レンタル正妃のあまい夢
「お前がレンタル正妃か。見た目はまあまあだな」
「まあ、褒めて頂けるなんて光栄ですわ」
目の前におられるのは、強面で威圧感しかない野獣のような皇帝様。
帝国は軍事力が高いとお聞きしておりましたが、確かに御強そうなお姿です。
先月まで働いていたお国では、皇帝様の悪い噂をたくさん耳にしました。
依頼が届き、どうしようかと少しだけ思いましたが、私はプロです。噂だけでは依頼をお断りしません。
レンタル正妃となって8年。
今まで様々なお国で働かせて頂きましたわ。
ふとっちょな王様に、まだお若くて14歳だった大公様。
あぁ、忘れておりました。
20人もの側室様がいた王様もいましたわね。
どこも面白く、女性達から嫌がらせを受けた思い出ばかりで、忘れるなんて出来ません。
苦労も沢山しましたわ。若い時は泣いてばかりで、自身の弱さに悩みましたのよ?
レンタル正妃になるまでは、わたくし普通の貴族の娘でした。
昔を懐かしく思いますが、もう実家はありません。
没落してしまい、父様と母様が今どこに居るのかも分かりませんのよ?
捨てられてしまったのですね、朝起きたらもう屋敷には人が居ませんでしたの。
人が来たかと思えば、借金の回収でした。取り押さえられいく家具を見て、涙を流したものですわ。
「おい、お前の名前はなんだ」
あら---- 私とした事が、感傷に浸るなんてプロ失格ですわね。
「わたくしの名はサバンナ。宜しくお願いしますわね、旦那様」
*******
「皇帝陛下におかせられましては、リンダ帝国200周年を祝し……」
沢山の方が、皇帝様へのご挨拶の為に並んでおります。
絢爛な玉座に座る皇帝様は、退屈にされてるご様子。隣に座るわたくしからは、片肘をつく皇帝様の姿がよく見えます。
「ああ、つまらん。サバンナ、お前もそう思わないか?」
「まあ、旦那様は面白いお方なのですね」
「俺が--- 面白いか?」
「わたくし、様々な君主様の元で働いてきましたが、お祝い事を楽しそうにされていた方ばかり。旦那様はつまらないのですね」
「つまらん。胡散臭い顔をした奴程、媚を売ってくるからな」
「臭いお顔でございますか?」
「ああ、あいつなんか見てみろ。特に臭いだろ」
「あらあら、私には臭いとゆうより、道化師にしか見えませんわ」
「道化師? 何でだ?」
「滑稽な身振りで、わたくしを楽しませて下さるからですわ。よおく見て下さいな、頭に毛のない男性が上目遣いで瞳を輝かせているのですよ」
「ハハっ、違いないな。うら若き女性のような輝きだな」
「そうでございましょう? 前の方は、お体が震え過ぎて歯の合わさる音がしましたわ。からくり人形かと思いました」
「ここにいる奴らは、俺に媚を売るか恐れを抱くかどちらかだ。お前はどちらでもなさそうだが---- 本音を言ってみろ」
「わたくしですか? そうでございますわね---- お可愛いらしい方と思っていますわね」
「なっ、俺が可愛いだと?」
「えぇ、旦那様は嫌いな物はお口にされないでしょう? いつもお茶は冷めてから飲まれますし、こっそり執務室から抜け出して、お馬と遊ばれております。宰相様からお逃げになってる姿を一度拝見しましたが、隠れきれておりませんでしたよ」
「------------------」
旦那様は、お顔を真っ赤にして怒ってしまわれました。
ここに来て三ヶ月。まだ短い時間ですが、楽しく過ごしております。
皇帝様は見た目と違い、お優しい方で城内の主に男性から人気でございました。
女性からは、少しばかり敬遠されています。
おかげで今までの様な嫌がらせは一切なく、こんなにも穏やかな毎日になるとは思っていませんでした。
皇帝様は野獣の様ですから、皆様お近づきにならないのでしょうね。何故私が雇われたのか、直ぐに理解出来ました。
皇帝様への長い挨拶が終わると、祝賀会までのお時間は休憩となります。
私に付けて頂いた老侍女と共に部屋へと戻り、休憩中にドレスを変えなくてはいけません。
怒ったままの皇帝様を置いて、部屋へと戻ると見た事がないほど豪華なドレスがかけられてありました。
なんて美しいのでしょう。
今までのレンタル正妃生活の中で、一番のドレスです。
旦那様の瞳と同じ赤いお色のマーメイドドレスは、宝石が沢山散りばめられ輝いておりました。
微笑む老侍女に着せて頂くと、わたくしの身体にぴったりで驚いてしまいましたわ。とても嬉しくて顔が緩みましたのよ。
お国によっては、サイズが大き過ぎて困った時もありましたわね。ドレスが破かれていた時には、流石のわたくしもお手上げでした。
