30 攻略対象者 ジェイル 1
リコットと話し合った後からルビー様の様子がおかしい。
おかしいのはこの旅で合流した時からそうだが、それは限られた人間の前だけだ。
この頃、私の前でもおかしな姿をさらしているのは、前より心を許しているからなんだと、自分の都合のいいように思っている。
それがバンシーさんの前でも、ということには目をつぶることにした。
今のおかしさはそれとは明らかに違う。
ルビー様は俺の方を極力見ないようにしていた。それに私の目から姿を隠そうとする。ずっと長いこと見続けてきた私が、それに気づかないわけがない。
初めてルビー様に会ったのは五年ほど前。
私がレオグラス殿下の護衛騎士としてそばに侍るようになった時だ。
ルビー様はもともとはレオ様の想い人だった。
はじめは、見目は美しくても、高慢で人を寄せ付けないオーラを身に纏っている、上流貴族特有の鼻持ちならない令嬢で、どこがいいのだろうと思っていた。
「ビィは傷つきやすいんだけど、それを人に見られたくないんだよね。あんなに武装して、あれでは息をつくこともできないだろうに。厄介な性格だよね」
夜会や舞踏会の場、どんなに人で溢れていようとレオ様はすぐにルビー様を見つけだす。
それからいつも、王族だけしかいない一段高い場所からルビー様を観察していた。
「向こうに集まっている令嬢たちが楽しそうにしているから、一人ぼっちな自分が悲しいのかな? つらそうにしているね。慰めに行かなくちゃ」
悲しい? つらそう? 無表情ですましていて私にはそんな風に見えなかった。
「ビィ、今日は踊らないのかい?」
「レオグラス殿下――――ええ、今日はダンスをする気分にはなりませんの」
一瞬だけ、嫌な顔をしたルビー様。今のは私でも分かった。
前から思っていたけどレオ様は嫌われているんじゃないだろうか。
同年代のご令嬢であればレオ様に声をかけられただけで舞い上がってしまうというのに、ルビー様はいつもレオ様にそっけない。
「だったら、話し相手になってくれない。ビィの小鳥のような声を聞いてるだけで僕は癒されるんだ」
「私、兄を探しておりまして。申し訳ございませんがお相手できませんの。あの辺りにレオグラス殿下とお話をしたさそうに、こちらを見ているご令嬢がたくさんいますわよ」
そう言ってそそくさとその場を離れるルビー様。
この時はパトリック王太子殿下の婚約者候補であったはずだから、レオ様に対するこの態度も仕方がないとは思う。
ただ、パトリック王太子殿下とも仲がいいとは言えない。パトリック王太子殿下とルビー様が一緒にいる時は一見優雅に見えて、その実、猛獣同士が向かい合っているような緊張感がある。
お二人は、人一倍努力家で、しかも学んだことをすべて吸収してしまうほど優秀らしいから、高みを目指す気がない者や、どうやっても能力が身に付かない者たちの気持ちがわからないらしい。
人にも自分も厳しいところがある。
似た者同士だが、王太子はルビー様の言動が、人を見下しているようにみえるらしく、嫌悪感を持っているようだ。
王宮に勤め始めてから貴族たちの裏の顔を覗くことが多くなったため、私はそういう空気を感じられるようになっていた。
それでもルビー様はあまり感情を表に出さない人だ。だからか、さっきの令嬢たちのような陰口や悪口を言っている嫌な姿も見たことがなかった。
「いつか、ロイドに向ける笑顔の十分の一でもいいから僕にも向けてくれないかな」
双子の兄であるロイド様と合流したルビー様はほっとした表情をしていたと思う。あれの十分の一では笑顔とは言えないのでは?
