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学校の校庭の隅には、道具倉庫入れがある。それは、どこの学校にも、たいていあるだろう。そこは部活が始まる30分ぐらい前から、ザワザワし始める。部活で使われる道具達が、話を始めるからだ。
だが、その中で大人しく部活が始まるのを、緊張しながら待っている1つの野球のボールがいた。そのボールの名前はハル。ハルはキャッチボール用のカゴの中にいる。
ハルの周りの空気が、張りつめてきた。ソウがその様子に、気が付いた様で、ハルに声をかけた。ソウはハルの唯一の友達だ。
ハルが初めてここに来て自己紹介をした時、周りのボール達に名前の事でからかわれた。その時に、ソウが「誰にでも苦手な事はあるだろう」と、ハルをかばった事がきっかけで、ソウと友達になった。
それからソウは毎日、ハルに声をかけ、緊張がほぐれる様にしているが、ハルの緊張がほぐれた事は無い。その様子は、道具倉庫入れではお馴染みの光景になった。
だから、今日は、ある提案をする為にハルに声をかけたが、反応が無い。ハルは、部活の時間が近づいてくると、いつも一点を見つめボーっとしている。だから、ソウに話しかけられても気が付かない。そんなハルに、ソウが少し大きな声でハルを呼んだ。するとハルは、ようやくソウに呼ばれている事に気が付いた。
「ごめん、気が付かなくて……」
ハルがソウの呼びかけに気が付かない事は、いつもの事。ハルがソウを見ると、ため息をつき、あきれていた。
「部活がある度に、緊張ばっかりしてたら、疲れるだろうから、今日はハルにある提案をしてみようと思って声をかけたんだ」
「提案?」
「ハルは速いスピードで投げられるのが怖いんだから、バッティング用のカゴに入ることが出来れば、もう怖くないだろ?」
「そっか。それなら、軽く投げられてバットで打たれるだけで怖くない! それに、片付けは必ず、新入部員の子達がする事になってるから、カゴを間違えるかもしれない! ソウ、ありがとう!」
「……、いいんだよ。俺達、友達だろ?」
ソウが言葉を発するまでに、間があったが、ハルはあまり気にならなかった。
毎年、かなりの確率でキャッチボール用のボールとバッティング用のボールが混ざる。ボール達にとってみれば、小さなクラス替えみたいなもので、楽しんでいるボールもいる。
その状況を楽しめるという事は、心に余裕があるという事。ソウもそれを、楽しんでいるらしい。それを楽しむ余裕がハルには、いつも無い上にこの時期が怖い。ハルの心を怖いという気持ちが、埋め尽くしてしまい、それさえも楽しめないから。
ハルは、楽しめているボール達、そして、ソウの事が羨ましかった。
「ハルの運がよければ、今日だけの我慢ですむ」
それを聞いたハルは何だか、心が少しだけ、軽くなった気がした。
すると、チャイムがなり、子供達や道具達に、部活が始まる時間を告げた。道具達が、喋るのをやめると、道具倉庫入れの中は静かになった。すると、子供達の話し声や、校庭にある遊具の金属音が聞こえてきた。
ハルはいつも、自分の心臓の音がバクバク聞こえ、周りの音があまり聞こえていなかったが、今日は周りの音がちゃんと聞こえる。それも、提案をしてくれたソウのおかげだと思うと、嬉しかった。
「ソウ、ありがとう。がんばるよ」
「おう。ハルが違うカゴに行くのは寂しいけど、うまくやれよ」
それを聞いたハルは、ソウと離れ離れになる事に初めて気が付き、固まってしまった。
ハルの心を表すかの様に、チャイムの余韻が寂しく消えていった。
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