老侍女は何やら楽しそうに箱を開けて、わたくしに見るよう促してきます。箱の中を見てみれば、キラキラと光を放つ宝石が何種類もありました。
用意された宝石達は、それはもう素敵な細工でドレスに合うお品ばかり。
好きな物を選んでいいようですが、過ぎた待遇に恐縮し老侍女にお任せ致しました。
老侍女は何処となく落ち込んでいましたが、どうされたのでしょうね。
髪を緩く巻いて姿鏡の前へ連れて行って貰えば、そこには美しい女の姿がありました。
私はもう28。夢を簡単には見ませんが、自身の姿に喜びが溢れます。
磨き上げて下さった老侍女へ、丁寧に心を込めてお礼をお伝えしました。こんなに綺麗にして下さったからには、レンタル正妃として頑張らなくてはいけません。
お茶を頂きながらも気合いを入れておりますと、皇帝様がお部屋まで迎えに来て下さいました。
「なっ、--------- サバンナか? 着飾れば見れるものだな」
老侍女に怒られた皇帝様が、顔を背けたまま私に腕を差し出して下さいます。
逞しい皇帝様の腕に、そっと自身の腕を絡ませました。
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祝賀会から1ヶ月。
わたくしは何故か外出に誘われ、皇帝様と馬に乗っております。
皇帝様の広い胸板に身を預けていたわたくしは、大きな馬の動きに振り回される事はなく、安心して楽しんでいました。
祝賀会の翌日から、皇帝様は何故かわたくしとお食事を頂くようになったのです。それまでも何度かご一緒させて頂きましたが、毎日ではありませんでした。
「サバンナ。俺が怖いか?」
「いえ、お可愛らしいと思っておりますよ」
「サバンナ。俺といるのは楽しいか?」
「旦那様は面白いお方ですわね」
皇帝様は、本日も同じ事をわたくしに聞いてこられます。
いつも、人から恐れられているからでしょうか?
見た目は野獣の様ですが、お優しく少年の様な心は魅力的で、皆様にお伝えして差し上げたくなります。
馬を降りた皇帝様は、目を輝かせて湖を見ておりました。
レンタル正妃として、こういう風に君主様とお出掛けした記憶はありません。
いつも本物の正妃様に成り代わるか、醜い女性達の争いから避ける為、君主様の盾になる事が殆どです。
プライベートの時間は1人でいる事が多く、男性と湖を見たのは初めてでした。
皇帝様に寄り添い、湖を歩いた時には言い知れぬ不安を感じ始めたのです。28の女は行き遅れ、あまい夢など見てはいけません。
わたくしにも旦那様がいれば、この様な穏やかな生活が出来たのかと思っては駄目なのです。
親にも捨てられ、貴族でもないわたくしは働いていくしか道はありません。あまい夢を見れただけ幸せなのだと、自身に言い聞かせておりました。
考えを巡らせていたわたくしを心配したのか、皇帝様がわたくしの顔を覗きこんでいらっしゃいます。
キス出来る程の距離の近さに、抑えきれる訳もなく胸が高鳴りました。
「どうした? 疲れたか? それとも---- やはりつまらんか」
わたくしとした事が失敗です。皇帝様を悲しませるなんて、プロ失格としか言えません。
わたくしは皇帝様の悲しみを和らげようと、大きな手を掴み優しく持ち上げました。
ごつごつと硬い手はまるでわたくしとは違い、指も太く男性であると意識してしまいます。熱さを感じながらも、大きな手を両手で優しく包み込みました。
「いいえ、夢を見ていただけでございますわ。わたくしに素敵な思い出をありがとうございます」
本当の気持ちをお伝えし、わたくしは皇帝様に微笑みます。心から微笑んだのはいつぶりでしょうか。少なくともレンタル正妃になってからは初めてです。
「サバンナ---- 夢とは? 思い出ならいつでも作ろう」
皇帝様は優しいお方なのですね。思い出を作ろうだなんて、素敵な言葉を初めて男性から言われましたわ。
お気持ちだけでわたくしには十分、レンタル正妃の契約期間は、後1ヶ月しかありません。
わたくしはプロでございます。去り際も心得ておりますのよ。
「わたくしに本物の旦那様がいたらと---- 夢が見れましたわ。それだけでもわたくしにとってはご褒美。旦那様、有難う御座います」
「サバンナ------ 俺は----------」
皇帝様の声は、小さくなってしまい何を言っているのかわかり分かりません。
耳を澄まし首を傾げていると、わたくしの身体は野獣のような皇帝様の身体に包み込まれてしまいました。
熱い体温や自身とは違う匂いが、皇帝様の存在をわたくしに強く訴えてきます。抱き締められる腕は力強く、視界が歪んでしまいました。
