09 攻略対象者 王太子パトリック
王太子であるパトリック・ヴァル・ブレイザーズ様は、私、ルビーの初恋の人だ。
パトリック様に初めてお会いしたのは私が七歳のとき。その時はまだ、前世の記憶が戻っていなかったので、乙女ゲームのルビーそのものだった。
あの頃は負の気持ちだけがどんどんたまっていた時期。
心から笑えることもなく、現状から目を反らすためだけに、勉学や礼儀作法に没頭していた。そんなある日、お爺様から嬉しい連絡が入る。
私あてに王宮からお茶会の招待状がきたのだ。そのことを知って、久しぶりに笑みがこぼれたほど歓喜したのを覚えてる。
そのお茶会は、王太子の婚約者候補者だけが呼ばれていて、顔合わせのために催わされたものだった。
お祖父様は付き添いの役目を、父に押し付けられたらしい。
あの頃、父に対してどんな態度で接すればいいのかわからなかったから、馬車という狭い空間で父と二人きりなんて、私にとっては拷問に等しい。お祖父様で逆に助かった。
急いで用意してもらった新しいドレスは、瞳と同じワイン色のオーガンジーを幾重にも重ねた手の込んだもの。
布をふんだんに使いながらも細身のシルエットで、重なり具合と光沢により色合いが変わるデザインだった。この時ばかりは侍女たちも絶賛してくれたので、私に似合っていたのだと思う。
でも、それがいけなかった。
私も含め、六人ほど同年代の貴族令嬢が広間へ集められて待つこと十数分。
広間へ王妃様と王太子殿下が姿を現した。二人の洗練されたそのお姿に、令嬢たちは感嘆のため息をつく。
この日のお茶会の主催者は第一王子のパトリック様だ。
誰に対しても卒なくこなす姿はとても利発で、見た目の優美さも兼ね合わせて、まさに物語に出てくる王子様。
美しいだけなら兄のロイドもそうだけど、なんかいつもおどおどしているし、きちんと王太子として振舞える目の前の王子様とは比べるだけでも不敬にあたりそう。そんな風に思うほどだった。
「ルビー嬢のドレスは素敵だな」
「ありがとうございます」
「貴女にはとても似合っている」
「貴女は博識だな。私の知らない話ばかりで驚いている」
「好きな分野だけですのよ。殿下に比べればまだまだですわ」
「それでも貴女はすばらしいと思う」
はじめは私にも優しくお声をかけていただけたんだけど……。
一つ年上の王太子より私は背が高かった。ほかのご令嬢を見れば、とても子どもっぽい。フリルやリボンがたくさんついたドレスを着て、美しさより可愛さに重点を置いている。年齢より年上に見える私は、見た目で損をしていることにその時気がついた。
私は本から得た自分の知識を披露しようと、大人から声をかけられた時には返事だけではなく、子どもが使わないような言葉で会話を楽しんだ。大人には褒められたけど、調子に乗りすぎて王太子から敬遠されてしまう。
その後、王太子からの質問に返事もできずに、ウルウルおろおろしている他の令嬢が気に障って、少し強い物言いをしてしまい、王太子からたしなめられた。
「私、こんなに何も知らない方たちとお話ししたことがなくて会話に戸惑ってしまうわ」
他の令嬢にたいして、そんな独り言をいいながらこっそり嘆息していると、
「ルビー嬢、少しよろしいか」
「王太子殿下?」
六人の令嬢との距離感を同じように保って会話をしていた王太子から、私は突然声をかけられた。
一緒にお話ししていた令嬢たちも目を丸くして興味津々でこちらを見ている。失態続きだと思っていたので内心驚きながら席を立ち、王太子にエスコートされながら人のいないバルコニーまでやってきた。
ここは二階の広間だったので眼下には花々が咲き誇る王宮の美しい庭園。
そして横には私を淑女として扱ってくれる、プラチナブロンドで容姿端麗な王太子。
これほど胸を高鳴らせることなど、いままで一度もなかった。
夢みたい……。
――――ずっとそのままでいられたらどんなによかったことか。
悲しいことに、その夢は儚く砕け散ってしまう。
「アルマローレ公爵からお前だけは選ばない方がいいと忠告されていた。娘が可愛くて婚約者を作りたくないから、そんなことを言っているのだと思っていたが、あれは謙遜ではなかったんだな」
王太子の口から出たのは父の話だった。こんな時まで父の話を聞きたくなかった。私の眉間に小さくしわが寄る。
「お前の人を見下す態度を私は好きになれない。現時点で婚約者候補はお前を除けば力のない伯爵家ばかりだが、それでも絶対にお前だけは選ばないからそう肝に銘じておけ」
それだけ言うと王太子は私に背を向けた。
私に至らない点がなかったとは言わない。
だけど、父から囁かれた話と、たった数十分接した程度の上辺だけを見て判断する王太子なんて、私をちゃんと見てくれない人たちと一緒じゃない。そんなのこっちから願い下げだ。
「私は――――人を見下しているのではございませんわ。いつでも高みを目指して努力しておりますのよ。何もしていないご令嬢とは、初めから同じ立ち位置ではないのですもの。自分を磨く努力をしていない方たちを見る目がきつくなってしまうのは仕方ないではありませんか。殿下がお飾りの伴侶を求めていらっしゃると言うなら私はかまいません。そうなさいませ」
私の言葉に王太子は振り返った。
「それでは、ごきげんよう」
何か言い返される前にその場を離れ、具合が悪くなったとお爺様に泣きついて、すぐさま私は宮殿を後にした。
だからその後お茶会がどうなったか私は知らない。
グスッ。
「うー、なんで涙が出るのよ」
あんな言い方をしたけど、ルビーは恋に堕ちていた。最後はあんなだったけれど、人に令嬢として優しくされたこともエスコートされたことも初めて。間違いなく王太子にときめいていた。
愛にとても飢えていたから、案外ルビーを堕とすことは簡単だったりする。だから、優秀だったはずなのに、罪を犯すような馬鹿なことをしでかしたのだ。
私の中に、ルビーの特質が眠っている可能性は否定できない。だから、恋をするのが怖い。
「だけどこんな気持ちは早く忘れよう」
あの時はそう思った。そしてその憤りは父へと向けられる。
馬鹿公爵はどこまで私を貶めれば気が済むんだろう。そばに置いておきたくなければ、手っ取り早くどこかに嫁がせてしまえばいいだろうに。邪魔するなんて本当に馬鹿だ。
そうだ、それを伝えておかないと、また次もいらない情報を入れられて、せっかくできた縁を潰されてしまう。
あの父と話をすることは億劫だし、実はものすごく怖かった。それでも自分を奮い立たせて父の部屋へ向かった自分を今では褒め称えている。
私の物語はここから始まったのだから。