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第5話、初めての経験

 二人で川べりを歩いていると、釣りをしている人が目に入った。大きな岩に腰かけ、釣竿を川に向けている。

 クリスティーナが近付いて、そばにあったバケツをのぞくと、クリスティーナの手の平よりもっと大きい魚が銀色の鱗を煌めかせ泳いでいた。


「わあ」


 初めて間近で見る生きた大きさの魚にクリスティーナが歓声をあげると、釣人がクリスティーナに目をやった。


「どうじゃ、立派じゃろう」


 白い髭を鼻の下に蓄えた老人は手元を動かさず、目を細めた。


(随分、可愛らしいお客さんが来てくれたものじゃ)


 孫と対して歳は変わらなそうだと思っていると、竿先が反応した。素早く釣竿を引っ張れば、予想通り釣り針に魚がかかっていた。

 突然、水面から姿を現した魚にクリスティーナもアレクシスも目を丸くした。

 老人は横においてあるたも網を掴むと魚をその中にいれ、器用に釣り針を外してバケツの中に魚を放り込んだ。

 クリスティーナにとって、釣りをこんなに近くで見ることも、そして魚が釣り上げられる光景も初めてのことで、感激してしまった。

 老人は釣り針に餌を取り付けると、再び釣り糸を川に垂らした。

 

(もう一回、魚を釣れるところを見たいな!)


 アレクシスをちらりと見ると、アレクシスもここから離れる気配はないようで、老人を挟んで二人して釣り糸の先を見つめた。

 老人が再び魚を釣り上げたとき、どうして魚が餌に食いついたのが知れたのか、クリスティーナには全くわからなかった。

 老人が隣にいるクリスティーナにたも網を寄こしてきた。


「良ければ、今度は坊やが魚を掬ってみるかい」


 またとない申し出にクリスティーナは喜んで受け取ると、暴れ回る魚をなんとか網に入れた。眼の前まで手繰り寄せるが、網の中で暴れる魚に、戦々恐々して手が出せない。

 たも網を掴んだまま固まってしまったクリスティーナに老人が笑い声をあげた。


「怖いのかい。大丈夫。魚は噛みつかないよ」


 老人はクリスティーナからたも網を預かると、網から魚を取り出し、喉から釣り針をすっと抜いた。ぼちゃんと音をあげて、魚がバケツの中で跳ねあがる。クリスティーナの胸はまだドキドキしていた。

 その後も老人の隣に佇んだ二人は、3回目の釣り上がる魚を見た。今度もじっと見ていたが、やはりクリスティーナには魚が餌にかかった瞬間を見極められなかった。


「今度はそっちの坊やがやってみるかい」


 老人はアレクシスにたも網を渡そうとした。

 アレクシスはむすっと眉を寄せる。


「坊やという歳じゃない」


「すまない、すまない。わしくらいの年になると、お前さん方みたいな年の頃の子はみんな、可愛く思えてきてしまってな。決して悪気があったわけじゃない。許しておくれ」


 老人が素直に謝れば、アレクシスも眉根を解いた。たも網を受け取り、引き寄せた魚を掬う。アレクシスはクリスティーナと違い、怖がる様子もなく、魚に手を伸ばした。魚がどんな感触か知りたかったのだ。

