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「そういえば、髪飾りはどこにあったの?」
南の森を進みながら、ミスティアはグレイスへと問いかける。引っ切り無しに鳥たちの囀りが響き、揺れてざわめく枝葉は、彼らの歌声に手を叩いているかのよう。友から尋ねられたグレイスはそれがね、と頭を掻いた。
「街の北側に大きな広場があるでしょう?」
「ええ」
「そこに落ちていたんだ」
グレイスは恥ずかしそうに少しだけ頬を赤く染める。北側の広場は、ルルディ族の長――グレイスの母親が、共にアルビジアで暮らす仲間たちを集めて話をする場所でもある。それは一月に二、三回程度開かれる。そこまで考えてミスティアは思い出した、三日後が集会の日だ。絶対参加というわけではない。だが、出来る限りは参加して欲しいと長は毎度言う。
「コーネリウスくんがね、見つけてくれたの。切り株と切り株の間に落ちているのを。多分、集会の時に落としちゃったみたいで」
「そう。見つかって良かったわ」
ミスティアの言葉に、グレイスは笑った。本当によかった、と。グレイスにとってあの髪飾りはとても大切なものだったのだと、ミスティアは知っている。そして、コーネリウスも同じだ。今も、彼女は桜色の髪にそれを付けている。
「もう二度となくさないようにしないとね、グレイス」
「うん、気をつけるよ」
そんなやりとりをしながら、少女たちは明るい森を進んでいくのだった。
「えっ……?」
髪飾りの話をしてから、約十五分程度歩いて、目的地へ辿り着いたミスティアとグレイスは同じ言葉を発して――そして目を疑った。この場所には色とりどりの花がたくさん咲いているはずなのに、ふたりが思い描いていたそれは無く、花はほとんどが萎れてしまっている。枯れてしまっているものも少なくない。ここが群生地。ミスティアが慌てて地図を広げて確認する。間違いない。目的の場所はここだ。
「いったい、どうして? ここの花は、今が見頃のはずよ……」
漂う空気も、どこか不穏だ。ミスティアは少しだけ恐怖感を抱いた。さっきまでずっと響いていた鳥の歌声も、いつの間にかぴたりと止んでいる。少女たちを嗤うように、強く風が吹いた。それは、今までのそれよりもずっと冷たい。明らかにおかしい。森の表情が、全く違うなにかへと変貌してしまっている。
「ね、ねえ、ミスティア。急いで帰ろう? 何だか、嫌な予感がする……」
グレイスが怯え震えている。
「え、ええ……」
「街に帰ったら、お母様に報告して――」
少女の台詞は、最後まで発せられなかった。代わりに響いたのは、その少女の甲高い悲鳴。ミスティアとグレイスは魔物に囲まれていた。今の今まで、完全に気配を消していたのだろう、少女たちは全く気付けなかった。見たこともない魔物だ、そのすべてがぎらりとした目をしている。そこに、明らかな敵意を宿していた。
「……グレイス、あなたは逃げて」
ミスティアが杖を手に取る。彼女は護身の為に、これを携帯していた。既に魔石も嵌め込まれている。見たことがない敵に、自分の魔法が通用するかは分からない。そもそも実戦経験も無いに等しい。しかし、殺らねば殺られる。
「そ、そんなこと、出来ないよ……! ミスティアを見捨てて逃げろって言うの!?」
「そうよッ! グレイス、あなただけでも逃げないと! 逃げて、長に……あなたのお母様に伝えて頂戴! 魔物の襲撃に備えて、って!」
「でも……でも!」
グレイスは首を何度も横に振った。魔物は低く唸っている。ミスティアは唇を噛み、緑に光る魔石に秘められた力を――風の力を引き出して、それを放つ。猛スピードで風の塊が魔物へと飛んでいく。運良く急所に当たったようで、魔物の一体が大地に崩れ落ちた。だが、魔物の数は多い。多勢に無勢という言葉は、こういった状況を言うのだろう。
「私は、大丈夫だから! 必ず帰るわよ、アルビジアに!」
ミスティアはちらりとグレイスを見た。
「私が、あなたに嘘を吐いたことがある?」
真っ直ぐな瞳。迷いなどひとつも無い。グレイスは苦しそうな顔をしつつ、答えた。
