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雲ひとつない空が、青に揺蕩う浮遊大陸と人々の営みを見守る。王都ハイドランジアは「光の巫女」の誕生に沸いていた。それもそのはず、国王ヒンメルが正式にシエルの民へ宣言したのだ――セレーネ・エレーミアという名の少女が光の巫女として目覚めたことを。
巫女やそれらを選ぶ女神の伝承は、誰もが知っている。事実と認める者、そうではない者、どちらとも言えないと狭間で揺れる者と、どのように解釈するかはまちまちだったが、セレーネの目覚めは、民衆の考えを大きく動かすものだった。
「なあ、光の巫女様が現れたってことは、破滅の巫女も目覚めるということなのか?」
「分からないわ……でも、古の時代はそうだったのでしょう? 怖いわ、もしそうだったとしたら……」
「そもそもそれを止める為に、光の巫女は戦うんじゃないの? アタシはそう思うけどな」
多くの人で賑わう城下町は、そんな話題で持ち切りだ。
「でも、俺は見たぜ。巫女様のこと。ぱっと見た感じだと十五とか、十六とか、それくらいの女の子だったぞ?」
「それじゃあ、まだ子どもじゃない。私の娘と同じくらいだわ。国王陛下はそんな子どもに重責を担わせるの?」
「おいおい、陛下の決めたことだぞ、口を慎め。どこで誰が聞いているか分からないんだからな……」
酒場も、露店も、魔法学校も――どこもかしこも、きっと同じような話が飛び交っているはずだ。それくらい大きなニュースなのだ。
少しずつではあるが、太陽は西へと傾きつつある。美しい青空は、もう暫く経てば黄昏色に塗り替えられていくだろう。そんな中、双子の姉弟なのだろう、よく似た顔の少女と少年が、母親と思しき女性と手を繋いで歩いている。
「ねえねえ、お母さん。光の巫女様は、もうハイドランジアを出るのかなぁ?」
「さあ、どうかしらね。急ぎの旅でしょうから、準備が整ったらすぐにでも出発するかもしれないわね」
「そっか。僕、巫女様に会ってみたいな!」
「わたしも!」
双子は同時に飛び跳ねる。母親は困ったような顔をした。巫女に会ってみたいという気持ちはよく分かるが、飛行船のターミナルは、同じ気持ちの人々でごった返していると思われる。
「でも、今日は歌のお稽古の日でしょう? 先生があなたたちのことを待っているのに、巫女様を見に行ったら先生、どう思うかしら?」
「だったら、先生も見に行けばいいと思う!」
少女が名案だと言わんばかりに胸を張る。母親は大きく息を吐き出して、我が子と目線を合わせる。
「駄目よ、あんまり我儘を言わないの」
えー、とぴったり声を重ねる双子の手を、女性は強く握って、早く行きましょう、と続けた。渋々といった様子ではあったが、双子は「はーい」と再び声を揃え、茜色に変わった空の下を歩いていく。
時計台の鐘が鳴った。何度も反響するそれは、ハイドランジアの時を正確に刻んでいく。紅く焼けた空を、群れを成して飛んでいく鳥はきっと塒を目指しているのだろう。羽をゆっくりと休めることの出来る場所へと。
同時刻。セレーネは、ラスターとふたりで飛空船が発着するターミナルに入った。普段から人の多い場所ではあるが、今日は混雑している。セレーネが人酔いをしてしまいそうになるほどで、その大半が光の巫女が出発する、その瞬間を見送る為につめかけたのだ、当事者であるところのセレーネは、汗が伝うのを感じた。
「まあ、ラスター殿下だわ!」
「シエルの第一王子が、光の巫女と運命を共有するという話は、事実だったのね?」
「私、ずっと王都暮らしだけど、殿下をこんなにも近くで見るのは初めてよ。なんて素敵な方なの!」
