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第32話、お茶会

 クリスティーナとアレクシスが完璧に円舞曲を踊れるようになると、新たな踊りのステップが加わった。けれどこちらは、ほとんど女性をホールドすることなく、離れて踊るダンスだったから、気は楽だった。弾むように足で踊る動きを覚えれば、あとは楽しいものに変わった。

 順調にダンスを覚えていくクリスティーナとアレクシスに向けて、マルケッタが満足気に頷く。


「素晴らしい。このまま行けば、残りの一曲も無事にマスターするでしょう」


 舞踏会のダンスの演目は既に決められており、それに沿って、マルケッタはクリスティーナたちに教えているのだ。

 最後の三つ目のダンスを順調に覚えはじめた頃、舞踏会がいよいよ迫ってきていた。

 そんなある日の昼下り。王宮の庭を、アレクシスとクリスティーナは連れ立って歩いていた。


「珍しいね、アレクがお茶会なんて」


 アレクシスが重い溜め息を吐く。


「どうしても、今回の茶会は出席しろと、母上がうるさくてな」


 クリスティーナたちは今、王妃が開く茶会に向かっていた。今日は中庭で行われているようだ。 

 これまで何度か誘われてはいたが、アレクシスはことごとく断っていた。流石に断り続けたのが悪かったのか、今日の朝餐の折に、必ず来るように言い含められた。母親の有無を言わせぬ眼差しに、アレクシスも一回くらいなら良いかと、妥協した。けれど、中庭を訪れ、出席者の顔ぶれを見た途端、すぐに後悔した。

 アレクシスの姿に気付いたヘロイーズが、パラソルの下から声をかける。

 

「来たわね、アレク。こちらに来なさい」


 アレクシスの姿に気付いた参加者たちが次々と黄色い声をあげる。招待者たちは全員、アレクシスと同じ年頃の少女たちである。こうまではっきりわかれば、ヘロイーズの意図は明白だ。

 アレクシスは仕方なく歩みを進めた。パラソルの下まで行けば、ヘロイーズが優雅に扇子を広げる。


「皆さん、お待たせ致しました。ようやくお目にかけることができて嬉しいわ。わたくしの息子のアレクシスでございます。皆さんに御紹介させていただく機会がやってきて、本当に喜ばしく思いますわ。ぜひ、今後よしなに――」


 アレクシスは溜め息を押し殺し、微笑みの表情を浮かべる。


「アレクシス・キースクライド・ダウランドです。御紹介にあずかり光栄です。皆様におかれましては、ご機嫌も麗しく、茶会を楽しまれているようで何よりです。――このあとも続いて、存分に、楽しまれていってください」


 一礼すれば、令嬢たちがほうっと溜め息を吐く。

 最後の台詞はヘロイーズに向けての嫌味だったが、母親が表情を変える素振りは露ほどもない。


「さあさ、皆さん、今日のためにお集まりになったのだから、せっかくです。ひとりひとり、その可愛らしい姿を息子に紹介してくださるかしら」


 そこかしこから嬉しげな悲鳴をあがった。この時よりお茶会は、アレクシスのもとに長蛇の列を作る令嬢たちの合戦の場となった。


「お初にお目もじします。セアラ地方を治めますマルツィオ・リギーニの娘、ビアンカと申します」


「はじめまして」


「殿下におかれましては、ご機嫌麗しく、今日の日を光栄に存じます」

 

「こちらこそ」


 次々と花のように着飾った令嬢たちがアレクシスのもとを訪れ、挨拶していく。少しでも印象づけようと、カーテシーを優雅にするのは勿論、アレクシスの容姿を褒めたり、自領の特産品をあげ、次回は御持参する旨を述べたりと、その姿はいじらしい。

 だが当のアレクシスは、同じ言葉を投げかけるだけだ。その表情は微笑みを浮かべているものの、見る者が見れば、作り笑いだとわかる。けれど、年若く、興奮した令嬢たちがそれに気付くことはなかった。

 頬を赤く染める者、潤んだ瞳で見つめる者、恥ずかしそうに目線をそらす者、なかにはわざと大人びて顎をそらす者、皆が皆、一様にアレクシスの興味を引こうと必死だ。

 クリスティーナはアレクシスの後ろから、令嬢たちの様子を眺めていた。

 クリスティーナも男装することがなかったら、今頃、あの列のひとりだったのだろうか。そう思うと不思議な気分だ。けれど、思い直して首を降る。

 出席しているのはいずれも綺羅びやかな女性ばかり。貧乏子爵家の自分はお呼ばれもしなかっただろう。そう思うとやっぱり、男装してでもアレクシスのそばにいられる今のほうが幸せだと思えた。

 令嬢たちの列が後半に差し掛かったころ、ひとりの令嬢がクリスティーナの目に止まった。

 その少女の顔は熟れた果実のように真っ赤に染まっていた。今まで見た中で一番赤いかもしれない。ほかの綺羅びやかな令嬢たちと違い、ドレスも控えめで、装飾も少ない。カーテシーをするときの、ドレスを掴む指先が震えていた。よろめきそうな不安定さがあり、見ているクリスティーナのほうが冷や冷やした。少女が俯いて、口を開く。


「パウリ・ユニイテの娘、マリアーナ・ユニイテと申します」


「はじめまして」

 

