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第1話、10歳~始まり~

 クリスティーナは窓から見える景色に溜め息を吐いた。それを見咎めて、女中頭のペギーが眉を寄せる。


「クリスティーナ様、手元が疎かになってますよ」


 クリスティーナは自分の手元を見下ろした。真っ白い布にはまだ花弁の一枚しか縫われていない。まだ何の花にするかも決めていなかった。ただいつものようにペギーが刺繍の道具を持って現れたので、クリスティーナもいやいやながら始めるしかなかった。

 クリスティーナは再び溜め息を吐いた。


「ねえ、どうしてお兄様たちは外で自由に遊べるのに、わたしはこうしてじっと座って刺繍なんかしなくちゃいけないの」


 外を見れば、庭ではクリスティーナの2つ上のザッカリーが貴族の友人たち3人で枝を振り回して遊んでいた。楽しそうにはしゃぎまわる騒ぎ声が耳について、さっきから黙々と手を動かすこの作業が拷問のように思えてくる。


(わたしも外で自由に遊びたい)


 だが、クリスティーナのそんなささやかな願いも向かいに座るペギーに断ち切られる。


「ザッカリー様はこの家の御三男。将来騎士になるために、ああして小さい頃よりご友人たちと一緒に今から腕を磨いているのです」


(わたしには遊んでるようにしか見えないけどな)


 クリスティーナが羨ましそうに兄達に目を向け続けていると、ペギーも刺繍針から手を離して、すっと背を伸ばして顎をそらした。クリスティーナは内心で再び、溜め息を漏らした。こういう姿勢になったペギーはお小言や説教しか言わない。


「いいですか。クリスティーナ様。刺繍なんかとおっしゃいましたが、これは立派な淑女の嗜み。一人前になるためにも今から、こうして腕を磨いていけば、将来旦那様になるであろうお方のためにもなるのです」


 クリスティーナは顔をしかめた。何故、顔も知らない見ず知らずの誰かのためにしたくもないことを今からしなくてはいけないのだろう。刺繍だけではない。お裁縫に編み物、礼儀作法にお茶のマナー。ペギーに指定された本を読む時間。小さな部屋のなかでじっと椅子に座り続けていると、クリスティーナは息苦しくてたまらなくなる。窓の外にふいと目をやると、どこまでも続く青空が眩しくてたまらなかった。自分はあの空の下に立つことを許されていない。

 それもこれも、ペギーいわく、将来の夫となる方を支え、お家の役にたつようになるためだと言う。


(そうして、お母様のように若くして死ぬの?)


 母親はクリスティーナが7つのときに亡くなった。まだ幼かったから、亡くなった当初はただの病死だと思った。けれど、母親の葬儀のときに話していた母方の親戚や、家のなかでひっそりとかわされる使用人たちの会話で、母親が過労から体を壊して、病気につながったのだと、推測するようになった。

 母親は子爵家のこの家に嫁ぎ、まるで家のことに興味のない父親に代わり、女の細腕でこの家をまわし、雀の涙ほどしか収益のない小さな片田舎の領地経営をこなし、4人の子供を産み育てた。まだ幼かったクリスティーナは母親に甘えたい盛りで、いつも母親にくっついていた記憶がある。母親はそんなクリスティーナを叱ることもなく、愛情をたっぷりそそいでくれた。クリスティーナは世界で一番、母親が大好きだった。

 そんな母親が時折疲れたように溜め息を吐き、体のあちこちをさすりながら、力なくうなだれる様子を思い出すと、クリスティーナの胸は今でもあの頃に戻ったみたいに胸が痛んだ。

 いや、事情を知っている今は、余計に胸が苦しくなる。何故、自分は母親が無理していることに気づかなかったのだろう。何故、見ていることしかできなかったのだろう。もっと深く考えることができなかった自分の愚かさが罪深く思える。