夢を見てはいけないのです。
繰り返し自身に言い聞かせますが、胸は痛く涙は止まりません。
静静と目を瞑り、皇帝様の身体に包み込まれていましたが、急に熱さがわたくしの身体から離れていきました。
キンっ、という音と共に目を開けたわたくしは、目の前の光景に驚きを隠せません。どういう事でしょうか。
「サバンナ! 逃げるんだっ!」
皇帝様は2人の黒い服をきた男性と、剣で戦っておられます。
激しい剣の打ち合う音と、荒い息が耳に届きわたくしは足が震え動けませんでした。
それが間違いだったのでしょう。
皇帝様の戦う姿を震えながら見つめていますと、わたくしの視界は急に暗くなったのです。
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どうしたら良いのでしょうか------
冷たい石の床に寝かされ、手首を縄で縛られております。
縄が皮膚に喰い込んでいるのか、ヒリヒリと痛みが走りますが、まずは状況を確認しなくてはなりません。
身体を動かしてみると、わたくしの身体が悲鳴を上げました。
きっと、寝かされた時に打ちつけたのでしょうね、悲鳴を上げながらもどうにか上体を起こしました。
息や胸を落ち着かせ、部屋をゆっくりと見渡します。
窓はなく、夜なのか昼なのかも分かりません。壁にある小さなろうそくだけが、ぼんやりと部屋に明かりを灯していました。
石造りの部屋は寒く、ベッドもテーブルもないようです。
あるのは部屋に入る為の、汚い木の扉だけ。
扉を見つめておりますと、目つきの鋭い男性が部屋に入って来ました。
「おい、お前は皇帝の正妃で間違いないな?」
どうお応えするべきなのでしょうか------ どう言えば良いか考えておりますと、男性から頬を打たれ床に倒れてしまいました。
倒れた時にこめかみを打ちつけたのか、視界がかすみ痛みが止まりません。
男性の声は聞こえてきましたが、何を伝えてるのか分からないまま、腹部に新たな痛みが走りだします。
少しばかりの悲しさと寂しさが、わたくしを襲いました。
わたくしはレンタル正妃、誰も助けには来てくれません。助けを求めてはいけないのです。
雇われの身の、没落し市井に落ちた身など誰が助けようというのでしょう。両親にも捨てられたわたくしの身を、案じて下さる人など誰もいません。
男性から再度痛みを与えられ、痛みが身体中を走り意識が薄れてきました。
皇帝様はご無事なのでしょうか。
自身の身よりも、皇帝様の事が心配で仕方ありません。
きっと御強いと思いますが、少年のような皇帝様を思い出すと、心配せずにいられないのです。
流石の私も、受け続ける痛みに涙が溢れてしまいました。
でも辛いとは感じません。わたくし、あまい夢を見たのです。
幸せなあまい夢を見て、他に何を望みましょう。
皇帝様がいて、穏やかな日々に心を動かされました。決して、わたくしが望んではいけないものなのです。
皇帝様、申し訳ありません。わたくし勝手に皇帝様を、あまい夢の旦那様にしておりましたわ。
強面であるお顔なのに、優しく微笑んでくれましたね。
差し出される腕は逞しくて、手を添えるのが緊張してしまいましたわ。内緒ですよ?
皇帝様の低い声をもっと聞きたかった。
皇帝様ともっと一緒にいたかった。
思い浮かぶのは、野獣のような優しい皇帝様の事ばかり。
皇帝様の熱と力強さ--- わたくし忘れませんわ。
---------バナ、サバンナ-------
夢でしょうか--- 皇帝様の声が聞けてわたくし幸せです。
皇帝様、どうかご無事で------ あなたを愛しておりますわ。
******
「サバンナ----- やっと目を開けた、良かった」
「こ、てい、さま?」
わたくしの目の前には、涙を流す皇帝様がいらっしゃいます。
まだ夢を見ているのでしょうか、皇帝様に手を握られて心配して頂くなんて、これ以上嬉しいことはありません。
「サバンナ、愛してる。俺の側から離れないでくれ」
皇帝様は見た事がない弱々しいお顔で、わたくしの手を強く握られました。
そのようなお顔でわたくしを見て下さるなんて、なんてあまい夢でしょう。
愛の言葉に心と身体が震えます。わたくしに頂いていい言葉なのでしょうか。
今まで男性から、愛してると言われたことはありません。
始めての男性が皇帝様、幸せで涙が溢れます。
これは夢、夢ならばわたくしもお伝えしていいでしょうか?
わたくしも、男性への始めての言葉を皇帝様に送りたいのです。
一度くらい、夢を見てもいいでしょう?
「皇帝様---- わたくしも愛しておりますわ」
読んで頂き有り難う御座います。