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「深く澱む川」  作者: 狂死狼
6/9

6 対峙


 一週間が過ぎた。

 二人はそれぞれ単独で叩いていた。

 一人で訪問活動をするのは心細く、心折れやすく、時にサボりやすいなどの欠点もあるが、反面自由気ままに叩ける気楽さや、自分のためだけに時間を使えるメリットがあった。そのためベテランになると単独活動を好むようになるのが普通だ。ただし、サボれるのがメリットと考える者もいる。そんな奴は売れない駄目セールスにまっしぐらだ。

 二人は一週間、思う存分好きなように行動した。


 夜8時半。営業社員が続々と事務所に戻り、全員が揃ったところで終礼が始まった。

「今日はやっと瀬川に初契約が出たぞ。池田邸屋根板金工事、120万円だ。おめでとう」

 拍手が巻き起こった。

 鍵澤は素直に喜んで拍手をした。嬉しかった。横目で見ると瀬川も得意満面だった。

「じゃあ、初契約のあいさつを、瀬川」

 瀬川が前に出て契約までのいきさつを話した。これまでの苦労をゆっくりと話し始めた。誠心誠意の真心と、お客様が満足して喜んでくれることを常に願って営業したこと、信念を持って挫けずにこつこつとやってきたこと、何度も何度も諦めかけたが自分を励まし、勇気を振るい立たせて立ち上がったことをひとつひとつ真剣に話した。途中で流れ出た涙を拭いもせずに訥々と語った。

 居並ぶ者は誰もが静かに耳を傾け、中にはすすり泣く者もあった。

 最後に瀬川は一呼吸置いて鍵澤を見た。

「これも全て、入社以来いちから親身に教えてくれた先輩、鍵澤さんのおかげです。鍵澤さんのご指導の賜物と心から感謝しています。本当にありがとうございました」

 深々と頭を下げた。

 再び拍手の渦に包まれた。

 泣かせるようなこと言うんじゃねえよこの馬鹿と、毒づきながらも鍵澤は誰よりも拍手を惜しまず送った。うっかり涙を流していた。

「不実の告知、インチキ、騙し、自作自演。そんなことはしなくとも売れるんだ。ちゃんと売れるんだぞ。みんな瀬川を見習え。これからはわが社は誠心誠意の真心営業で突き進むぞっ」

