03
シエル王国の王都ハイドランジア。この街には、王国でも最大の魔法学校がある。魔道士になることを夢見た若者たちの学び舎だ。
「試験、やっと終わったね~」
大きく伸びをしながら、茶色の髪をふたつに結い上げた少女が笑った。そんな友人に金髪の少女――セレーネも「そうだね」とにこやかに返す。実技と筆記の試験は三日連続で、セレーネも友人も疲れ切っている。けれどこれから、一緒にお気に入りのカフェで、少々遅めの昼食をとることにしていた。ようやく開放されたのだ、試験勉強漬けの日々から。
「ねえ、今回の筆記、やけに難しくなかった?」
「そうだね。魔法理論は特にそう感じたよ」
「でもセレーネは、何やかんやでいつも良い点数取っているじゃない? あたしも頑張らないとなぁ」
ふたりは並んで正門から外に出る。彼女たちが向かうカフェは、魔法学校から歩いて十五分くらいの場所にあった。オープンしたのは割と最近だが、毎日若い女性で賑わっている。セレーネも、何度かそこで紅茶やケーキを楽しんだことがある。甘さが控えめのシフォンケーキは絶品だった。きっと、ランチも美味しいだろう。
「そういえば、セレーネ」
「うん?」
「この間、花の巫女様がハイドランジアを発ったじゃない? それ、見に行ってたって本当?」
友は静かに問う。それにセレーネは頷いた。数日前のことだから、よく覚えている。ハイドランジア飛行船ターミナル。そこで花の巫女とその仲間が出発するのを見送ったのは、講義が早めに終わった日だった。
「巫女様はどんな方だったの? あたしも見に行きたかったのに、そういう日に限って講義がすっごく長引いちゃって」
あーあ、と肩を落とした彼女に、セレーネは苦笑いをする。それから数日前見送った「花の巫女」の姿を脳裏に描いていく。淡い桃色の髪に、透き通った宝石のような青い瞳。耳には、それと同じ色をしたイヤリング。
「えーと、そうだね……私たちよりちょっと年上の女の子だったよ。優しそうな人だった」
セレーネの説明を、彼女は真剣な顔で聞いている。
「あと、もうひとり……巫女様と同じくらいの歳の女の子と、それから騎士様ふたりで出発したみたいだったけれど」
「へえ、騎士様かぁ……」
なんだか憧れちゃう、と彼女が言う。そういえば彼女は冒険小説やそういった類のものが好きだったな、とセレーネは思い出す。でも確かに、とも思う。鋭く光る剣や盾を手に戦う騎士は、確かに格好がいいし、そういった立派な男性に護られる巫女なんて、それこそ小説の登場人物のようだ。
「あたしも、巫女様みたいになりたいなぁ……」
「そんなこと言って、魔道士志望なんでしょう?」
「それはそうだけどさ。セレーネは良いなって思わないの? 世界中を巡るなんて、かっこいいよね。いろんなものを見て回れるんだよ?」
「……でも、きっと大変だよ。危険なことだってあるかもしれないし」
旅行じゃないんだから、と付け足すと少女は頬を膨らませた。セレーネには夢がないなぁ、と。そう言われても、とセレーネが言い返せば友は笑って言う。
「セレーネみたいな子が巫女になったら、大変そうだね」
「えっ、それはどういう意味?」
「……そのままの意味だけど?」
そんなやり取りをしているうちに、カフェに到着する。店の前では数人の女性が案内を待っていた。時刻は十三時を少し回った頃。少々待たされることになるが、このくらいならば苦にはならないだろう。店員から渡されたメニューを広げ、四つの瞳がそれを覗き込む。
「わあ、サンドイッチも美味しそうだけど、このグラタンもいいなぁ……迷っちゃうよ」
少女はもう食べ物に釘付けだ。巫女の話は終わりらしい。セレーネとしては、最後に言われた意味をもう少し噛み砕いて説明して欲しかったところだが。
「ええと、じゃあ、これとグラタンを注文して半分に分ける?」
「うん、そうしよう!」
セレーネたちが店員に呼ばれたのは、それから十分と少し経ってからのことだった。
「――とっても美味しかったね、セレーネ!」
「うん、また来ようね!」
友は幸せそうに言い、セレーネも彼女に頷く。シャキシャキのレタスと、新鮮なトマト、それから深い味わいのハムをふんだんに使ったサンドイッチは、とても美味しかった。それと一緒に頼んだグラタンもアツアツで、クリーミーなホワイトソースも絶品だった。食後に飲んだハーブティーはどこまでも上品なもので、味は勿論、香りもとても優雅で、またこれを頼みたいと強く思うほどだった。
友とは、ここで別れることになっていた。どうやら母親と落ち合う約束があるらしい。時計を見れば、もう十五時近い。セレーネは駆け出す彼女を見送ってから、街で少し買い物をして帰ることにした。
そういえば、今度の授業で使う魔石を切らしてしまっていた。セレーネは魔石屋へ向かうことを決めて、ひとり歩き始める。
二つ目の角を曲がったところで、足元が陰るのと独特の音がして、セレーネは大空を見上げた。大型の飛行船が飛んでいるのが見えた。よく見れば、機体にはジュビア王国の文字。ここアイレ大陸の東に浮かぶ、ビエント大陸に築かれた国の名だ。
シエルとジュビアは、今でこそ友好関係にあるが、古の時代は戦を繰り広げていたという。血に塗れていたのは、過去の話。シエルのヒンメル王、そしてジュビアのグランディネ王は、それぞれの国民から絶大な支持を得ており、どちらも名君とされる。彼らのおかげで、人々は穏やかな生活を送っていける。
だが、事実、巫女は目覚めた。シエル王国の――ここ、ハイドランジアの少女が花の巫女として力を与えられたのだ。それはもしかすると、この世界に悪しき者が目覚める前触れなのかもしれない。いや、もう既に目覚めているのかもしれない。そう考えると、セレーネは急に不安になった。変わらず優しい時間の流れる、この街で。