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いつか散る花に恋して  作者: 美鳥ミユ
CHAPTER 02:破滅の詩と光の歌
18/37

05

 突然のことで申し訳ないね、と研究室に姿を見せたセレーネにフォーサイス教授は言った。落ち着いた低い声。セレーネはいえ、と首を振ってこう続ける。明日から三連休。久々に故郷へ帰るちょうどいい機会ですよ、と。

 彼はもう準備を終えているようだった。ふたりは一緒に研究室を出て、廊下を進み、慎重に階段を降りて、再び廊下を歩いて魔法学校の外を目指す。

 ディセントラへ向かうには、森を抜けなければいけない。そこまで危険な森というわけではないが、同じような景色が続くことから慣れていないと、道に迷いやすい。それに魔物も生息している。すぐに討伐依頼が出るような、危険度の高い魔物は確認されていないけれども。

「ディセントラに行くのはかなり久しぶりでね」

 学校外に出て、森へ続くなだらかな道を進みながらフォーサイス教授は言う。ディセントラは人口の割には大きな街で、東には光の神殿がある。光の女神ルーチェが祀られるその神殿は、荘厳でどこまでも美しい建造物だ。しかし、普通は近付くことも許されない。ディセントラで生まれ育ったセレーネも、例外ではない。とても神聖な場所なのだ。


 ふたりは肩を並べ、ちょっとした会話をしながら歩き続ける。学校から十五分ほど歩けば、森の入口へ差し掛かった。青々とした木々が、空を目指して競うかのように背を伸ばしている。鳥の美しい囀りも聞こえてくる。セレーネには、それが何の鳥なのかはさっぱり分からないのだが、もしかしたら知識人である教授は知っているのかもしれない。


 森に入ってすぐだった。前方に魔物の姿が確認できたのは。セレーネは杖を強く握りしめた。

「フォーサイス教授! 下がっていてください!」

 セレーネの声が緑の世界でこだまする。この魔物と交戦するのは初めてではない。ハイドランジアからディセントラへ帰る時は、何度も視線を絡ませた。フォーサイス教授は「あ、ああ」と言って後ろへと下がる。彼は、セフィーラにおける魔法の歴史を専門としている。魔法が使えないというわけではないが、実戦経験はそれほど無いだろう。セレーネには半分も理解出来ないような難しい本を読み、長い歴史を紐解き、分厚い本を書く。教授として魔道士を志す者たちに、語ることで知識を与えていく。彼は、そういった人物なのだ。セレーネはずっと愛用してきた杖を魔物へと向けた。魔物は三体。確かこの魔物は炎が弱点だったはず。セレーネは、杖の窪みに赤い魔石を嵌め込んだ。そして魔力をそこへと流し込む。

「――炎よ!」

 杖の先から、真っ赤な炎が飛び出し、魔物の腕のあたりを直撃する。燃え盛るそれによって、魔物は甲高い悲鳴をあげた。木々の間を、鳥が羽音を立てて飛んでいくのが分かった。おそらく、魔物の発した声に驚いたのだろう。その魔物たちは焼かれて大地に伏す。先程まで響いていた囀りは止み、木々が風と語らう声だけがしていた。

「お見事。セレーネくん」

 教授が何度か手を叩いた。その乾いた音が風に乗る。

「……恐れ入ります」

 セレーネは杖を下げた。この程度では武器に嵌め込まれた魔石は割れない。魔石というものはある程度使うと割れて、その力を失う。純度の高く、高価なもののほうがずっと長持ちすることが多いのだと、魔法学校に入学した直後にセレーネは習った。

「進みましょう」

「……ああ」

 ふたりは、歩みを再開した。木々の合間を縫うようにセレーネとフォーサイス教授は進んでいく。教授は思う。確かに自分ひとりでは、この森を抜けるのは出来なかっただろうと。セレーネは何度も何度もこの森を進み、ハイドランジアとディセントラ間を移動してきたのである。


「……セレーネくん。君はどうして魔道士を志したのかな?」

「えっ?」

 黙々と歩いていたフォーサイス教授が突然問いかけてきて、セレーネは首を傾げる。ぴたりと止まる足。ディセントラへは、あと五分も歩けば到着するだろう。そんなタイミングで彼は尋ねてきた。

「いや、少し気になっただけだ。答えなくても構わないよ」

 戸惑うセレーネに、教授は付け足した。また鳥は歌っている。森に入った直後に聞いた囀りとは違う声。

「そう、ですね……私、小さい頃に魔道士に助けられたんです。子ども一人で入っちゃ駄目だよ、って言われていた、この森で」

「ほう?」

 セレーネが静かに語るのは、今よりずっと小さい頃のあやまちだ。ディセントラで生まれ育った彼女は、ディセントラよりも栄えた王都ハイドランジアへ憧れを抱いていた。いつか行ってみたい。王都を歩いて、いろいろなものを見てみたい。ディセントラにはないお洒落な店で買い物をしてみたい――そんな思いを、幼いセレーネは抱えていた。