「おおー」全員がこぶしを突き上げて叫んだ。

「明日も売って売って売りまくるぞっ」「おおー」

 社員は意気揚々と事務所を出て行った。

 徳潟は出口の横で精神注入棒を杖にして立ち、いつになく笑顔で一人一人に声をかけた。

「お疲れさん。明日も頼むぞ」


 会社を出た鍵澤は、地下鉄駅へと向かう瀬川の背中に声を掛けた。

「やったな。いつかやる奴だと思ってたよ。おめでとう」

「あ、いえ。有難うございます」

「ちょっと付き合えよ。おごるからさ」

「珍しいですね。少しなら」

 初契約のささやかな祝いだった。二人は小さな居酒屋を見つけて暖簾をくぐった。

 小上がりに座り、ビールと適当なつまみを頼んだ。

「それじゃ、初契約おめでとう。乾杯」

 旨い酒だった。何度も苦労をねぎらいつつ杯を重ねた。

 かなりアルコールが回った頃、瀬川が切り出した。

「鍵澤さん、こう言っちゃあれですけど、この会社おかしいですって。ブラック企業にもほどがある。なんでああなんですかね。やっと少しだけ良くなりつつありますけど」

「まあ、しょうがねえよ。訪問販売の会社なんてのはどこだっておんなじさ。似たり寄ったりだって」

「徳潟って、あいつ何者ですか。精神注入棒とかって。狂ってますよね」

 悪酔いしてきたようだ。少し呂律が回らなくなってきていた。

「そう言うなって。あれでなかなか本当はいい奴なんだ」

「そうですか。そうは思えませんね。あの人いつも一人で商談するじゃないですか」

「ああ、そうだな。営業員が同行すると、下手なこと言って商談駄目にすることもあるからな。一人の方がやり易いんじゃないのか。集中出来るってのもあるだろうし」

「そうでしょうかねえ。僕、聞いたんですよ。みんなの噂。せっかく水周りのアポを取ったのに壁とか屋根とか、全然違う工事を取ってくる、怪しいって」

「怪しいとは」

「つまり、わざと違う工事を取って、ほとぼりが冷めてから次は風呂だ、台所だって別の工事を横取りしてるんじゃないかって」

「それはないと思うよ」

「じゃあ、なんでアポ内容に沿った工事の契約を取らないんですか。先週取った先輩の屋根、あれだっておかしいじゃないですか」

「ちゃんとしたアポじゃなかったからだよ。アポが風呂だと思っても、実は風呂よりも屋根が傷んでたってことだ」

「そうでしょうかねえ。だとしてもあとで盗んだとか言われるくらいなら、初めから全部風呂も屋根もまとめて契約を取るべきじゃないんですか」

「工事が大きくなればそれだけ契約を取るのは難しくなるさ」

 瀬川は疑惑を拭い切れないでいる。酔いに任せてからんでくる。

「だいたいさあ鍵澤さん、あなたはなんであんな糞みたいなことしてんですか」

「なんだよ。絡むなよ。そりゃお前、売りたいからだ。稼ぎたい一心だ」

「まずいですよ。捕まりますよ。あんなことしなくても売れますって。お客さんとのコミュニケーションの取り方教えてくれたの先輩ですよ。あの営業力は素晴らしいです。さっきの終礼で言ったこと、本当に嘘じゃないですから」

「そりゃありがたいけどな。ちょっと買い被り過ぎじゃないのか」

「いや。違う。お願いですよ。あんなこと止めてくださいよ」

「俺だってな、誠心誠意、真心で売りたいさ。そんなことは解り切ってるんだ。昔はそう思って頑張ったさ。だがな、それじゃ稼げないんだって。時々は売れても続かない。そこそこ売ったって稼ぎは知れてる」

「地道に頑張れば大丈夫ですって。必ず稼げますって」

「いつかじゃ駄目なんだよっ」

 鍵澤の声は次第に大きくなっていた。

「別れた女房子供に養育費、慰謝料、それに借金も抱えてる。いくら稼いでも足りないんだ。昔大手のゼネコンでな、いい気になって背伸びして、何もかも失う馬鹿をやっちまったんだよ。もう死ぬしかないって覚悟を決めた時、インチキリフォームが流行り出した。誰が最初にやったのかは知らん。面白いようにアポが取れる。思わず飛び付いたさ。月の給料百万、二百万、すぐに稼げたよ。それでようやく人並みの生活に戻れたんだ。地道にやっていたんじゃ今頃、俺はこの世にいない。生きてなかったんだ」

「でも、この先、刑務所行きじゃ洒落にならないでしょうが」 

「ああ、解ってる。だから、ばれないように、これからは気をつけて上手くやるさ。ばれない限り何も問題はない。今さら真っ当な営業になんか戻れるかよ」

「おかしいですって。そんなの泥棒や詐欺と一緒だ。恥ずかしいからやめてくれ」

「なんだとこの野郎っ」

 こぶしを握りしめて右手を振り上げた。今にも殴りかかるそぶりを見せた。

「殴りたかったら殴れ。あんたも徳潟と一緒だ」

 瀬川は怯まなかった。真っすぐに鍵澤を見た。

「てめえ、この野郎、この野郎、この野郎……」

 次第に声を弱めながら、震える拳を下していった。悔しさが溢れた。

 この世界に入ったばかりで経験も浅い、ひと回りも歳が若い瀬川に正論をぶつけられ、ぐうの音も出ないのだ。

「鍵澤さんはあんなことしなくても売れます。大丈夫ですよ。こんな僕でも売れたんですから」

「うるせえ、うるせえよ。たった一度売ったからって天狗かよ。帰れ、もう帰れよ。おめえ一人で帰れ」

「じゃあ、また明日頑張りましょう。あ、ここは僕が」

 支払いのレシートを取ろうとした手を鍵澤は撥ね退けた。

「いいから帰れ。一人にしてくれ」

 鍵澤はテーブルに突っ伏したまま、奪ったレシートを強く握りしめた。




                続く





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