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第34話、二人きりの

 とうとうアレクシスが王太子として、お披露目する日がやってきた。朝から王宮はもの騒がしく、舞踏会に向けて忙しく立ち回る家令やメイドたちの姿が頻繁に目撃される。舞台は塵ひとつもないほど磨かれ、シャンデリアは美しく輝く時を待っている。

 舞踏会は晩餐もかねているため、大広間から廊下を隔てた向かいの中広間では、たくさんの食事を並べるための、長テーブルが何十と置かれている。まっさらな白いテーブルクロスは目に眩しいほどだ。

 端のほうには招待客に振る舞うためのワイングラスが何百と置かれ、それを振る舞うための給仕人たちの数も、それに比例して抜きん出ている。これほどまでの規模はいかな金持ちでも真似できないに違いない。

 招待客は国中の貴族は勿論、諸外国の王侯貴族、重鎮たちが軒並み交えた豪勢な顔触れだ。それは今回の舞踏会がいかに特別なものか物語っていた。それもそのはず。十数年に一度しかない、国をあげての一大行事なのだから。

 今夜、王太子に対する関心と視線が、国中から、あるいは国をまたいで注がれる場に、クリスティーナは残念ながら、出席することはできない。

 理由は至って単純明快。成人を迎えていないからである。この国で舞踏会に出席できるのは、成人のみと厳密に定められている。クリスティーナが成人をするにはあと四ヶ月ほど時を過ごさなければならない。だから今回、クリスティーナは、熱気に包まれる舞台の蚊帳の外なのである。

 初めからそのことを知っていたクリスティーナは、今、淡々と時間が過ぎていくのを内廷の庭で待っていた。

 今頃、アレクシスは王座の間で立太子式をしている頃だろう。

 王族や宮廷に仕える有力貴族、諸侯が見守る中、国王であるアルバートがアレクシスに向け、王太子に任命する書状を読み上げ、最後に証人となる法王の印を押した書状を掲げ、周りにアレクシスを王太子と宣言する。アレクシスはその間、粛々と膝をついたまま頭を下げ、アルバートよりサッシュを授かれば、ようやく皆の前で頭をあげ、祝福を受けるのだ。

 クリスティーナはただの従者、何の役職にもついていないため、その厳かな場に浴す名誉は授かっていない。ただアレクシスが戻るのをひたすら待っているしかできないのだ。その立太子式が終われば今度は舞踏会の準備と、アレクシスはゆっくりする暇もない。


 クリスティーナは内廷の庭で待っていたものの、お祝いの言葉さえ掛ける隙を与えない侍従たちによって、アレクシスが連れ去られ視界を横切っていくのをただ見ているしかできなかった。ようやく、顔を合わせたのは、舞踏会が始まる直前だった。

 支度を終えたアレクシスが出てくるのを、アレクシスの私室で待っていたクリスティーナはその姿を見て、息を止めた。

 続き部屋から出てきたアレクシスは童話から浮き出たかのように、眩しく、華やかで、優雅な王子様そのものだった。幼い頃思い描いた王子の姿とまるで変わらぬ姿に、クリスティーナの胸は計らずも高揚した。

 王族の正礼装である深い紺色の上着には金モールの肩章が飾られ、身頃の中央と袖口には銀糸によって巧緻で繊細な刺繍が施されている。それによって、飾られた金釦が更に映えて、輝きを増す。王太子綬のサッシュは右肩からかけられている。その明るい赤と銀の線が入った色合いはアレクシスの赤い髪に映えて似合っていた。その赤い髪も今は後ろに全部撫でつけられ、形の良い額が表れている。いつもより大人びて見えるアレクシスからクリスティーナは目が離せない。

 アレクシスはクリスティーナの前に歩を進めた。自身の格好を見下ろして、問いかける。


「どうだ?」


 クリスティーナは見惚れたまま茫然として動けなかった状態から我に返った。


「よく似合ってるよ! 本当に素敵!」


 心から感激して言うと、アレクシスも笑った。


「良かった。こういう格好は初めてするから、不安だったんだ。お前にそう言われたら、自信がついた」


 いつもと違う格好のせいか、笑顔さえ輝いて見える。その輝くような瞳に微笑まれ、クリスティーナの鼓動が鳴った。赤くなる頬をごまかしたくて、口を開いた。


「立派な王太子に見えるよ。――それから誕生日おめでとう」 


 今日、ずっと言いたくてたまらなかった言葉を口に出す。ようやく言えたことに満足して、微笑んだ。

 そんなクリスティーナを見て、アレクシスは少しだけ目を丸くした。

 今日、アレクシスが朝から言われ続けた言葉は成人と王太子になったことへの祝いの言葉だけだ。誰も誕生日には触れもしない。

 その言葉は、アレクシスの付随する価値などに目もくれず、ただひとりの人間として扱ってくれた証だった。普通の人間なら当たり前として受け取れる言葉を、クリスティーナが唯一紡いでくれたことに、アレクシスの胸は自然と高まった。

 心から笑みを浮かべる。


「ああ、ありがとう」


「舞踏会にはすぐ行くの?」


 クリスティーナが問いかければ、アレクシスは首を振った。


「少しだけ、時間がある。呼ぶまでここで待つように言われている」


「そうなんだ。じゃあ、ちょっと話せるね」


 ソファに座って、それまで時間を待つことにした。いつもと違うアレクシスの雰囲気に慣れずに、クリスティーナが会話を探してまごまごしていると、テーブルを挟んで向かいに座ったアレクシスが息を吐いた。それを見咎めて、目を向ける。


「どうしたの? そんな重い溜め息吐いて」

 