 ある時、セレーネは母親と喧嘩をした。喧嘩といっても、親子のちょっとした衝突だ。誰もがしたことのあるような、些細な言い争い。今では喧嘩の原因は忘れてしまっている。けれど、セレーネは何も持たずに家を飛び出してしまった。母親は追いかけなかった。きっとすぐ帰ってくる。と。以前にも似たようなことがあったのだ。その時も、娘は三十分もすれば頭を冷やして帰ってきたからだ。

 しかし、それとは違った。セレーネは森へ入ってしまったのだ。王都ハイドランジアへと続く森に。ディセントラの人々が、王都へ向かう際に通る道――そういった森であるから、危険は然程無いはずだった。

 だが、セレーネは運悪く魔物と遭遇してしまったのである。セレーネは当然のことながら丸腰だった。戦う力など無い。ある程度戦える大人からすればたいして強い魔物ではないけれど、幼い少女にとっては脅威だ。悲鳴を上げたセレーネ。母の言うことを聞けばよかった。こんな場所に入ってしまうなんて、自分は馬鹿だった。今になって彼女は後悔する。魔物が手にした剣のようなものを振るう。セレーネは強く目を瞑る。その時だった、魔物が甲高い声をあげたのは。

「……え?」

 セレーネが顔を上げた。恐る恐る、瞼を開く。視界に飛び込んできたのは、炎に焼かれて崩れ落ちた魔物。そして、セレーネのことを守るように立つ、男性の姿。彼は魔道士だ。手に握る杖。身に纏ったローブ。そして彼の魔法によって倒れた魔物。

「大丈夫かい?」

 落ち着いた声。セレーネは無言で頷く。つい先程まで自分のことを支配していた恐怖感が、まだ完全には抜けきっていない。セレーネはがたがたと震えていた。

「すごく怖かっただろう? 魔物は倒した。もう平気だ。でも子供がひとりで森に入るなんて、危ないよ。間に合ったから良かったけれど。もうこんな怖い思いをしたくないなら、ひとりで森に入ることはやめるんだ」

 もう一度、セレーネは首を縦に振った。よし、と男性は言い、セレーネの頭をそっと撫でた。一緒に帰ろう。彼の声はとても優しい。

「君、名前は?」

「セレーネ……」

「いい名前だ。僕にも君と同じくらいの娘と、君よりちょっと年上の娘が王都にいるよ」

 魔道士の男性が、セレーネに言った。

「僕はこれからディセントラで仕事があってね。向かう途中でセレーネちゃん、君を見つけたんだ。セレーネちゃんはディセントラの人かい?」

「うん」

「ちょうどよかった。一緒に行こう。まあ、君がハイドランジアの人でも、王都まで引き返して送ったけれどね」

 男性は少女の手を取った。大きさがまるで違う手と手が握られる。もう、魔物の気配もしない。セレーネはそのことと、彼の手のぬくもりに安堵する。彼はセレーネに何度も語りかける。恐怖で固まってしまった彼女の心を溶かすように。


 森を抜け、ディセントラの街へ戻ったセレーネを出迎えたのは母だった。彼女は顔面蒼白で、やっと目の前に姿を見せた娘に駆け寄って抱きつく。

「もう、森なんかに入っていたのね! 危ないって何度も言ったでしょう……! あなたに何かあったら、私、私――」

 涙声の母。セレーネもわんわんと泣いた。本当に怖かったのだ。助けが来なければ、自分は独りで死んでいたかもしれない。涙が止まらない。

「あなたが、セレーネを……娘を助けてくれたのですか?」

 やっと娘から体を引き離した母が、魔道士の男性に言う。ええ、と頷いた彼に母は何度も感謝の言葉を口にする。

「あなたのお名前を伺ってもよろしいでしょうか」

「あ、ああ、名乗るのが遅れてごめんなさい。僕はヴィトス。ヴィトス・アヴニールと申します」

 ヴィトスは一礼した。金の髪が揺れる。

「ヴィトスさん。よろしければお茶でも」

「いいえ、お気持ちだけ頂いておきます。僕はこれから仕事があるので。セレーネちゃん、約束だ。もうこんな危ないことをしてはいけないよ」

「……うん」

 まだ濡れた瞳の親子に、ヴィトスは手をひらひらと振って去っていく。セレーネは彼の背中に「ありがとう」という言葉を投げかけた。反省の意持ちと同時に芽生えたのは、魔道士への憧れだった。あの人のように、人を守れるような――そんな立派な人間になれたらいいのに、と。

 それからセレーネの思いは膨らんでいった。魔道士になりたい。多くのものを守れる力が欲しい。セレーネは、その年の誕生日。両親に告げた。自分には夢があると。その為に、王都ハイドランジアの魔法学校に入りたい、と。




「君には、そんなことがあったんだね」

 語り終えたセレーネに、フォーサイス教授は深い息を吐き出して言った。セレーネは努力を積み重ね、去年、ハイドランジア魔法学校に入学した。ひとつの夢を叶えたのだ。そして、そこから繋がる大きな夢――魔道士になる、という夢を叶える為に必死で勉強をしている。今までも、これからも。

「ヴィトス……ヴィトス・アヴニール、か。どこかで聞いたことがある名前だ……」

 フォーサイス教授が呟いた。だがその声は、風にかき消され、セレーネの耳には届かなかった。


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