「無いよ、ミスティアはいつだって……」
「でしょう?」
「……分かったよ。戦える人に、援護を頼むから――それまで、戦い抜いて」
グレイスは涙で濡れた瞳を向けた。ミスティアは頷いて、もう一度魔法を放つ。ルルディ族が最も得意とする、風の魔法だ。ふたたび魔物の大きな体躯が大地へ崩れた。その音を背に、グレイスは全速力で走っていく。ミスティアは強く杖を握り締めて、魔物の群れをギリッと睨みつけるのだった。
グレイスが南の森を出て、アルビジアの街へ戻ると、そこは騒然としていた。嘆きの声や、啜り泣く声もする。
「えっ……?」
悲しみの色が滲む瞳がとらえているのは、自然を愛するルルディ族が、何よりも大切にしてきた神木。グレイスは目を大きくした。まさか、と声が漏れる。
「――グレイス」
彼女の背に声がかかる。それはルルディ族の長であり、彼女の母親の声だった。彼女の隣には幼馴染コーネリウスがおり、彼の顔色もまた優れない。
「見て、グレイス。わたくしたちルルディが古来より神木と呼び、大切にしてきたこの巨木を……」
彼女の言葉も、表情も硬い。グレイスは改めて神木を見上げる。たくさんついていたはずの葉は大部分が落ち、辛うじて残っている葉も、鮮やかな緑ではなくなっている。明らかに力を失い、だらりと下がる枝。ルルディたちの顔にあるのは、絶望。
「あ、あの、お母様……南の森で、ミスティアが魔物と戦っているの!」
「何だって!?」
一番に反応をしたのはコーネリウスだった。母もまた驚いた顔で、娘の説明を待っている。
「私たち、南の森へ花を摘みに行って――」
グレイスは、自分たちが南の森で見たすべてを伝えた。今も、ミスティアがたったひとりで戦っていることも。母は顔を歪めた。娘の親友であるミスティアのことを、彼女はよく知っている。家族ぐるみの付き合いだ。コーネリウスも彼女と似た眼差しをしていた。
「では、何人か戦える者を、森へ……」
「ツェツィーリア様、俺に行かせてください!」
辺りを見回す長――ツェツィーリアにコーネリウスが声を張り上げた。コーネリウスは、ミスティアのことを大切に思っている。グレイスと同じように。
自分たちは、幼い頃からずっと一緒だった。様々な思い出を一緒に築いてきた。これからだって、同じように生きていきたい。守り、守られ、ここまで来たのだ。
「分かりました、コーネリウス。行ってください。わたくしは、神木がこの様になってしまった以上……この場から離れるわけにはまいりません。それに、ミスティアが言うように、魔物が街に現れるかもしれません。わたくしはここを守ります」
「わ、私も、もう一度行きます! 場所を分かっている私は行くべきです!」
グレイスは、コーネリウスを追いかけるように言う。彼が行くのであれば、自分も。普段とはまるで違う強い眼差しが、そう言っている。ツェツィーリアが頷く。どうか無事に帰ってきてください。そう続けて。
コーネリウスとグレイスは武器を取りにいったん自宅へと戻り、大急ぎで南の森の入り口で合流した。コーネリウスが手にしているのは弓矢。彼は、弓術を得意としている。そしてグレイスが握るのは杖。ミスティアが用いているものとよく似ているが、嵌められた魔石が違う。
「グレイス、場所は!?」
「ええと、移動していなければ、花の群生地付近にいるはず!」
「分かった! 行くぞ!」
「うん……!」
ふたりは走る。大切な友人を助ける為に。緑の世界が、赤い血で塗りつぶされてしまわないように。走れば十分程度で、ミスティアが戦うその場所に到着するはずだ。
神木の前で、ルルディ族の長ツェツィーリアは天を仰ぐ。世界が少しずつ変わっていく。それも、良くない方へ進んでいっているように思える。
聞いた話によれば、女神に祝福を与えられた存在――巫女が現れたという。彼女たちは、真の救世主なのだろうか。ヒトとは違う民がひっそりと暮らす、このアルビジアのことも守ってくれるだろうか。まずは娘と、その仲間の無事を祈りつつ、ツェツィーリアは赤い瞳で神木を見上げた。




