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第6話、親交

「アレクシス!!」


 少年の格好をしたクリスティーナは、目に入った人物を認めて、走り出した。大きく手を振ると、公園の入り口に立っていたアレクシスが振り返る。

 陽光に弾かれて、赤い髪がきらきらと舞った。アレクシスは歯を見せて笑った。


「遅いぞ」


「ごめん、ちょっとタイミング見てたら――」


「タイミング?」


 クリスティーナは慌てて首を振った。


「ううん。こっちの話」


 目を光らせていたペギーの視線をかいくぐり、目を離したすきに慌てて出てきたのだ。


「そうか。――さっそく行こう」


 アレクシスは顎で示した方向はこの前と同じ川のほうだった。クリスティーナは勿論異論などなかったが、アレクシスには何故か人が従いたくなるような、不思議な力があるように思えた。それは人を従い慣れているアレクシスの経験からくるものだったが、クリスティーナはまだ知る由もない。

 アレクシスと二人並んで、川に行けばこの前と同じ場所に老人が立っていた。


「こんにちは、おじいさん!」


 クリスティーナが喜んで声をかけると、老人も相好を崩した。


「おや、またお前さん達かい。今日も遊びに来たんだね」


 クリスティーナとアレクシスが近付いてバケツの中を覗き込めば、既に魚が二匹泳いでいた。


「せっかく来てくれたが、今日は午後から用事があってね、もう行かなくてはならんのだよ」


 老人が残念そうに眉を下げれば、クリスティーナもがっくりと肩をおろした。


「そうなんだ。せっかくおじいさんに会えたのに、もう行っちゃうんだね」


 アレクシスもどうやら肩をさげたようだが、クリスティーナほどではなかった。二人の様子を見かねたのか、老人がたも網を差し出した。


「代わりと言ってはなんだが、これを貸してあげるよ」


「いいのか」


 アレクシスが予想外の提案に驚いて口を開くと、老人が川下を指差した。


「もう少し行った先に、ここより流れが緩くて浅瀬のところがあるから、そこで遊ぶといい。対岸に茂みが生えてるから、その下なんかに、魚がいるから見てごらん」


 アレクシスは手渡されたたも網を見て、戸惑う。


「でもこれはどこに返せば――」


「わしはいつもここに座って釣りをするから、この岩の下に返してくれればいい。明日の朝、取りに来るよ」


 アレクシスは心から老人の親切心に感謝した。老人の目を真っ直ぐ見て言う。


「わかった。必ず返しておく」


「ありがとう、おじいさん」


 クリスティーナが感謝の言葉をかけると、老人はクリスティーナを優しく見下ろした。


「川岸にある小石もどけてごらん。その下に面白いものが隠れているから」


「面白いもの?」


 クリスティーナが首を捻ると、老人はくすりと笑った。


(この前の反応からして、この子達はどうやら川は初めてのようじゃ。格好からして貴族のようだが、きっとあれも初めてじゃろう)


「ありがとう、爺さん」


 アレクシスはたも網を手にあげて、駆け出しながら元気よく振り返る。クリスティーナも慌ててあとを追った。仲良く駆けていく小さな背中を、老人は暖かく見送った。

 


 老人の言葉通り、クリスティーナたちは子供でも渡れるような浅瀬に行き着いた。川幅は先程よりも大きくなり、所々、大きさもまばらな岩が転がっていて、それを渡って行けば、向こうの川岸まで行けそうだった。

 アレクシスは早速岩の上に飛び乗った。点々とする岩を足場に、対岸の近くまで軽々と渡っていく。後ろからはクリスティーナがこわごわ付いていく。


「茂みってあそこかな」


 アレクシスが指した場所には水際の植物たちが群生して、緑豊かな生命力を放っていた。


「そうじゃない?」


「よし」


 クリスティーナが答えれば、アレクシスは靴と靴下を脱いで、裾をまくった。躊躇いもなく、川の中に飛び込むと、茂みのほうに進んでいく。


「アレクシス!」


 クリスティーナが驚いて声をあげれば、アレクシスが振り返る。


「クリスも来いよ。気持ちいいぞ」


 クリスティーナは戸惑いながらも結局は従った。隣の岩に靴と靴下を置いて、アレクシスを追いかける。ひんやりした川の感触が足を包み込み、川の流れが足の間を流れていく。


「どう? いそう?」


「見えないからわからないけど、いそうだな」


 アレクシスはたも網を茂みの下に潜りこませた。魚影がほんの一瞬、茂みの影から出て、また茂みに隠れるのが見えた。


「いたね!」


 クリスティーナが喜んで声をあげる。


「ああ。――爺さんが釣ったのと比べると小さいけど。捕まえてみたいな」


「うん!」


 それから二人は何度も挑戦し、失敗を味わった。試行錯誤を繰り返し、クリスティーナが反対から囲い込み、アレクシスが網を慎重に動かすようになった頃、初めて魚がたも網に引っかかった。しかし魚は、クリスティーナとアレクシスの目線まで勢いよく跳ね上がってたも網から逃れると、また元の川の流れに戻っていった。