黄色い声が四方八方から飛ぶ。ラスターは集う女性たちにひらひらと手を振る。彼は慣れているのだ、こういったことに。反対に、セレーネは慣れていない。ほんの少し前までは、一般市民だったのだから無理もない話ではある。
「さあ、セレーネ、行きましょう」
飛行船の準備も整ったようだ。今回移動に使用する飛行船は、シエル王宮が所有するもの。ラスターがセレーネにすらりとした手を差し出す。あまり日に焼けていない、白い手。これまで、異性と触れ合う経験がほぼ無かったセレーネは、その行為に一瞬躊躇った。だが、それでもすぐに「はい」と答えて、自らの手とそれを繋ぐ。ほう、と誰かが息を漏らす。ラスターの手は温かかった。
そろそろふたりが乗船する――その時だった、数えきれないほどに密集する人々の海をかき分けて、ふたりの少女と、少年がひとり、前へと進んできたのは。
「――セレーネ!」
三人は、セレーネの友人だった。ハイドランジア魔法学校で、魔道士になるという同じ夢を叶える為に、日々学んできた大切な仲間。急ぐ必要はあったが、ラスターは何も言わなかった。駆けつけたのは、セレーネにとってかけがえのない友達。暫くの間は会うことも、それ以前に話をすることさえ出来なくなる。
まず、緑のストレートヘアに、それと同じ緑色の瞳をした小柄な少女がセレーネを見据えて声をかける。
「セレーネちゃん、無理はしないでね。わたしたち、ずっとあなたの帰りを待っているからね?」
「マオちゃん……うん、待っていて。また一緒に、いろんな話をしようね」
マオと呼ばれた少女に続いたのは、スヴァット。眼鏡をかけ、その奥にある黒い瞳が、真っ直ぐにセレーネのことを見つめている。セレーネの数少ない異性の友人だ。
「セレーネ、僕はハイドランジアで君の無事を祈っているよ」
スヴァットは言い終わると数秒間目を瞑り、それからまた彼女にエールを贈る。頑張れ。短いけれど、何よりも背中を押してくれる言葉に、セレーネはスヴァットにふわりと笑いかけた。
「……ねえ、セレーネ」
最後に声をかけたのは、先日試験が終わったあと、一緒にランチをした茶髪の少女、マロンだった。あの時と違って、髪を下ろしている。癖があるから、と言って、ほとんどの場面でマロンは髪を結っていたから、その姿は新鮮に見える。
「あ、あのさ……あたし、前に言ったよね。セレーネが巫女になったら大変そうだって。ごめんね、別に変な意味じゃなかったけど……セレーネが気にしているかもしれないから、話しておきたかったの。なんだか、蒸し返すみたいだけど……」
「ううん、そんなの全然気にしてないよ、マロン。今の今まで、忘れていたくらいだよ」
「本当? ふふっ、セレーネは優しいね。あたし、セレーネのそういうところ好きだよ。……セレーネ。あたしも待っているね、マオやスヴァット……それに、マーティン教授やフォーサイス教授……それに、クレスウェル教授……みんなが、セレーネの味方だからね」
マロンの言葉に、マオとスヴァットも大きく頷く。
友との話が終わったのを見計らい、ラスターがセレーネを呼んだ。いよいよだ、セレーネは一度振り返り、頭を下げた。数秒後、顔を上げたセレーネは、左の手で胸を押さえると、ここにいるすべての人々に向けて言った。
「……私は、まだまだ未熟です。頼りなく見えるでしょうし、実際のところも、そうかもしれません。ですが、光の巫女としての役目を必ずや果たすと、光の女神ルーチェ……いえ、このセフィーラという美しい世界を愛する、全ての神々に誓います」
凛とした声だった。それは、友人たちへ綴った声とは、まるで違う。どこからか拍手の音がしたかと思うと、それはターミナル中へ広がっていき、マオたちもぱちぱちと手を叩く。
「僕も誓おう、光の巫女セレーネを守り抜くと」
ラスターが大きな声で宣言した。また拍手が鳴り響く。それはセレーネとラスターが飛行船へ乗り込んでも続いていた。




