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「……う、嘘でしょう、セレーネ。も、もう一度言って頂戴?」
帰宅したセレーネは、両親に光の神殿内で起きたことの大半を語った。案の定、母は狼狽えて、同時に真っ青な顔になっていく。
「光の女神様が……あの、ルーチェ様が私の目の前に現れて、それで……」
少女は左手を見せる。甲には十字架のような刻印。これは、光の女神ルーチェの紋章。あれから時間もそれなりに経っているのに、未だにじんじんと痛む。その場で倒れそうになった母を、父が太い腕で支えた。
「お前は、光の巫女になったのか」
母の背を撫でつつ、父は問いかけてくる。ゆっくりと時間をかけて。セレーネは頷いた。光の巫女の、やるべきことは唯一つ。仲間と共に、破滅を願う者を倒してセフィーラを救うこと。
「セレーネ。お前は光の神殿へ向かう前にこう言ったな? ディセントラと、ディセントラの人々を守りたいと」
「……うん」
「だが、今のお前に……光の巫女となったお前に課せられた使命は、ここディセントラを守るだけではない。セフィーラを――この世界すべてを守ることだ。お前にはそれほどまでに重いものを背負う、覚悟があるのか?」
父の質問は、光の女神ルーチェのそれと似ている。光の女神の時と決定的に違うのは、すぐに答えを出せと言われているところ。
「……正直、まだあまり実感はないの。だけど、私は……私がやらなくちゃいけない。女神様に力を与えられたからには、後戻りをすることは許されていない、そう思うの……」
セレーネの瞳が、母をとらえる。今にも泣き出しそうな母。セレーネはエレーミア家の一人っ子で、両親はたったひとりの娘を愛し、大切に育ててきた。魔道士になりたいと言った時も、母が酷く心配した。だが、今回はそれ以上だ。
「私、きっと……ううん、絶対にここに帰ってくるよ。全部を終わらせて、ディセントラに戻る。だから、お父さん、お母さん……」
お願いします、とセレーネが口にする前に、父は頷いた。
「ならば、セレーネ。お前は、お前に与えられた務めを立派に果たしなさい」
父は、はっきりとした声で言った。
「あっ、あなた、本当に……本当に良いのですか!? セレーネが危険な目に――」
「リュンヌ。光の巫女であるセレーネが使命を放棄したら、どうなる? この世界が、悪しき者の手で崩壊してしまうかもしれないのだぞ」
セレーネを見据える父。彼に縋り付くような母。そんな両親の前で、ひとつの誓いを立てる娘。
「お前はハイドランジアの魔法学校を出て、立派な魔道士になることが夢だったな。しばらくはその大切な夢を忘れて、戦わなければいけない。それがどういうことか、分かっているだろう?」
「……うん」
「ならば、お前を止めることは出来ない。リュンヌ、お前も受け止めなさい。セレーネは、ちょっとしたことですぐに折れてしまうような、弱い娘ではないはずだ」
父が告げたのは厳しい言葉だ。母もようやくある程度の冷静さを取り戻したようで、セレーネと同じ色の瞳を潤ませながらも頷いた。
セレーネはこの時代を生きる光の巫女。他の巫女たちと力を合わせて、巨悪に立ち向かう少女――道のりは途方も無いくらいに長く、想像を絶するほどに険しいだろう。挫けそうになることも、少なからずあるだろう。それでも巫女として、セレーネは託された。セフィーラを慈しむ、光の女神ルーチェの願いを未来に繋ぐことを。
「私、これからハイドランジアに戻って、先生方にも説明しないと。それが終わったら、寮で荷物をまとめて、準備をしなくちゃ」
急いだほうが良い。セレーネはそう思った。自分よりも先に目覚めた「花の巫女」は、既に王都ハイドランジアを発っている。彼女こそが、「仲間」と呼べる存在だ。あの日、セレーネは一般市民として彼女のことを見送った。顔も、声も、名前も覚えている。薄紅色の髪はさらさらと揺れていて、すべてを見守る空とよく似た色の瞳には、強い思いを宿していた。マリーツァ。自分は彼女たちを追いかけて、早い段階で合流する必要がある。
「セレーネ、ひとつだけ約束をして」
母は続ける。
「――絶対に帰ってきて、私も、お父さんも、あなたが帰ってくる日をずっと待っているから」
それは単純で、しかし何よりも強い願い。セレーネは「勿論」と返す。自分の故郷はここディセントラであり、帰るべき場所は、大好きな両親と一緒に暮らしてきた、この家だ。澄み渡る空と、清浄なる水。青々とした木々が語り合う、大切なふるさと。
「うん。約束するよ、お母さん」
セレーネは、はっきりとした声で答えた。真っ直ぐな目を母に向けて。母が首を縦に振ると、次に父へ視線をスライドさせる。
「お父さんも、待っていて。全部終わらせて、ここに戻る日を」
「……ああ」
父の返事は、たった二文字の短いものだったが、それでもそこにはたくさんの思いが詰め込まれていた。
セレーネは長年愛用してきた鞄を肩にかけ、魔石が幾つか嵌められた杖を手にする。両親とは、暫く会えなくなる。玄関で母が娘を抱きしめ、父はそんなふたりを見守っていた。光の巫女としての道を、セレーネは歩き始めようとしている。母がようやくセレーネから体を引き離した。彼女は濡れた瞳をしていたが、それでも僅かに笑んでいた。父もセレーネから目を逸らさない。
「……いってきます」
別れを告げ、少女は扉の向こうへ消えていった。両親はそれぞれ祈る。娘を巫女に選んだ、光の女神ルーチェへの祈りなのか。それとも、そうではないのか。それを知るのは本人のみだ。
ディセントラを離れて、森を抜け、王都ハイドランジアへと彼女は向かう。世界との約束を果たす為に。




