぇ、あんたが盗ったの?」
「は? ウザ。違うし」
「ちょっと綾乃! 私、先生に言って借りてきてあげるから!」
「ごめん、ありがとう友香……」
だけど既に着替え終わっていた友香が綾乃を止めて、更衣室から出て行こうとする。
「ヤダッ、ちょっと男子が覗いてたー! サイテー!! みんな気をつけてー!」
「え!?」
そして扉を開けた途端に入口から聞こえた声に私はパッとそっちに顔を向けて、ジャージの上着を胸に当てた。
「結愛ちゃーん、制服なくなったのー?」
「大丈夫ー? 俺のワイシャツ貸そうかー?」
「借りるかよバカ! さっさと行け!」
「こわっ!」
ハハハハハハ――!
更衣室の前から聞こえるケラケラと笑っている男子生徒のそんな言葉に、私の代わりに友香が罵声を浴びせてくれたから、私は声を出さずに済んだけど。
「こら! お前ら何やってんだ! そこは女子更衣室だろ!」
「あ、藤堂先生も一緒に覗く?」
遠くのほうから藤堂先生の声が聞こえて、彼らが遠ざかっていくのが声量でわかった。
「……」
「犯人、あのバカな男子じゃない?」
「結愛ちゃんのこと好きって奴、結構いるからねー」
結愛ちゃん大丈夫ー? という優しいクラスメイトの言葉に、もう一度ジャージに袖を通しながらなんとか笑みを浮かべた。
けど、ちょっと怖い。
犯人が女子なのだとしたら、誰かに嫌われているということだ。
まぁ、理沙辺りに嫌われているのは知ってるけど、あの反応は犯人ではないと思う。
もし男子だとしても、それはそれで怖い。私のブラウスを盗んでどうする気だろうか。
*
「時岡、ちょっといいか」
「はい」
友香が借りてきてくれたブラウスを着て教室に戻ろうとしていた私たちに、藤堂先生が声をかけてきた。
「……じゃあ私たち先に行くね」
「うん」
藤堂先生を見て一瞬嬉しそうに顔を輝かせた綾乃だけど、先生の目が私に向いていることに少し残念そうに肩を落とし、友香と教室へ戻っていく。
「話は聞いた。大丈夫か?」
「はい……」
藤堂先生は今年が教師一年目だけど、生徒のことをよく見てくれている。
こうして心配して声をかけてくれるのだから、担任よりもいい先生かもしれない。
「前にもこんなことがあったんだって?」
「はい、体育祭のときに、替えのTシャツがなくなったことがあって……」
「ああ、あのときか。誰がやったのか、心当たりはないのか?」
「……ありません」
私は、自分で思っているよりも嫌われているのかもしれない。
友達や同級生を疑いたくはないけれど、一度この人が怪しいかもと考えたら、誰のことも信用できなくなってしまう。
「そうか……また何かあったら、いつでも相談してくれよ?」
「はい、ありがとうございます」
昼休みがなくなってしまうから、藤堂先生にぺこりと頭を下げて、私は足早に教室へ戻った。
*
「――悠真が犯人だったりして」
「まさか……さすがにそこまではしないでしょ……」
「でも結構しつこくされてるんでしょう?」
「うん……まぁ」
お弁当を広げながら、綾乃と友香と三人で集まって、ブラウス泥棒の犯人を考えてみた。
綾乃は悠真を疑っているようだ。
「さっきの体育の時間、あいつが不振な行動とってなかったか彼氏に聞いてみるね!」
「ありがとう、友香」
それに続いた友香には、悠真と同じクラスに彼氏がいる。
「気持ち悪いよね、なんか……」
「……うん、そうだよね、大丈夫? 結愛」
私以上に顔色を悪くして、友人たちが心配そうに私を見つめる。
「大丈夫だよ! 別に下着がなくなったわけでもないし、ブラウスは毎日ちゃーんと洗ってるから、たぶんそんなに臭くないと思うし!」
「そういう問題じゃないでしょ!」
「……はは」
だから、あえて笑って言ってみたけど、綾乃に怒られた。
でも口だけでも「大丈夫」って言わないと、本当に怖くなりそうなんだもん。
怖いと認めた途端、この場にいるのも辛くなりそうだから。
だから自分に言い聞かせるように、「大丈夫」と言いたかった。
私にはこんなに優しい友達もいるし、ブラウスの一枚や二枚、また買えばいいだけだし、しっかりしないと!
「でもやっぱりちゃんと先生に相談して解決してもらったほうがいいんじゃない?」
「うん……でも親に連絡行くのは嫌だしなぁ」
「体育祭のときもそう言ってたけど、これで二回目なんだよ?」
「うーん」
友香と綾乃は私を心配してちょっと怒るみたいにそう言ってくれるけど、私はこういうことが親の耳に入るのは避けたい。
私が一人で暮らしているせいで面倒なことになっていると思われたら、どちらかのところに連れて行かれるかもしれないから。
「それより友香は彼氏と最近どうなの! 順調?」
「え? ふふ、まぁね~!」
「いいなぁ~、幸せそう!」
気持ちを切り替えるように明るくしゃべって話題を変えると、それを察してくれたように友香が頰を緩めた。
友香は肩までの短めの髪型がとっても似合う可愛くて優しい女の子。
最近、隣のクラスの幼馴染とついに付き合い始めたのだ。
「結愛も早く彼氏作りなよぉ、いい人いないの?」
「私はまだいいかな」
「そんなこと言って、もう女子高生終わっちゃうじゃん!」
もったいないんだから! と、綾乃もこの話に乗ってきて、私たちには自然と笑顔が戻っていた。