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第64話、嵐の夜

 頬にぽつりと雫が落ちた。

 

「うっ――」


 クリスティーナは呻いて、目を開けた。

 体が痺れたようにうまく動かせない。それにひどく重い。

 頭に霞がかかったように、うまく考えられない。

 しかし、徐々に体の感覚が戻ってくる。

 何故だか、顔が痛い。

 クリスティーナはうつ伏せていた顔を持ち上げた。見れば、ごつごつした小石が目にはいる。痛みの正体はこれか。納得するも、何故自分はこんなところにいるのだろう。  

 雨がぽつぽつと体に降りかかる。

 クリスティーナは腕で支えて、上半身を持ち上げた。周りは薄暗かった。どうやら日が暮れるようだ。目の前には森が広がっていた。

 自分の体を見ると、服が濡れて全身にべったりとくっついていた。


「あれ、わたし一体――」


 そこで聴覚も正常に機能し始めた。すぐ後ろで轟々と流れる川の音が聞こえた。

 その瞬間に全て思い出した。


「わたし、崖から落ちて――」


 でもここにこうしているということは、助かったのだ。ほっとして、川のほうを振り返る。

 足が完全に川に浸かっていた。けれど、そのすぐ横を見て――


「アレクッ!!」


 クリスティーナと比べて、大部分が川に浸かって、うつ伏せで倒れているアレクシスの姿があった。


「アレクッ!」


 クリスティーナは急いで寄った。

 アレクシスの意識はない。

 アレクシスがここにいるということは、アレクシスもあのあと、川に飛び込んだのだろう。

 思い当たる理由はただひとつしかない――。


(わたしを助けるために――)


 アレクシスが気を失ったクリスティーナを激流の中見つけ、逆巻く川の流れに逆らって、川岸にたどり着いたのだろう。

 でなければ、今、ここにこうして生きてはいない。

 

「ああ……」


 クリスティーナは息を吐いた。そこには言葉では言い表せぬ感情がこもっていた。

 何という無茶をしたのだろう。まだその体は万全ではないというのに。全力を出し切ったに違いなかった。

 アレクシスの頬に触れれば、ひどく冷たかった。顔も青白い。どうやら力尽きて、気絶したようだ。


(いけない。早く川から出さなければ)


 クリスティーナはアレクシスの腕を持ち上げて、肩にかけた。火事場の馬鹿力とはこういうことを言うのだろう。

 普段だったら、絶対持ち上げられないアレクシスの体をクリスティーナは担いだ。

 足が震えそうになるが、堪える。

 自分のために命をかけてくれたのだ。今だったら、アレクシスのためだったら、なんだってできる気がした。

 とりあえず、雨よけのため、森の中に入っていく。 

 川岸からは見えなかったが、数百メートル先に薄ぼんやりと小屋が見えた。


(良かった。休める。あそこまで行こう)


 クリスティーナはアレクシスを担いで歩き出した。歩みは非常に遅かった。その間に雨足が強くなり、容赦なくふたりを打っていく。

 薄暗い中で、視界が更に悪くなった。


(どれくらい流されたんだろう。アイナは無事かな。それにシルヴェスト殿下たちも)


 あのあとどうなったか心配ではあるが、知るすべはない。今は一刻も早く、アレクシスを安全な場所に連れていきたい一心で、クリスティーナは歩を進めた。

 小屋の入口にたどり着いた時は、全身疲労まみれだった。ぜいぜいと肩で息を吐く。小屋の前の数段の段差が、一山越えるくらいの苦行に思えたが、クリスティーナは手すりにつかまり、何とか乗り越えた。

 幸運にも、小屋は鍵がかかっていなかった。

 中に入れば、目の前にテーブルと椅子が四脚置かれていた。他に家具は見当たらない。

 狩猟小屋か何かだろう。少し空間をあけて、奥には暖炉があった。クリスティーナはアレクシスをその前に降ろした。

 ほっと息を吐く。

 寝台がないのは残念だが、雨露をしのげるだけ充分と思わなければ。

 室内を見回した。

 頭上には壁から壁へ紐が吊るされていて、乾燥した薬草がいくつもぶら下がっていた。おそらくこの森で採れたものだろう。

 部屋の隅には何枚も毛布が積み重なっている。この小屋で寝泊まりするときに使っているのかもしれない。

 クリスティーナは毛布を二枚重ねて床に敷いた。

 ずぶ濡れのアレクシスの服を脱がせる。

 ズボンに手をかけた時、少しだけ躊躇ったが、あまり見ないようにして脱がした。完全に裸にさせると、毛布の上に横たえる。その上から残りの毛布をかけた。

 触れた体は随分冷え切っていた。顔も青白い。時折、痙攣するように体が震えている

 毒が完全に抜けきっていない状態で無茶をしたのだ。このままでは命にかかわるかもしれない。

 外はいまや完全に闇に包まれ、激しい雨風が小屋の窓や壁を叩いている。びゅうびゅうと吹く風の音とがたがたと揺れる窓の音が一層恐怖心を煽った。

 クリスティーナは息を呑んで、青白いアレクシスを見つめた。


(どうすれば――!)


 ふと薄暗がりの中の暖炉に目が向いた。

 暖炉があるなら、薪もあるはずだ。

 クリスティーナは外に出て、小屋を回った。予想通り、薪が軒下に積んであった。

 両手に抱えるだけ抱えて、小屋に戻る。

 暖炉の中に並べ、置かれてあった火打ち石を手に取る。

 火口をどうするべきか悩んだが、小屋の主に心の中で詫び、乾燥させてあった薬草を火口にして、火打ち石を鳴らした。何度目かの挑戦で煙がたった。消えないよう息を吹きかける。小さな火が灯った。勢いを増したところで薪に移し、無事火が渡ると、ほっと息を吐いた。

 これで暖かくなるといいが、それまでにはまだ時間がかかる。

 クリスティーナはアレクシスを振り返った。

 胸が苦しそうに上下していた。眉が苦悶に歪んでいる。寒いのか、おこりのように震えている。


(まだ足りない。――そうだ、人肌には体を暖める効果があるって教わった)

 

 クリスティーナは決心すると、自身もずぶ濡れになった服を脱ぎ始めた。

 シャツを脱ぎ捨て、ズボンも脱ぎ捨てる。晒と下着姿になったが、濡れているため、アレクシスの体には負担になると悟って、潔く全部剥ぎ取った。

 自分の服とアレクシスの服を吊るされた紐にかけると、一糸まとわぬ姿で毛布の中に潜りこんだ。

 その体に腕を回し、自分の体温を移すようにぴったりと体をくっつけた。


(早く、あたたまって!)


 祈るような気持ちで、ぎゅっと抱きしめる。

 吹き荒れる嵐が自分たちを世界から断絶してしまっても、決してこの命を諦めるつもりはなかった。

 クリスティーナはアレクシスにずっと寄り添った。

 アレクシスを暖炉と自分の間に挟むようにして、火が消えないように一晩中、薪を継ぎたした。

 どれほど時が過ぎ去ったかわからなくなった頃、アレクシスがようやくその表情を安らいだものに変えた。苦しそうだった呼吸が穏やかな寝息へとかわっていく。クリスティーナは安堵の息を吐いた。

 いつの間にか嵐は過ぎ去っていたが、クリスティーナの意識の中には既になかった。

 外が白み始めていた。だがそれに気付くこともなく、疲れと恐怖から解放されるように、クリスティーナはようやくその瞼を閉じたのだった。

 

 

 

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