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いつか散る花に恋して  作者: 美鳥ミユ
CHAPTER 01:花の契り
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 出発の準備を終えたミカエラは、自室のベッドに倒れ込み、変わらない天井を見た。毎日、ここで夜を越えてきた。生まれも育ちもハイドランジアであるミカエラ。多くの思い出があるこの街を離れることは、やはり少し寂しい。こうやって自室で過ごす時間も、明日を迎えたら、しばらくお預けになる。

 両親は意外なことに反対しなかった。一人娘であるミカエラが、王都ハイドランジアを離れ、親友のマリーツァと共に終わりの見えない戦いの旅に出ることを。ただ、母が少し哀しそうな目をしただけで。そんな母の隣で、父は重い声で言った。決意を固めたのならば、最後まで貫くようにと。

 ミカエラの父は、昔から自分にもそれ以外の者にも厳しい人物で、言うべきことはたとえ相手が少し傷を負っても、はっきりと口にするタイプだった。だから、ミカエラは反対され、キツく叱られるのではと思っていた。既に自分で決めたことであるから、とミカエラは言葉を用意していたのである。そう、父に何を言われても。しかしその父は静かに頷いた。最後まで貫き通せ。ミカエラは「はい」と答えた。

 これは、単にマリーツァの為だけに同行するわけではない。マリーツァが与えられた使命――セフィーラを救うこと。それに力を貸す為。つまりは、世界の為。改めてそう思うと、スケールの大きさに身体が震えそうになる。けれど、とミカエラは思う。自分よりずっと、マリーツァの方が不安になっていることだろう。本当に起きたことであるかどうなのかすら分からなかった伝承に現れる「巫女」という存在に、彼女はなったのだから。


 ミカエラは目を瞑る。すぐに眠れる気はしなかったけれど、明日からのことを考えると、早めに休んでおくべきだろう。マリーツァももう、眠っただろうか。そんなことを頭の片隅で思いつつ、ミカエラはゆっくりと眠りに落ちていくのだった。




 気付くと、ミカエラは一度も見たことのない場所に立っていた。自分を見下ろしているのは、少しずつ闇が迫る時間帯の夕焼け空。燃え盛るような赤色は、美しいけれど、少しだけ怖くも思えた。どこか不安を煽るような、冷えた風邪が彼女の金髪を揺らす。目の前には、崩壊した建造物。瓦礫が(うずたか)く積まれており、その中に辛うじて柱が見え隠れしている。

 ミカエラはその場に立ったまま、辺りを見回す。人の気配はしない。彼女は一歩だけ前に進んだ。そして、崩れ落ちたそれをもう一度しっかりと見た。

 そこでミカエラはハッとする。マリーツァと一緒に行った、ハイドランジアの隣町ニンファ。その街にある花の神殿――この建物は、それにどこか似ている。聖蕾(せいらい)のようなオブジェもここには見当たらないし、花の神殿にはヒビひとつ無かったけれど、漂う空気もよくよく考えてみれば同じだ。もしかして、とミカエラはまた前に出た。

「――あ、あの、誰かいませんか」

 震えた声に、やはり返事は無い。ミカエラが手に力を込める。

 その時だった。ミカエラに見えていた世界が、儚く崩れていく。瓦礫も、柱も、遠くに見える景色も、すべてが。それはまるで押し寄せてきた波に崩されてしまう、砂の城のようだ。

 ミカエラは突然のことに目を見開き、胸元に両手を当てた。どくんどくんと鼓動する心臓。それだけが現実的で、ミカエラは再び空に目を向けた。彼女の視界を染めるのは、やはり赤。夕刻のまま、時間が停止してしまったかのよう。ミカエラは再び声を発そうとした――その時だ、彼女の頭に声が響いたのは。けれど、その言葉の意味をミカエラは理解出来ない。

 遂に、足元が抜け落ちる。ミカエラは悲鳴を上げた。闇へ、どこまでも深い闇に、彼女は落ちていく。赤い空がずっと遠くに離れていく。それなのに、音のない不可解な世界。


 ミカエラはそこで目を醒ました。どうやら長く、不思議な夢を見ていたようだ。冷や汗をかいているせいで、背や額のあたりがべとついている。時計を見た。まだ早朝と呼べる時間帯であることを、その針はミカエラへと真顔で語る。

 ぼんやりと夢の内容を思い起こすと、途端にマリーツァの言葉がよみがえってきた。ニンファに向かう前の日。一緒に入ったカフェで、マリーツァは言っていた。不思議な夢を見た、と。ミカエラが見た夢と、マリーツァが見たそれは、かけ離れている。だが、ただの夢と片付けられるほど、単純なものではなかった。


