03 乙女ゲームの記憶
父のもとから逃げ出して九年。ロイドはいつでも私の味方だ。乙女ゲームについては何も話していないけど、私が悪役令嬢にならないように動くたび、必要な時はいつも手を貸してくれた。だから断罪されることも、破滅することもなく、幸せな毎日を送っている。
悪役令嬢として不幸な未来しかなかった私は、ロイドの家族愛を感じるたびにとても心が満たされた。
ちなみに今もまだ、お爺様は父から公爵の称号を剥奪していない。隠居させてただ飯を食べさせるよりは、アルマローレ家のために働けるだけ働かせた方がいいし、法的には拘束できるだけの理由がない。お爺様はロイドが公爵を継いだ後、その処遇はロイドに任せることにしたらしい。
「俺はルビーが幸せになってからじゃないと婚約者をつくる気はないから」
「私はいまでも十分幸せですわよ」
「ルビーは結婚相手に打算的だから心配なんだよ」
「そうじゃな、この前も宰相の息子だったか、褒めていれば御しやすいから婚約してもいいと言われたときはため息がでたぞ」
「その前は王太子殿下や第二王子殿下は嫌だけど第三王子殿下なら考えてもいいって、相手はまだ三歳ですのに」
「私なりに不幸にならないと思う相手を考えてはいますのよ。それよりリコットですわ」
「その令嬢と親しかったのかね?」
「――――話したこともないわ。でもあの娘が不幸だと罪悪感がわきますの」
「また、意味不明なことを言ってるけど、ルビーにとっては重要なことなんだろ? 俺も手伝ってあげるよ」
「ありがとうお兄様。明日さっそく彼女に声をかけてみますわ」
辺境伯爵家の領土は地理的には北にあって、南に位置するアルマローレの領土とは真逆だ。だから、お爺様にも正確な情報は入ってこないらしい。伯爵もほとんど領地から出てこないので、信憑性は怪しいが、人となりは噂話でしか知る手段がなかった。
「領民をさらって不老不死の薬を作るために人体実験をしているだとか、嫌な話しか聞かないけど、あそこは潤っているため、妬まれて悪評を流す貴族もいるんだ」とお爺様が言う。
だけど変な薬を貴族に流しているのは事実で有名な話だ。
それに私は辺境の伯爵がゲーム内で怪しい薬を作っていたのを覚えている。
お爺様もご友人たちに、それとなく聞いてみるとは言ってくれたけど、私はまずリコット本人と話をしてみようと思う。
王都の学院は基本的に貴族が学術と歴史、マナーを学ぶ場所だ。この国は優秀な官吏を揃えるために、ある程度の商家になると一代限りの準男爵の爵位を授かることができるので、貴族といっても平民に近い者もわりと多かった。
ヒロインのリコット・サーフベルナも父親が準男爵の地位についたばかりだったから貴族のマナーなんて知る由もなく、もともと天真爛漫な性格のため、躊躇なく王太子をはじめ高位の子息に話しかけていた。
だから、それを気に入らないルビーや上位貴族の令嬢に嫌がらせをされる。
ゲームの中では、いじめ現場に遭遇した攻略対象者に、庇護欲をそそられる姿や、逆に凛とした態度が好感をもたれていた。いくつものイベントをこなし攻略対象者の好む選択を選んでいくと好感度が上がる。
ゲーム上、王太子と結婚ができる身分にするためなのか、ヒロインは最終的に聖女という称号を得るまでのし上がる。
確か、攻略対象者から自分を選べと言われ、その手を取るとハッピーエンドで終わるというゲームだったと思う。
そこで選ぶ返事によっては、好感度が高いまま保留にできて、逆ハーレムに持っていくことも可能だったはず。
幼なじみ以外の攻略対象者たちがヒロインが囲んで「これからは俺たちがリコットを守る」そんなスチルを見た記憶がある。