 アレクシスがこれまでと同じ返事を返せば、マリアーナは一礼して、去っていった。押し出したり、自分を売ることすらしない。あの様子からして、挨拶するだけで精一杯なのだろう。


(可愛らしいな。ああいう娘を男性は守ってあげたくなるんだろうなあ)


 女の自分でさえそう思うのだから、アレクシスだってそう思ったに違いない。今の自分には逆立ちしたってかなわない、お淑やかで健気な令嬢だと思った。

 最後の令嬢の挨拶が終わり、引き続き茶会が催された。アレクシスの周りに、蜜を吸う蝶の如く令嬢たちが群がる。しかし、アレクシスは最後までかわし続け、その日の茶会はお開きとなった。

 招待客を見送り、閑散としてしまった中庭にはヘロイーズにアレクシス、それにクリスティーナが残された。

 ヘロイーズが隣に座るアレクシスを見る。 


「どう? 気に入った令嬢はいた?」


 アレクシスが恨めしげな視線を送る。


「いるわけないでしょう。おしろいと赤い唇のせいで、誰が誰だかわからないというのに」


 ヘロイーズが眉をあげる。


「わたしがせっかく良家の令嬢を選んで招待したというのに、甲斐性のない息子ね」


「余計なお世話です」


 アレクシスがむすっと答えると、ヘロイーズが扇子越しに鋭い視線を向ける。


「確かに陛下とわたしは、おまえに婚約者の件は一任するとは言いました」


 後ろで控えていたクリスティーナは初耳のことで驚いた。


(そうだったんだ。だから、アレクは今も婚約者がいないんだ)


「けれど、お前はこれまで一度たりとも、ひとりの令嬢とも、会おうとしない。良い? 女性たちと会わないことには、婚約者選びはできないのよ。誰とも会わずにどうやって決めようというの。――全く、わたしがお前と同じ歳にはとっくの昔に婚約者がいて、十六となると同時に嫁いで来たというのに」


 ヘロイーズが扇子の内側で溜め息を吐くと、アレクシスを再び睨む。


「今すぐ婚約者を決めろとは言いません。しかし、二ヶ月後にせまったお前のお披露目の際に、一番最初に踊る令嬢くらいは決めておきなさい」


 ヘロイーズは目の前の花瓶に生けてあった花を一輪すっと抜き取ると、隣に座るアレクシスの胸めがけて、手の甲ごとぶつける。

 アレクシスが憮然と花を見下ろす。


「何ですか」


「とりあえず、その感情のこもってない顔はやめなさい。この次、気に入った令嬢がいたら花の一本でも差し出して、にこりと笑ってごらんなさい。きっとお前に夢中になること間違いなしよ。せっかくその顔で生まれてきたのだから利用しない手はないわ。――母からの進言よ」


「――参考にします」


 アレクシスは渋々頷き、花を受け取った。立ち上がり、一礼してその場を辞す。クリスティーナも慌ててならい、あとを追った。

 中庭を抜け、内廷に繋がる回廊をアレクシスは無言で歩いていく。

 その背が何を考えているかわからず、クリスティーナは言葉に迷った。


(とりあえず、慰めたほうが良いのかな)

 

 ヘロイーズに色々言われて、塞ぎ込んだのかもしれない。

 口を開きかけた時、アレクシスがくるりと振り返った。クリスティーナの元まで戻ってくると、立ち止まる。


「どうしたの?」


 アレクシスは少しためらう素振りをみせたが、結局は決心して花を持ち上げる。

 何をするのだろうと見ていたら、クリスティーナの耳元に花を挿しこんだ。


「ア、アレク?」


 クリスティーナは突然のことに驚いた。


「――この花、俺が持ってるより、お前のほうが似合うだろうと思って」


 ほかに他意はないのに、言い訳のように聞こえるのは、ほんの少し、頬が赤く染まって見えるからだろう。

 唖然として反応しない相手に、アレクシスが眉根を寄せた。


「気に入らないか?」


 それから聞こえない声でぶつぶつ言う。


「差し出せば夢中になる言ったのに、あれは嘘か? それともやはり女じゃないからか……」


 クリスティーナははっと正気に戻り、急いで首を振る。


「ううん、嬉しい。ありがとう」


 耳元の花をふんわりと押さえて、はにかむ。

 それを見たアレクシスが、手で顔を押さえてくるりと背を向けた。


「そうか、なら良かった」


 顔は隠すことには成功したが、赤くなった耳までは隠すことができない。しかし、クリスティーナが気づくことはなかった。

 クリスティーナの口元に笑みが浮かんだ。誰かに物を貰うのは、母親以外で初めてのことだ。例えそれが一輪の花でも、クリスティーナには宝石と同じくらい価値があった。

 女性に戻ることはできないが、この幸せな時間が持てるなら、従者になって良かったと思えた。そうでなかったら、この花を貰うことはできなかったのだから。

 再び回廊を行くアレクシスの背を追いかけながら、壊れ物を扱うように、花を優しく耳から抜き取った。

 白い花弁に、そっと口付ける。

 クリスティーナは顔を離して、花を見て笑った。

 差し込む光の中、その姿はまさしくひとりの少女のものだった。


ちなみにヘロイーズは公的な場では「わたくし」、私的な場では「わたし」と使い分けてます。アレクシスとヘロイーズはその点、似たもの親子です。

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