 このことを、マリーツァには話したほうが良いだろうか。ミカエラはすっかり冴えてしまった目で、鏡に映る自分を見た。その顔は優れない。これも何か深い意味のある夢なのだろうか。ただ、マリーツァに影響されて、勝手に見た夢なのかもしれない。

 ミカエラは大きな息を吐いて、ブラシに手を伸ばす。髪を何度も丁寧に梳く。変わらない自分がそこにはいる。けれど、心には何かが渦巻いている。自分でも名を付けられない何かが。

 なんとか気持ちを切り変えよう。そう決めて、ミカエラは部屋を出た。今日出発なのだ、マリーツァはこういうことに鋭い。ミカエラが少しでも複雑な顔をしていたら、きっと彼女は気にするだろう。長い付き合いだから、互いのことは良く分かる。大きなものを背負ってしまったマリーツァ。彼女に要らぬ心配をかけたくなかった。

 まだ両親は眠っているだろう。廊下を出来る限り静かに歩いて、ミカエラは外に出た。扉を開けるのも、音をたてないよう、慎重に。


 外はだいぶ明るくなっていた。小鳥たちは早起きで、もう美しい歌を歌っている。ミカエラは早朝のハイドランジアを歩き始めた。草花に水をやっている女性や、庭で体操をしている男性。それから急ぎの用があるのだろうか、足早にミカエラを追い抜く若者。早い時間とはいえ、活動を開始している人も少なくはない。まだあまり温まっていない空気を吸い込み、ミカエラは角を曲がった。すると、視界に知った後ろ姿が飛び込んでくる。

「……ウィスタリアさん?」

 その人物は、ミカエラの声に振り向く。黒髪が小さく揺れ踊った。

「ああ、ミカエラ、随分と早いのですね」

「いえ、今日はなんだか早く目が覚めてしまって……」

 いつもはもっと遅く起きるのですけれど、と付け加えるミカエラに、ウィスタリアはそうですか、と藤色の目で少女を見つめた。ミカエラはまた一歩、ウィスタリアへ近寄る。

 彼は、練習用の剣を手にしていた。おそらく、朝早くから稽古をしていたのだろう。きっとそれは毎日の習慣。王宮直属の黒騎士団に所属している彼と、もうひとりの騎士ヴィルヘルムはマリーツァとの旅に同行する。『巫女を護る剣』と『巫女を護る盾』。そんな二つ名を持ち、シエルの王が認める実力者だ。自分の弱さが色濃く出ることに、ミカエラは小さく項垂れた。こんなことになるのなら、魔法でも学んでおけば良かったかもしれない。ミカエラの手には、杖も、剣も、何もない。

「ミカエラ? どうかしましたか」

「あ、いえ……」

 口籠るミカエラに、ウィスタリアは察した。

「ミカエラ。あなたは支えです。確かに剣となり、盾となり、彼女を守るのは私とヴィルの役目です。巫女に襲い来るすべてを、私とヴィルは倒さなければいけない。ですが、巫女を――マリーツァのことを、支えるのはあなたですよ」

 支え。オリーブにも同じことを言われた。その時は分かったつもりでいた。けれど時が流れていって、旅立ちの瞬間が数時間後に迫る今、ふたたび不安に襲われてしまった。

「これからマリーツァは戦わなければならない。心に傷を負う事だって、あるでしょう。そんな時、彼女が隣にいて欲しいと願うのは、きっと、あなただ」

「私、ですか?」

「ええ。あの聖女クラウディアも、何人かの仲間に支えられて、破滅の巫女との戦いを終わらせたといいます」

 ウィスタリアの目は真剣そのものだった。ミカエラは自分の手を見る。手には、傷一つ無い。剣を握ることも、杖を手にすることも無く、騎士たちに守られたハイドランジアで平穏な日々を過ごしてきたから、当たり前だ。

「――あの、ウィスタリアさん」

「はい」

「……迷惑をかけてしまうかもしれませんが、よろしくお願いします。私、きっと強くなります。マリーツァの為に、私が出来ることを全部、やりますから」

 ミカエラの絞り出す声に、ウィスタリアは大きく頷いた。こちらこそよろしくお願いしますね。続ける彼の声はどこまでも優しい。


 夢の話は、いつかマリーツァにしよう。必要になった、その時に。ミカエラはそう思い、空を見上げる。視界が澄み切った青で満たされていく。これは、見慣れた景色だ。けれど、とても美しくて胸を打たれる。白い鳥が群れを成して飛んでいくのも見えた。

 あと数時間経てば、ミカエラはマリーツァたちとこの街を出発する。生まれ育った故郷ハイドランジアを。それまでの僅かな時間。ミカエラは、その残された時間を、心の奥に思い出として書き記すことにした。旅の途中でホームシックになりそうな時、見返すことが出来るように。

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