 もし周りの大人がクリスティーナのそんな考えを知ることができたなら、幼い子供にできることなどないと慰めただろう。だが、クリスティーナにはそんな相手はいなかった。

 あの日からクリスティーナのなかで無念と悔しさと悲しみが時折、とぐろのように胸のなかで頭をもたげる。同時に沸き上がる感情があった。それは何もしなかった父親への憎しみだった。

 クリスティーナの覚える限り、父親はほとんど家にいることがない。時々、ふらりと家に帰ってきては執事に金をせびり、2、3日家に滞在するとまた、ふらりとどこかへ消えていく。その繰り返しだった。噂では下町の歓楽街で賭け事やお酒に興じているとのことだった。母親の生前は、母親に金をせびっていたのではないかと思う。父親が帰ってきて、顔を合わせたあとはひどく悲しそうな顔をしていたから。クリスティーナは、母親にそんな表情をさせる相手は父親だと知っていたから、その頃から父親のことが嫌いだった。いや、正確には父親だと思っておらず、時々ふいにやってくる知らない男性だと思っていた。勿論、母親からは父だと説明は受けていたが、クリスティーナにとっては父親とはそんな感覚の存在だった。

 そのため、ふいに家で顔を合わすと、どうしてよいかわからず、赤の他人が家にいる居心地の悪さを感じていた。

 母親が苦労をしている後ろで、さらに苦労を押しつけ、自由気ままに去っていく男。クリスティーナには夫という言葉が父親を連想させた。


(そんな男に嫁いで、あくせく働くために、わたしは今から、自由を奪われるの?)


 同じ家に産まれても男と女ではこうも違う。2つ上のザッカリーは自由に家から出られて、縛られることもなく、友人と遊べる。いずれは騎士学校にはいるだろうが、そこでも同じ男同士、腕を競い、馬を乗り回し、ときには喧嘩したり笑い合い、心の通う友人を多く作るだろう。

 5つ上と6つ上の兄は協力し合いながら、傾きかけた領地経営を、父親の代わりにしているという。まだ慣れないながらも大変だろうが、後ろ指をさされていた母親とは違い、堂々と領地を踏みしめ、周りと協力し合いながら、自らが掲げる目標に向かっていける。そして3人とも、いずれは順従な妻を迎えるのだ。

 では女性はどうだろうか。平民と違い、貴族の女性は家と家を結ぶ架け橋となるために親の決めた相手に嫁ぎ、世継ぎを産む。ほかの自由は許されていない。男性であるならば、騎士や宮廷人になったり、領主なら経営の幅を広げ色んなことができるだろう。だが、女性が許されているのは家の中だけだ。それも母親のように相手に恵まれなかった場合は、もっと最悪だろう。金持ちの家に望まれ、優しい夫に恵まれれば、幸せかもしれない。だが、生憎、クリスティーナの10歳の短い人生の中で、そんな相手は見たことがないし、経験上いないと確定して同然だった。

 いや、今より小さい頃読んだ本の中には存在していた。

 ペギーが顔をしかめたクリスティーナの考えを読んだように、口を開く。


「そのように仏頂面していたら、可愛い顔が台無しですよ。今から、いつでもにっこり微笑んでいられるように練習しなければなりませんね。そうすれば、いつか王子様のような素敵な男性がきっと迎えに来てくれますよ」


 そう、王子様だ。完璧な男性は本の中の王子様だった。公平で優しくて、普通の女の子をお姫様のように扱ってくれて、最後は仲睦まじくお城で暮らすのだ。だが、残念ながら、この国には王子様は一人しかいない。国中の女性のなかから、そのたった一人に選ばれるとは思えなかった。クリスティーナは重い溜め息を呑み込んだ。

 ならば騎士はどうだろうか。お姫様と騎士の物語。


(これも駄目ね。わたしはお姫様でも何でもないもの)


 青い空から目を反らし、手元を見下ろす。一枚の花弁しか縫われていない白い空白の部分が、クリスティーナの将来の虚しさを伝えているようだった。



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