上.セミの音響く古典世界
古代ギリシアにおいてセミは夏に現れて優美な音楽を奏でる虫であり、管状の口で露を食すと考えられていた。
イソップ物語の「アリとセミ」に登場するセミは音楽を奏で続けて冬を越さずに死ぬ。アリストテレスの動物誌ではアリが最も勤勉な動物とされているのに対して、セミは歌う動物だとしている。
また体内の膜の空気摩擦によって音を出すことや、卵から幼虫になってそののちに脱皮して蝉になることも知られていた。
テオプラストスは植物誌で、セミの数が多いとその年の気候が不安定になると書いたが、因果関係は分からない。
アテネでは多弁な人間を揶揄するときには「君は早々にセミを上回ったようだ」という言い回しを用いた。一方でホメロスの「イーリアス」やアリストパネスの「平和」、アルカイオスの断片など詩や劇の中ではセミの騒々しさは形を潜めて美しい音色や繊細な音色と評される。
ティマイオスはピューティア大祭における竪琴弾きのエウノモスを称賛する際に、あらゆる生き物の中で最も音楽の才能に長けているセミでも彼に及ばないと記述した。
ギリシャ神話には老いて幽閉されたティトゥノスがエーオースによってセミに姿を変えられた物語がある。この解釈は幾つかあるようで、彼が良く歌っていたからとか、エーオースにとって騒々しかったとか彼女が関心を失くしたためとか言われる。
トゥキディデスによれば彼の世代より少し前のアテネの老人たちは、髪型を維持するためにセミの造形をした金の髪飾りをつけていた。利益を齎すと考えられていたようだ。
アテナイオスの「食卓の賢人たち」には焼いたセミの料理が俱されている。
セミは昔から食用でもあった。アリストテレスは蝉の幼虫が甘い味であることや、また卵を持った成虫の雌が美味しいことを記した。
ラテン語ではセミをチカ―ダと呼ぶ。一説によれば木に住むコオロギが語源だという。
古代ローマのプリニウスはセミの生態を書いている。博物誌では、蝉が飛び立つ時にほぼ水で構成される液体を飛ばすことや、視力が低いこと、夜間に幼虫から成虫になることに触れられている。しかし鳴かないセミがいるという記述はあるが、雌が鳴かないということは知らなかったようだ。
雌のセミが鳴かないという事実はセレウシアのゼナルカスが言及していたという。
セミの歌声に対する賞賛や騒々しさはロンゴスによるダフニスとクロエや、マルティアリスのエピグラムマタに見られる。
インドや中東でも古くからセミは騒々しく鳴いていた。
ラーマーヤナの詩の中では早朝の森の中で甲高い鳴き声を響かせ、ムファッダリヤートの詩では高原で陽光を浴びながら喧騒で大気を満たしていた。
アルプス以北ではセミは殆ど見られない。そのため鳴き声が似ていることからイギリス人は古典に登場する蝉をキリギリスと解釈し、フランスにおいてアリとセミの寓話は中世の装飾写本においてアリとキリギリスに改変された。
一方、南フランスやスペイン、そしてイタリアでは蝉は夏の象徴であり続けていた。プロヴァンスの言い伝えでは寝坊した農夫を起こすために遣わされたと言うが古典には確認できない。
セミの装飾品は4,5世紀の民族移動時代にクリミアからオーストリアに至る、広範な地域のサルマタイ人墳墓から発見されている。
東ゴート王国やメロヴィング朝でもセミの装飾品は採用された。キルデリック王の遺品だったサルマティア様式のマントは金色のセミのブローチで装飾されていたという。古代のギリシャ人の移住と起源は関係するだろうか。
7世紀にはスペインのイシドールスの「語源論」ではセミは夏の真っ只中に甘く歌うとしている。
13世紀の北フランスで暮らしていたボーヴェのヴァンサンは、自然の鏡において自身の住むところよりより暑い場所にセミが生息していると書いた。
また同時期のドイツの神学者アルベルト・マグヌスは暑い時期の夕方や夜に鳴く種と、木々の中で鳴く種を挙げる。頭と胴が分かれても美しい歌声は保たれるという。
13世紀、ウェールズのジェラルドは、イタリアのキリギリスについて「脚で跳ばずに羽根で飛ぶ品種で、頭を失った方が良く歌うのでイタリアでの羊飼いはセミの頭を引っこ抜く。冬になると死に、春になると元気を取り戻す」という。また死んだセミの方が良く鳴くということについて、キリスト教の殉教と関連付けている。
同時期のイタリアで書かれたチェラーノのトマスや神学者ボナヴェントゥラによるアッシジのフランシスコについての伝記には、聖フランシスコが教会の独房に舞い降りてきたセミと共に賛美歌を歌う逸話が記されている。
「セミは独房の傍のイチジクの木に留まり、彼女の歌によって創造主を賛美することに駆り立てられた。ある日、フランシスコが彼女を呼ぶと、セミは彼の神聖さに導かれるように彼の手に留まった。フランシスコが共に創造主を賛美するように言うと、セミはすぐ従って鳴き始めた。セミは独房に8日間留まり、フランシスコが呼ぶたびに彼の手に留まった。フランシスコはこれまで喜ばせてくれたことに感謝してセミに休暇を与えると、セミは飛び去り二度と現れなかった」
ここではセミは雌として扱われている。
18世紀の博物学者ルネ・レオミュールは「昆虫誌」においてセミの歌声が雄の求愛行動であったと記述する。それまで雌のセミが鳴いていると信じられていたのである。