01 ルビー・アルマローレ
「リコット・サーフベルナが辺境伯の後妻に決まったですって!?」
私、ルビー・アルマローレは、ディナーの最中にも関わらず、椅子が倒れるほどの勢いで立ち上がる。そして双子の兄ロイドに向かってそう叫んだ。
「ルビー、食事中にはしたないよ」
「そんなこと言っている場合ではありませんわ。リコットはヒロインなんだから幸せになるはずなのよ? よりにもよってあの怪しい辺境伯の後妻なんてありえないわ。どうしてそんなことになっているのよ」
「ヒロイン? サーフベルナ準男爵が事業で失敗して莫大な借金を抱えたそうだ。それの肩代わりらしいね」
「なんですって!? 私の代わりにリコットが不幸になってしまったって言うの?」
「ルビー、少し落ち着きなさい」
あまりの醜態にお婆様からも叱責されてしまった。食事中、上から唾が飛ぶ勢いで叫ばれたら誰だっていい気持ちはしないだろう。
騒々しい振る舞いにたいしては、さすがに反省することにした。私は侍従が直してくれた椅子に座りなおし、グラスの水を一気に飲みほして気持ちを静める。
兄ロイドが始めた噂話に、あり得ないほどの剣幕でまくし立て、興奮している姿は令嬢として褒められたものではないと思う。
それでもお爺様もお婆様も平然と食事を続けていて慌てることはない。兄もいつもと変わらず冷静に注意するだけだ。
私がこうやって騒ぎ出すことは、この家では日常茶飯事だったから、みんな慣れてしまったのだと思う。
ルビー・アルマローレは乙女ゲームのヒロインに立ちはだかる悪役令嬢だ。
なぜか私には前世の記憶があって、ルビーが将来、暴かれた罪の重さによって処刑、幽閉もしくは国外追放される身であることを知っていた。その中には怪しい辺境伯の後妻になるという未来もあった。
そんなことを知っていたら全力で回避するに決まっている。気づいた時からどうすれば生き残れるか、そればかり考えて過ごしてきた。
実は前世のことはあまり覚えていない。何かゲームにつながりがあるワードや出来事が起こるたびに記憶が掘り起こされるので、前世の私がどんな人生を送っただとか、死因なんかはいまだに不明のままだ。
最初に記憶が戻ったのはルビー・アルマローレが兄ロイドと完全決別に至る、あるセリフを言い放った七歳の時だった。怯えるロイドに普段なら見下して蔑むはずが、その光景になぜか私は引っ掛かりを覚えた。頭を悩ませているうちに乙女ゲームに関する記憶を思いだしたのだ。
ルビーは十五歳で王立学院へ入学する。二学年目に途中編入してきたヒロインが、攻略対象者と仲良くなるのを許せず邪魔をする。感情の赴くままヒロインに当たり散らすキャラクターだ。ヒロインが王太子と仲良くなり婚約者候補から外された場合は、第二王子派の貴族にうまく乗せられて、第二王子に王位を継承させるため、王太子暗殺未遂までおこす始末。確かそれをヒロインが救うことで王太子と絆を深めていたと思う。
ほかの攻略対象者の場合も自分の思い通りにならなければ、そのたびに悪事を働くから牢獄行きが多かった。
途切れ途切れの前世の情報は、全体を把握するには不完全だったけれど、重要な部分を思い出せたおかげで、ヒロインとは一切関わらなかったし、誰も傷つけずにゲームエンドの卒業式を乗り越えることができた。
卒業式といってもこれは一つ上に在籍していた王太子の卒業であって、私たち双子はその一つ下の十六歳なので、あと一年間学院に通う必要がある。ヒロインも私たちと同じ学年だけど、私がゲームと違う動きをしたせいか、誰も攻略できずにゲーム期間の一年が終わってしまっていた。
リコットが攻略しようとしていた王太子は、結局ゲームでは存在しなかった隣国の公爵令嬢と婚約をしていて、仲睦まじいそうなのでいまからの攻略は難しいと思う。
他にも攻略対象者として宰相の長男と豪商あがりの子爵家次男が同学年にいる。
宰相の長男は次期侯爵で、なんでも一番にこだわる人格だ。試験でヒロインに負け続けているから敵意を燃やしていて嫌っているし、子爵家の子息は本当だったらヒロインが教えるはずの取引を私が先に伝えて恩を売っておいた。
だからこの二人も攻略できていない。
兄のロイドは精神が壊れる前に救えたおかげで、ヤンデレには目覚めず今のところヒロインに執着することはなさそうだ。
ヒロインの幼馴染も攻略対象だけど、平民で学院には入学できないし、唯一私には絡まないからこの人はまったく問題がない。逆に手助けをしたくらいだし。
あと第二王子の従騎士も隠れキャラなんだけど、一度ハッピーエンドになってからじゃないと攻略はできない。一周目の今は、まだ攻略対象者ではないから大丈夫だろう。
結局ヒロインは王太子の攻略に失敗してバッドエンドになったってことかしら?
それでも最終的に難易度ほぼゼロの幼馴染の手を取れば、ヒロインはどんな展開でも力ずくでハッピーエンドに持っていくことができたはず。
私は自分が不幸にならないことばかり考えていたから、まさか破滅を回避したことで、ヒロインの身に不幸が降りかかるとは思ってもみなかった。
「お兄様はリコットが不幸になってもかまわないとおっしゃるのね」
私は興奮すると早口になる癖がある。そうならないように気をつけて、今度はゆっくりとした口調でロイドに話しかけた。
「あのふわふわっとした令嬢か? 話題にした自分が言うのもなんだけど、挨拶程度しか言葉を交わしたことがないから別に何とも思わないな。辺境伯は親子以上に年が離れているし、噂通りの人物なら可哀そうだとは思うよ」
「お兄様が婚約してあげたらいいのではなくて。きっと好きになりますわよ」
ロイドとの関係が順調な今、もしヒロインがロイドを選んだとしても、私が罪に問われることはないと思う。もちろん悪事を働く気もさらさらない。
「ルビー」
私の言葉でロイドは眉間にしわを寄せ、先ほどまでの冷静さが嘘のようにとても低い声で私の名前を呼んだ。
「ひぃ」
その顔、その声でルビーは断罪されたんだよ。刺さるような冷たい視線は部屋の温度まで下げられるのか? 背中に悪寒が走ったじゃない。
双子の兄ロイドは自分の婚約関係の話になると不快感をあらわにする。それは幼少期のトラウマのせいだから仕方がないことなんだけど断罪に怯えていた私は寿命が縮まりそうだ。
ロイドは公爵家の跡取り息子なのに、いまだに婚約者が決まっていない。
ゲーム通りに進んでいなくても、やはりヒロインのリコットが気になるから、どんなに申し込みがあっても首を縦に振らないんだと私は思っていた。
攻略対象者だったのに、この雰囲気だとリコットのことは何とも思っていないわよね? 断罪を回避した今は、ロイドには好きな人と一緒になってほしいと思っていたんだけど……。