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第23話、王太子の初恋

 リント王宮の裏には、広大な土地が広がっている。スオネヴァン山脈が北に聳え立ち、そこから湧き出たリューズ川が森を抜け、広い草原を渡り、王都へと流れ込んでいる。裏の土地は王家所有のもので、許可が得たものしか立ち入ることができない。

 今、その広がる草原を駆けていく二つの影があった。

 ひとりは黒鹿毛の牡馬――名をマルクという、に跨がるアレクシスと、もうひとつは栗毛の牝馬、アイナに騎乗したクリスティーナだった。

 今ではもうすっかり馬の扱いに慣れ、練習以来、二頭の馬はクリスティーナとアレクシスの良き相棒だ。


「どうどう」


 アレクシスが手綱を引き締めて、マルクをとまらせる。クリスティーナも倣って、アイナをとめ、隣に並んだ。

 目の下にはリューズ川が見える。二人は度々、気分転換と称して、草原に馬を走らせに来ていた。

 陽光を受けて、スオネヴァン山脈から流れる清らかな川の水が美しく輝く。

 アレクシスがクリスティーナに顔を向ける。


「せっかくだから、降りてみないか」


「うん」


 クリスティーナは頷いた。近くの木に馬たちを繋げると、川に向かう。川に近づくのはあの時以来だ。クリスティーナの思いを汲み取ったように、アレクシスが口を開いた。


「懐かしいな。こうしていると、あの頃を思い出すな」


「うん、そうだね」


 遊んだ記憶を思い出し楽しげに笑うアレクシスに、クリスティーナも笑った。


「そうだ。ここまで来たなら、川に入ってみないか」


「ええ!?」


 突然の提案にクリスティーナは、驚きの声をあげる。そんなクリスティーナに、アレクシスはいたずらっぽさを宿した瞳を向ける。


「いいじゃないか。あの頃は良く川に入っただろ」


「あの時は子供だったからだよ。今は川に入って、遊ぶ歳でもないのに」


 クリスティーナが渋るのを、アレクシスはかまわず靴を脱ぎ始めた。

 

「川に足をつけるだけだ」


 靴下も脱ぎ、ズボンの裾をまくっていく。こうなったら、もうとめるすべはない。


「まったく――。服も濡れちゃうのに」


 クリスティーナは諦めて、靴を脱ぐ。靴下を脱ぎ始めたところで、後ろからどんと押された。バランスを崩したクリスティーナはそのまま、四つん這いの格好で川に落ちた。啞然とするクリスティーナの耳をアレクシスの笑い声が打つ。


「あはは。油断するからだ。――これでもう濡れる心配をする必要はないぞ」


 川は幸い浅く、膝下だけがびしょ濡れになってしまったクリスティーナは立ち上がった。まだ笑い続けるアレクシスにむっとして、その腕を掴み、思い切り引っ張った。今度はアレクシスがバランスを崩し、先程のクリスティーナと同じ格好で、川の中に身を置く。

 クリスティーナはというと、アレクシスを引っ張った反動で、今度は尻餅をついて川に浸ることになった。水飛沫があがり、ほとんどの上半身と髪まで濡れてしまった。上着は厚手だから、透ける心配はなかった。

 クリスティーナは啞然とするアレクシスと自らの状況に、吹き出すしかなかった。


「あはは、アレクシスのせいで、これじゃあずぶ濡れだよ――まったく、もう」


 クリスティーナは立ち上がった。頭の後ろで束ねた髪紐を引っ張る。クリスティーナの水滴を受けた髪がきらきら光って、なびいた。この時初めて、クリスティーナはアレクシスの前で髪をほどいた。

 胸のあたりまで伸びた髪を首の横で束ねて、首を傾げて手で引き絞る。

 クリスティーナの全身は濡れていたが、上着は厚手だから透ける心配はなかったため、クリスティーナは油断していた。長年一緒にいるアレクシスに、もはや女だと疑われることはないと心の底から、信じていた。だから、髪をほどくことも抵抗がなかった。

 きらきらと輝く髪色がどれほど魅力的に映るか、上着と違って、べったりと張り付いたズボンが今まで隠されていた脚線を露わにし、どれほどなまめかしく映るのか。白い首筋も顕に、首を傾げて髪を引き絞る自分の立ち姿を全く意識していなかった。

 こちらを凝視したまま、動かないアレクシスにクリスティーナは首を捻った。


「いつまでそうしてるの。そんなに、隙をつかれたのが、意外だった? ほら、手を貸すから、立ち上がって」


 クリスティーナは絞っていた髪から手を離し、アレクシスに手を伸ばした。髪が広がり、きらきらと陽光を弾くなかでクリスティーナは笑った。

 その瞬間、アレクシスの顔が真っ赤に染まった。

 恋に落ちた瞬間だった。

 しかし、それを恋と自覚するには、アレクシスには経験不足で、なりよりもクリスティーナを同性と思いこんでいるため、長い間、日の目を見ることはなかった。



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