「ダンスを人前で披露するのは初めてだろう。上手に踊れるか、少し心配なんだ」


 アレクシスは今日の主役のため、一番初めに踊ることが決まっている。会場中の視線を集めた中、踊るのは相当の重圧だろう。しかし、クリスティーナはそのことを口に出さず、励ました。


「あんなにたくさん練習したじゃない。アレクの踊り、わたしから見てもすごく上手だった。アレクは完璧だって、先生も褒めてたし、自信持って。大丈夫だよ!」


 クリスティーナがアレクシスの不安を吹き飛ばそうと明るく言うと、アレクシスが睨んできた。


「それは相手もダンスが上手いからだろう。下手な相手にあたったら、どうする? うまくリードしなくちゃいけないんだぞ。相手に足を踏まれそうになりながら、こっちは支えて、なおかつリードしなくてはならないんだからな」


「それはそうだけど……」


 言葉に詰まっていると、アレクシスは妙案が思いついたかのように眉を広げた。


「そうだ。予行も兼ねて、今から踊ろう」


 クリスティーナは肩をはねさせた。


「ここで!?」


「そうだ」


 アレクシスは立ち上がると、テーブルを周り、クリスティーナに手を差し伸べた。クリスティーナは首を振った。


「無理だよ。女性の踊りなんてできないよ」


「何言ってる。最初のステップは一緒だし、回転するのだって、目の前で何十回と見ているだろう。慣れない相手をリードするかもしれないんだから、ちょうど良い」


「そんな――」


 クリスティーナはアレクシスの無茶ぶりに困惑したが、目の前に差し出された手をとるほかなくて、立ち上がった。

 開いた空間に移動すると、アレクシスがクリスティーナの右手を握り、背中を引き寄せた。


「行くぞ。いち、に、さん、いち、に、さん」


 耳元で静かに拍子を唱えるアレクシスの言葉に、すっかり体に染み込んでしまったせいか、クリスティーナも素直にステップを踏む。

 アレクシスが右足を前に踏み出せば、クリスティーナは左足を後ろに下げる。息のあったステップを踏むうち、最初の回転がやってきた。左手に支えられ、クリスティーナはくるくると回った。初めてのスピンにしては上出来ではないだろうか。クリスティーナの唇に笑みが浮かぶと、アレクシスも微笑んだ。

 背中を支えられ、また同じステップ。またスピンと繰り返すうちに、笑みが深まり、ふたりはいつのまにか声を出して笑い合っていた。

 そして最後の回転が終わった時、クリスティーナは仰向けるようにアレクシスに支えられていた。

 ふたりの顔が触れ合うほど近い。

 いつの間にか笑みを消し、真剣な光を湛えるアレクシスの瞳に覗き込まれ、クリスティーナの鼓動が跳ねた。

 燃えるように美しい輝きを放つアレクシスの目に吸い込まれそうな感覚になり、クリスティーナはまばたきどころか、呼吸さえも忘れてしまったように息ひとつできなかった。

 アレクシスの顔が近付いてくるような、しかしふたりの時が止まったように感じさえしたその時、扉がノックされた。

 はっとして、クリスティーナが顔色を変えれば、アレクシスはクリスティーナを立ち上がらせ、手を離した。

 その横顔には先程の怪しい気配は、微塵も窺えない。

 アレクシスが返事を返すと、扉が開かれ、侍従が顔を出す。


「殿下、お迎えにあがりました」


「ああ、もう行く」


 アレクシスが扉から出ていくのを、クリスティーナは慌てて、その背中に呼びかける。


「アレク! わたしも途中まで送っていっていい?」


 アレクシスは振り返った。その表情はいつもの彼だった。


「いいぞ。一緒に行こう」


 クリスティーナはアレクシスに連れ立って歩きながら、口を開く。


「終わるまで、あの部屋で待っていていい?」


 隣を歩くアレクシスが眉をあげて、クリスティーナを見下ろす。


「かまわないが、遅くなるぞ。それでもいいなら」

 

 アレクシスは今日の主役だから、舞踏会が終わるぎりぎりまで出席せねばならない。クリスティーナはわかったうえで、頷いた。


「出席できないから、せめてアレクが帰ってきたとき、出迎えたいんだ。それしかできないから」


 そして無事舞踏会を終えたことを一緒に喜びたい。

 アレクシスは神妙に頷いた。


「わかった。でもあんまり遅くなるようなら、無理するなよ」


 アレクシスの気遣いの言葉に、クリスティーナもまた頷いた。しかし、どんなに遅くなろうと待っているつもりだった。

 内廷の建物を出て、大広間に続く回廊を渡りおえたところで、クリスティーナは足を止めた。


「それじゃあ、舞踏会、無事に終わるといいね」


 見送りの言葉をかけると、アレクシスは頷いた。


「ああ、行ってくる」


「行ってらっしゃい」

 

 クリスティーナは軽く手を降ると、アレクシスが大広間のある建物に消えていくのを見守った。

 ひとりしんとした回廊に立っていると、聞こえてくる人々のざわめきや、王宮の入り口に寄せた馬車の車輪の音や馬のいななきが幾重にも重なって、耳に届いた。

 今頃、会場や車寄せ、それに続く回廊は人々の熱気で、騒がしいだろう。クリスティーナは暗闇の中、庭のほうに進み、大広間が見える位置に移動した。遠いここからでもシャンデリアの光が窓から漏れ出て、眩しいほどだ。参加できないから、余計にそう感じるのかもしれない。

 王家の威信と栄華が花開いた、誉れあるあの場所で、今日、アレクシスのお披露目が始まるのだ。

 


 

 

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