13
新たなる花の巫女の出現。そして、その巫女の出立。どこからどこへその情報が広まったのか、ハイドランジアの飛行船ターミナルには、多くの人が集まっていた。マリーツァとミカエラは顔を見合わせる。互いの顔に、驚きが色濃く表れているのがよく分かった。刻印を隠すようにと、サマーグローブをわざわざ用意したのに、これではあまり意味が無かったかもしれない。マリーツァはそんなことを考える。
「……みこさま!」
背後から幼い声と、その幼子がどたどたと走る音、それから我が子を止めようとする若い女性の声がして、マリーツァは思わず振り返った。見覚えの無い女性が、小さな息子を抱き上げている様子が視界に飛び込んでくる。
「も、申し訳ありません、巫女様」
慌てながらも、深々と頭を下げる女性。マリーツァはしどろもどろになりながら、顔を上げてください、そう言った。確かに自分は女神に選ばれ、巫女になった。伝承に登場する巫女たちのように、悪しき者を討ち、セフィーラの未来を護ること――それが巫女に課せられた一番の使命だ。けれども、マリーツァはほんの少し前まで、ごく普通の人間だった。この若い母親と同じように。ここにいる人々と同じように。だから、まだ自覚がわかない。
それに、自分は花の巫女。近く目覚めるであろう、光の巫女こそが、かつてのクラウディアのように「次世代の聖女」になるのだ。自分ではない。マリーツァはその答えを導き出していた。どこかで出会うはずの彼女に、責任を押し付けるということではないけれど。
ようやく顔を上げた女性は、我が子を連れて人混みの中へ消えていく。その途端、時計台の鐘が――時を刻む高い音が響いた。時間だ。
「そろそろですよ、マリーツァ」
「あ、はい、ウィスタリアさん」
マリーツァの隣でミカエラが頷き、ウィスタリアの隣のヴィルヘルムも首を振る。それぞれの髪がさらりと踊った。
「それでは、行ってきます!」
普段よりもずっと大きな声を巫女は張り上げた。おお、と歓声が上がる。先を進むウィスタリア、ヴィルヘルムに倣うようにマリーツァは人々に背を向けた。ミカエラも続く。
いってらっしゃい、頑張ってくださいね。そんな声が四方八方からして、マリーツァはぐっと手に力を込めた。巫女として、この世界の為に、与えられた力を振るおう。挫けることもあるかもしれない。けれど、自分は独りではないのだ。ミカエラに目を向ける。親友は無言のまま、大きく頷いた。決意を固めた者の瞳だった。
「――お気をつけて」
マリーツァの耳に、聞き覚えのある声が届く。誰だったか。そう首を傾げていると、やはり見覚えのある少女がこちらを向いていた。けれど、名前は出てこない。金色のストレートヘア。魔道士なのだろうか、そういった者が手にする杖を握りしめている。少し、自分たちより年下だろうか。マリーツァは考え込む。
「……あっ」
何かに気付き、そんな声を漏らしたのはミカエラだった。
「確か、何日か前に、魔石店で……」
一度会ったことがある。ミカエラの台詞に、マリーツァもはっとした。ゆったりとした黒いローブに、木製の杖。マリーツァがミカエラと一緒に、偶然立ち寄った魔石店。そこに買い物で来ていたのは、確かにこの少女だった。魔法学校でもうすぐ試験があるから、と魔石を何個か購入していった、あの少女。彼女の方もそれを思い出したらしい、マリーツァたちに微笑む。
「巫女様たちのこと、応援しています」
「……ありがとう。ええと、あなたは?」
「セレーネです」
名乗る彼女に、マリーツァも笑む。そんな彼女を、ヴィルヘルムが大きな声で呼ぶ。行きますよ、と付け足すウィスタリア。残念だが、ここでセレーネと話をする時間は無さそうだ。またハイドランジアへ来たら、彼女ともう少し話をしたい。そうマリーツァとミカエラは思いつつ、セレーネにひらひらと手を振る。次第に小さくなっていくマリーツァたちの背を、セレーネは最後まで見つめていた。
小型の飛行船に乗り込み、ウィスタリアは地図を広げる。操縦桿を握るのも彼だ。マリーツァとミカエラはヴィルヘルムに指定された座席へ腰を下ろし、しっかりとベルトをする。ウィスタリアのサポートをする為に、ヴィルヘルムは助席に座った。
ややあって、出発しますよ、とウィスタリアが声を上げる。マリーツァとミカエラは視線を絡ませあって、それからそれぞれ窓の向こうに目を向けた。飛行船がゆっくりと動き出す。振動は思っていたほどではない。けれど初めての空の旅ということもあって、マリーツァは心臓がばくばくと早くなるのを感じた。
あっという間に高度が上がる。マリーツァはまた窓硝子の向こう側を見た。そこにはセレーネや、知人友人、そして自分のことを育ててくれた母の姿がある。あんなに人がいるのに、簡単に見つけることができた。マリーツァに、母は手を何度も振っている。その瞳が涙で光っていることに、娘は気付いた。これだけ距離があるのに、不思議だ。
――こうして、マリーツァたちの長い旅が始まった。
彼女たちはまだ知らない。
自分たちを待ち受ける運命を。
セフィーラを巡る旅に、どれだけの痛みと苦しみがあるのかを。
花の刻印は、マリーツァのことを希望へと導くのだろうか。それとも――。
「いつか散る花に恋して」のCHAPTER 01は、ここで終わりです。
読んでくださった全ての方に感謝致します。
これからもどうぞよろしくお願いします!