ヒロインとはできるだけ関わりたくなかった私は、クラス分けをする試験で思いきり手を抜いた。ヒロインは頭がよかったから攻略対象者がいる上位のAクラスに入るので、それを避けて、貴族では恥だと言われる元平民だらけのDクラスに私は入った。
実はこの時、裏で再試験の話がお爺様のところにきたのだけれど、不正はいけないとちゃんと断ってもらったのだ。
だからヒロインがどんな娘なのかも噂程度にしか知らない。一年生の時にAクラスだったロイドも二年の時は同じように手を抜き私と同じDクラスに、三年のときも一緒にCクラスだから情報を得ることはできなかった。
その時はロイドとヒロインの間に距離ができるならありがたいと思っていたし、私自身、絶対に接点を持たないため、今までリコットと関わるどころか、その名前さえも学院内では一度も口にしたことがない。
「おはよう。ビィ」
教室へ向かう途中、後ろから声をかけられた。振り向かなくても相手はわかっている。
「殿下、愛称はおやめくださいと、何度も言っておりますでしょ」
私は挨拶もろくにせずAクラスの教室へと足を急がせた。
「僕も、何度もレオと呼んでほしいって言ってるよね」
右側から拗ねたような声が聞こえてきた。いつの間にか隣にならんで歩いているのはこの国の第二王子レオグラス・ヴァレ・ブレイザーズ殿下だ。
いま私にからんでいるこの第二王子もなぜかずっと同じクラスだった。王族に成績の順位をつけるのは不敬だということで、試験の順位表に名前は載らないけど、王子だから普通はAクラスのはず。王族がDクラスやCクラスなんて本当ならありえないと思う。
「殿下、おはようございます」
眉間にしわを寄せる私にロイドが気がついて、レオグラス殿下との間に割り込んだ。
「相変わらず仲がいいね君たちは」
「ええ、双子ですから」
女子生徒が見たら卒倒するようなとてもいい笑顔で返事をするロイド。
前にロイドからレオグラス殿下のことが嫌いなのかと聞かれたことがあった。第二王子の騒動に巻き込まれて私は処刑されたので、近づかれるのは本当に迷惑だ。ほかの攻略対象者はたぶんもう大丈夫だと思うけれど、第二王子だけはいつまでたっても油断できないと思っている。
嫌いではないけど苦手だと答えておいた。
それに第二王子の後ろに付き従っている『レオグラス殿下大好き』の大柄な従騎士のジェイルが、いつも私をするどい目で睨んできて威圧的で怖いし。
ジェイルは私に対しては態度が酷いけど、これでも隠れキャラで攻略者候補だったりする。
まあ、確かに殿下に不敬を働いている自覚はある。
だけど何年もずっとこんな調子なんだから、嫌がっている私に近づかないよう、そっちがちゃんと殿下の手綱を握っていろ。と、喉まで出かかったことが何度もあった。
「教室通り過ぎたよ?」
「殿下はお入りになるとよろしいのでは」
そう言っているのに、Aクラスに向かっている私たちに殿下がついてくるから目立って仕方ない。
攻略対象で美しい容姿の兄。濃紺の髪に琥珀色の瞳、人懐っこい笑顔の第二殿下。細身ながら筋肉質で高身長、赤髪で二十歳をこえているから学生から見たら、頼りがいのある男に見えるであろう、隠れキャラの従騎士。
学院でも十本の指に入るであろう美男子たちがそろって歩いている真ん中で、私はがっくりと肩を落としていた。
今までヒロインいじめに加担しないように、取り巻きをつくらずボッチでいたせいもあるけど、この人たちに囲まれているせいで令嬢たちからは嫉妬されて、ずっと陰口を言われている。公爵令嬢が一、二年と続けてDクラスにいたのだから、そりゃ馬鹿にする言葉に不自由はしないだろう。
珍しく親しげに話しかけてきたかと思えば三人が目当てだったりするから、そういう令嬢はロイドが冷たくあしらって追い払ってしまう。
だからよけいに嫌われていた。