ある日の夜会、いつも通りルビー様観察をしている、レオ様と私。
「きゃあ、何をなさるの」
ルビー様とは関係ないところで騒ぎが起こった。数人の令嬢がひとりを囲んでもめているらしい。ルビー様の視線がそちらへ向いている。
「また、我慢できそうもないね。僕もいかなきゃ」
そう言って段を降りるレオ様の後についていく。
ガシャン
「あら嫌だ、ドレスが台無しだわ」
「え?」
虐めている令嬢の後ろからわざとぶつかったルビー様が、自分のドレスに真っ赤な飲み物をこぼした。今日のルビー様はシルバーのドレスを着ていたので、赤いしみは遠くから見ても目立っている。
「ルビー様が……なんでうしろに……」
「ねえ、ドレスがこんなになってしまったの。どうしたらいいと思う。あら、あなたたち、どちらの家の方だったかしら」
「そんな、わたしたち、何もしていないのに……」
「何もしてない?」
自分のドレスをわざと広げて見せるルビー様の態度に、おどおどし始める令嬢たち。
「そうね。あなたたちのせいではないけれど、お気に入りのドレスが汚れてしまったから、私とても悲しいの。ねえ、この気持ちわかってくださるかしら」
高圧なルビー様の言葉だが、聞きようによっては、いじめについて糾弾しているようにも聞こえた。
「あら、そちらの貴女もドレスが汚れているわね。これから控室に行くのでしょう? 私を案内していただけないかしら」
下を向いて涙をこらえていた令嬢の手を取ってルビー様は出入り口の方へと歩き出した。
そこへ騒ぎに気付いたロイド様が駆け寄ってくる。
「ルビー? 何があったんだ」
「なんでもないのよお兄様。ちょっとドレスを汚してしまっただけですの」
「それはちょっとどころじゃないだろ」
「そう……ね。それよりこの方を連れて帰ってもいいかしら。侍女たちに染み抜きの訓練をさせるのに丁度いいわ」
「それはかまわないけど、となりで首を横に振ってるが」
「あら、どうしましょう」
そんな話をしている二人と、戸惑っている令嬢の三人をレオ様は追いかけた。廊下に出てから令嬢を連れて帰ろうとするルビー様たちに声をかける。
「そちらの令嬢の分も一緒に着替えを用意するから、ビィたちはそこの控室で待っていて。もちろん手伝う侍女も手配するからね」
「レオグラス殿下……ありがとうございます」
「どういたしまして」
代わりのドレスを差し入れてから、三十分後に二人は控室から出てきた。
控室の中でルビー様たちがどんな会話をしていたかはわからないが、もう一人の令嬢はまだ緊張している。それでも先ほどよりはましな表情になっていた。
「もしかして外でずっと待っていたのですか?」
「まさか。ロイドと話をしていただけだよ」
たいして会話もしていなかったくせに、さらっと嘘をつくレオ様にロイド様が苦笑いをする。
「ふたりのそのドレス、僕からのプレゼントだから返却しなくていいからね」
「ですが……」
「こんな時じゃないとビィは受け取ってくれないだろう。僕に恥をかかせないで」
「それでは、お言葉に甘えさせていただきます。ありがとうございます」
「あ、ありがとうございます」
レオ様の言葉を聞いて虐められていた令嬢は真っ赤になりながらとても嬉しそうに笑顔を見せる。
ルビー様はいつも通り無表情? いや、機嫌が少し悪そうだ。
ふたりの令嬢は両極端だった。
「女の子は笑っているほうがいいよね。それじゃあね」
そう言ってから、その場を離れるレオ様の後に私はついて歩き始めた。
「ルビー、もう帰るだろう」
「そうね。私たちはお暇しようと思うのだけど、貴女はどうするの? 兄に色目を使わないのであれば送って差し上げてもよろしくってよ」
レオグラス殿下がルビー様たちの会話が聞こえるギリギリの場所で足を止めた。ここで盗み聞きするらしい。
「いいえ、私なら大丈夫です。ルビー様、本当にありがとうございました。助けてくれたことも、このドレスも」
「ドレスはレオグラス殿下からでしょ」
「ルビー様がご一緒だったからですよ。レオグラス様からこんな贈り物をいただけるなんて嬉しくって。わたし一生の宝物にします」
「そう」
「あの、ルビー様」
「まだ何か?」
「いままでルビー様にお声をかけるなんて恐れ多くてできませんでしたけど、機会があったら今度はもっとお話ししてくださいませんか。私なんかに気さくに対応してくださってとても嬉しかったです。わたし楽しみにしていますから」
そう言う令嬢の声には媚びるところも、熱に浮かされている気配もなかった。本心からの言葉で、ロイド様に懸想していると言うわけでもないらしい。
その瞬間は不意に訪れる。
令嬢の言葉に、ルビー様が微笑んだのだ。
私がルビー様の笑顔を見たのはこれが初めて。それは咲き誇る大輪の花のようだった。
しかし、それもほんの一瞬、すぐにいつも通りの無表情に変わってしまう。
彼女はあんな表情もできたのか。
「本当は友達が欲しいビィが、あんな風に言われたら嬉しいだろうね。あの笑顔、もっと近くで見たかったよ」
「でしたらレオ様もたまに褒めるくらいにしたらいいのでは。いつも甘い言葉を吐いていると真実味が薄れてしまう気がしますけど」
「そうかな? でもビィには素直なままで接したいんだ」
「だったら仕方ないですね」




