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いつか散る花に恋して  作者: 美鳥ミユ
CHAPTER 01:花の契り
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09

 それぞれ心構えや準備もあるでしょうから、ハイドランジアを発つのは、明日の昼頃にしませんか。そう提案したのはウィスタリアだった。マリーツァもミカエラも、そしてヴィルヘルムもそれに賛同し、いったんここで解散ということになった。


 マリーツァとミカエラは、花の公園付近で別れて、各々の家を目指す。思い出の溢れる故郷ハイドランジアを離れる。寂しい気持ちはあった。けれど、独りではない。背負うものは重い。あの聖女クラウディアが負った宿命と、自分に与えられたそれを一緒にするのは、少し抵抗があったけれど、冷静になってみれば確かに同じなのかもしれない、と思う。

 マリーツァは、すっかり茜色へ変わった大空を見上げた。ここアイレより、隣のビエントより、ずっと高い場所に異種族が暮らす別の大陸がある――そんな御伽噺を思い出す。もしかしたらそれも、人によって作られた空想の話ではないのかもしれない。女神や巫女の伝承が本当のことだと知った今は、そういう風に思える。世界は広い。知らないことばかりだ。

 手にした杖。柄に嵌め込まれているのは、氷と炎、それから雷の魔石だ。それぞれが青、炎、黄色に発光している。ライム曰く、この魔石は初心者向けの小さいものらしい。以前、魔石屋に行った時、このくらいの大きさと光の魔石を見たことがあった。確かにそれらは、手頃な価格で売られていた記憶がある。


 母にはなんて話をしよう。マリーツァは考える。それに加え、妹のエテレインにも説明しなければならない。母には怒られるだろうか。病弱な妹を心配させてしまうだろうか。だが、いくら怒られても、背負ったものを投げ捨てて、責任を放棄する訳にはいかない。マリーツァの決意は硬かった。


 母や妹への説明の言葉が見つからないうちに、マリーツァの視界に我が家が飛び込んでくる。普段より帰りが遅くなるかも、と前もって言っておいたけれど、まさか、こんなことになるとは。マリーツァは大きく息を吸ってから、扉を開ける。ただいま。その声に返ってくる母の「おかえりなさい」もいつも通りだ。

「あ、あの、お母さん……ちょっと、大事な話があるんだけど」

「あら、なあに? マリーツァ。そんな風に改まって、いったいどうしたの?」

 出迎える母に、娘は声を絞り出す。

「……実は、私、私ね――」




「マリーツァ、あなた……それは、本当のことなの?」

 長い話を聞いた母は、弱々しい声で問いかけながら、娘のことをじっと見つめた。大きく見開かれたその瞳。娘が嘘を吐いていると思っている訳ではない。作り話をしていると思い込んでいる訳ではない。ただ、あまりにも衝撃的な告白だったから、そんな顔をしてしまったのだ。

 マリーツァは「うん」と頷いて、それから左手の甲に刻まれた巫女の証を見せた。それは未だに淡く光っている。母は長い息を吐き出した。

「あれは、御伽噺ではなかったのね……」

 母親は娘の刻印と、彼女がぎゅっと握りしめている杖を見た。セフィーラの民であれば誰もが知る、聖女クラウディアと、彼女を支えた巫女たちの物語。それは遠い時代――本当にあったことなのだ。いまのマリーツァがそれを証明している。

「……うん」

 何も相談せず、花の神殿に行ったことを叱られるかも、とマリーツァは思っていた。しかし母はそういったことを口にはせず、ただ複雑な表情を作るだけ。

「ミカエラちゃんと一緒なのね?」

「うん。一緒に来てくれる、って」

「そう……」

 母は苦しげに続ける。

「本当はね、マリーツァ。私は反対したいわ。だって、旅なんて、危険なことだってあるでしょう。親としては、あなたを引き止めたい。けれど、女神様があなたを選んだこと……聖女クラウディア様があなたに語りかけたこと……それも本当のこと、なのでしょう? なら、私にあなたを止める権利はないわ」

「お母さん……」

「だから、私があなたに言えることはひとつだけ。いってらっしゃい、マリーツァ。……時々は顔を見せてくれると、嬉しいのだけれど」

 母はマリーツァの頭を何度も優しく撫でた。まるで、幼子をあやすかのよう。けれど、不思議と嫌では無かった。むしろ、その温もりが嬉しかった。世界の未来を委ねられ、心は固く強張っていたけれど、それも少しずつ溶けていく。春を迎えて、冬の間大地を覆っていた雪が姿を溶けて消していくように。

「エテレインにも言っていくでしょう?」

「……うん。出発は明日のお昼だから、その前に病院へ行こうと思ってるの」

 幼い頃からずっと病弱で、外の世界に憧れを抱きながら、病室で過ごしているエテレイン。そんな妹を、あんまり不安にさせたくないという気持ちも強いけれど、何も言わずに王都を離れる訳にもいかない。いつ戻るかも分からない、長い旅だ。

「私も一緒に行こうか?」

「……ううん。私、ひとりで行く。私から話さなければいけないことだし」

 マリーツァが絞り出した答えに、母は「そう」とだけ言って、僅かに笑みを浮かべた。じゃあ、今日のお夕飯はあなたが好きなメニューにしましょうね。明るい声で言った母に、マリーツァは感謝の言葉を口にする。

 夕食が出来るまで、少し時間がありそうだ。マリーツァは一度部屋に戻り、荷物をまとめることにした。ウィスタリアとヴィルヘルム。まだ、出会ったばかりの若き騎士。自室へ向かう階段を上がりながら、マリーツァはふたりの姿を脳裏に描く。藤色の瞳に、男性としてはやや長い黒い髪をしているのが、ウィスタリア。彼の相棒でもあるヴィルヘルムは亜麻色の髪に、翡翠色の瞳が特徴的な青年だ。彼らは「巫女の剣」、そして「巫女の盾」となる為、厳しい稽古に励んできた。いつ巫女が現れるかも分からない中で。

「……ミカエラは、どうしているのかな」

 マリーツァは地図を鞄に押し込めて、親友のことをぼんやりと考えた。自分と一緒に、長い旅に出てくれるというミカエラ。自分同様に準備をしているのだろうか。それとも、それとはまた違ったことをしているのか。

 マリーツァは窓辺に立った。カーテンを開けて、外を見る。もう空の色は黒一色。そこには、幾つもの星が瞬いている。宝石箱をひっくり返したかのようにきらきらと輝く星を見上げることが、マリーツァは幼い頃から好きだった。ハイドランジアの空気は澄んでいて、月のない夜は特に美しい星空がマリーツァのことを見下ろしてくれる。

 数年に一度の流星雨の日には、ミカエラと一緒に流れ星に願いをかけた。その時、マリーツァはこう願った。いつまでもミカエラと一緒にいられますように、と。それは、何の捻りもない、単純な願い。けれども、何よりも大きな願い。傍らでミカエラは何を願ったのか。マリーツァは尋ねない。けれど、星へ願う彼女の眼差しはマリーツァのそれと酷似していた。


 そういったことを思い起こしているマリーツァの耳に、扉がノックされる音が届く。マリーツァ、ご飯よ。いつもと同じ、母の声。それでも僅かに淋しげにも聞こえる声。マリーツァは「はーい」と普段通り答えて、階下へ向かうのだった。

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