 クリスティーナとアレクシスは呆然と互いの顔を見合った。

 アレクシスが悔しそうに唇を噛んだ。


「あともう少しだったのに」


「上手くいかないね」


 クリスティーナも肩を下ろした。そこで老人の言葉を思い出す


「ねえ、今度は石の下、探してみようよ。面白いもの、見つかるって」


「ああ、そうだな」


 二人は元の川岸に戻ると、石をひっくり返した。老人の言ったものはすぐに見つかった。小さな鋏をふたつ持った奇妙な赤い生き物がそこにいた。


「蟹だな。こんな小さいのは初めてだけど」


「知ってるの? すごいね」


 クリスティーナが蟹から目を離せないまま、感心して呟いた。アレクシスが驚いたように、クリスティーナを見た。


「見たことないのか? 食事に並ぶだろ?」


「食べられるの?!」


 クリスティーナが今度は驚く番だった。こんな奇妙な形のものから、一体どんな味がするのか、全く想像がつかない。クリスティーナの丸くなった目に、アレクシスは気圧されてしまった。


「……ああ。これは食べられるかわからないけど、もっと大きいやつなら食べたことある。けっこう美味しいぞ」


「へえ…」


 クリスティーナは感心したように呟いた。


(やっぱり、アレクシスはお金持ちの貴族なんだろうな。内陸のこの国では、海の珍しい食べ物は、すごく高いってペギーが言ってたもの)


 クリスティーナは小さな可愛らしい蟹に手を伸ばした。けれど、クリスティーナの指先が蟹を捕まえるよりも先に、蟹が鋏を振り上げた。


「痛いっ!」


 クリスティーナは勢いよく腕を振りあげたため、指の先を挟んだ蟹が指から離れ、綺麗な弧を描いて、空中を飛び、川の中へとちゃぽんと可愛い音を立てて消えてしまった。

 その様子を見ていた二人はどちらともなく、吹き出した。


「お前、いくら痛いからって、振りすぎだ。大袈裟なんだよ」


 口調は責めているように聞こえるが、アレクシスの声音は明るく楽しげだった。腹を抱えて笑うアレクシスに、クリスティーナも頬をふくらませたが、結局つられて笑ってしまった。


「だって本当に痛かったの。次はきっと上手に捕まえるよ」


 笑いをようやく引っ込めたアレクシスも、クリスティーナに倣って、蟹探しを始めた。

 二匹目はすぐに見つかった。けれど、クリスティーナはなかなか捕まえられなかった。掴もうとすると、鋏をあげて威嚇してくるので、手が出せない。掴む前にまた、鋏で挟まれそうになるので、そのたびに手を引っ込めた。何度目かの挑戦を試みていると、アレクシスが隣にやってきた。


「捕まえたぞ。――ほら」


 見ればアレクシスの親指と人差し指の間に、胴をとられた蟹が鋏を動かしていた。


「すごい。どうやったの」


「正面から行くと、鋏に挟まれるから、後ろから掴むんだ」


 単純明快な解決策だったが、クリスティーナは自分では思いつかなかったために、アレクシスに素直に感心した。


「アレクシスって頭良いね!」


 クリスティーナの真っ直ぐな眼差しを受けて、アレクシスは面食らった。

 褒められ慣れているはずなのに、どうしてだろう。こんな嬉しい気持ちになるのは――。


(きっとこいつがいちいち大袈裟だからだ。周りの教師たちはもっとお高い所から、俺を褒めるから)


 アレクシスは気恥ずかしさから、ふいっと視線を外した。こんな風に誰かの視線から逃れたくなるのも初めてだった。

 最初は変わった少年だと思っていたが、今ではむしろそこが好ましく、この少年ともっと過ごしていたいと思うようになっている自分の心の変化にアレクシスは気付いた。


(ただの暇つぶしの相手だったのにな。退屈な相手だったら、すぐに関係を絶つつもりでいたけど――)


 アレクシスに教わったやり方で、蟹を掴み上げたクリスティーナの嬉しそうな笑顔が自分に向けられるのを見て、アレクシスは眩しげに目を細めた。



 


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