 思ったより柔らかくて、でも所々ちくちくして、アレクシスは初めての感触を味わった。魚が逃げ出さないよう慎重に両の手の平で包みこむ。


「どれ、そうして持っていてごらん。釣り針を抜くから」


 老人が魚に手を伸ばすのをアレクシスは慌てて止める。


「待って。それ、俺がやりたい。さっき見てるから、やり方はわかる」


「じゃあ代わりに、わしが魚を持っていてやろう。初めてだろうだから、暴れないように持っているよ」


 老人の言葉に素直に従い、アレクシスは、魚を手渡した。眼の前に掲げてもらった魚から、針をじっと見て、すっと抜き取った。上手くいった。

 老人が関心したように両の眉をあげた。


「上手い、上手い。お前さんはよく見ているし、飲み込みが早いようだね」


「まあね」


 アレクシスはあっさりとした返事をしただけだった。教師から褒められることはよくあることだったから、アレクシスの反応はどうしても薄くなってしまう。

 それに対して、正反対なのはクリスティーナだ。


「すごいね! わ、僕なんか触れもしなかったのに」


 アレクシスをきらきらした目で見つめ、クリスティーナは次に老人を振り返った。


「おじいさんも不思議! どうして、見えないのに魚が引っかかったのがわかったの」


「わしが見ているのは川の中じゃなくて、竿の先なんだよ」


「竿の先?」


「そう。魚が食いつくと、わずかに揺れるから、それでわかるんだよ」


「そうなんだ。全然気付かなかった。てっきりおじいさんは魔法を使ってるのかなって思いそうになったくらい」


 隣にいたアレクシスはクリスティーナの発言に目を丸くした。老人がからからと笑う。


「魔法か、それはいい。それじゃあ、わしは魔法使いかな。それならお前さん方は、このわしへ豊穣の神から遣わされた天使かな」


 老人は空を見上げた。


「さて、もうこんな時間か。わしはもう行くよ。お前さん方も暗くならないうちに帰んなさい」


 別れの挨拶を交わして、クリスティーナとアレクシスは老人の背を見送った。

 見れば家を出たときに頭上にあった太陽は、すっかり西のほうに傾いていた。思ったより長い時間、ここで過ごしていたようだ。


(いけない。帰らないと。ペギーがとんでもなく心配してるはずだわ)


 クリスティーナはアレクシスと向き直った。

 今日は最高の一日だった。最初で最後の冒険にしては、上出来で有意義に過ごせたことにクリスティーナは満足した。それと同時に、もう二度と味わえない素晴らしかった時間に一抹の寂しさを覚えて、クリスティーナはアレクシスに別れの挨拶をしようとした。けれど、アレクシスが先に口を開いた。


「なあ、一週間後も同じ時間に会えないか」


 アレクシスは何気なく誘ったつもりだったようだが、クリスティーナが大きく目を見開いて凝視してくるのを見て、たじろいだ。


「いやなら、別にいい――」


「行くっ!」


 クリスティーナはアレクシスの言葉を遮って、気付けば口が勝手に返事をしていた。思いがけない提案に、一瞬思考が停止したようだ。

 アレクシスはクリスティーナの返事を聞くと、嬉しそうに笑った。


「そうか。それじゃまた、ここで会おう。約束だな」


「うんっ。必ず行くね」


 クリスティーナも嬉しそうに口元をほころばせた。


「それじゃあ」


 アレクシスは別れの挨拶を口にすると、クリスティーナに背を向けて、来た道へと向けて駆けていった。クリスティーナは別れを惜しんで、その背が見えなくなるまで見送ったのだった。



 家に帰って門扉をくぐると、隠してあったワンピースを手に取り、茂みに隠れて急いで着替える。兄の服や靴もワンピースと同じ隠し場所に取り敢えず、隠した。


(あとで取りに来ればいいよね)


 クリスティーナが家のベルを鳴らせば、予想通りペギーが勢いよく、扉を開けて飛び出してきた。


「クリスティーナ様!! 一体どこにいらっしゃったのですか! 家中、探し回ったんですよ! 全くどれほど心配したか」


 ペギーはクリスティーナの肩を掴んで、どこにも怪我がないことを確かめると、ほっと息を吐いた。しかし安心したのも束の間、今度は眉を怒らせて、クリスティーナを睨みつける。


「本当にどこにいらっしゃったのか。せっかく踊りの先生をお迎えしたというのに、肝心のクリスティーナ様がいらっしゃらないのですもの。とんだ恥をかいてしまいました。お願いしたのはこちらですから、平謝りですよ、全くもう。また同じ曜日に約束していますからね、クリスティーナ様も次回は一緒に頭を下げるんですよ」


(その日はアレクシスと約束してるから、また会えないわ。ごめんね、ペギー)


 クリスティーナは内心で謝った。

 その日一日、ペギーの怒りはおさまることがなく、クリスティーナは寝台に入るまでお小言を聞き続けた。



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