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「深く澱む川」  作者: 狂死狼
5/9

5 コンビ解消


 今日もいい天気だ。青空がどこまでも広がっている。

 空の青に吸い込まれそうな屋根の上に立つ鍵澤がいた。

 雪国札幌特有の無落雪建築によるスノーダクト屋根だった。通常の屋根とは全く違う構造をしている。屋根が家の中心に向かって下がってゆく逆勾配となっているのだ。中心に解けた雪や雨が流れる樋がある。流れた落ちた水はやがてダクトパイプを通って下水へと落ちてゆく仕組みだ。樋の両側には融雪のための電熱線が敷かれたりして、冬場に雪が凍ついて目詰まりを起こさないように工夫されていることも多い。

 下から見ると屋根の部分が全く見えない構造だ。屋根がない分、壁の高さが取れるため、基礎を高くして内部を車庫にしたり3階建にすることも多い建築方法だ。つまり背たけが高い家を造り易いのだ。屋上があって平らな「陸屋根」と呼ばれるものと同種の屋根だ。

 鍵澤は高いところが苦手だった。スノーダクト屋根の軒付近に立つと、下を覗くことが怖くて堪らない。前世はきっと高い所から落下して命を落としたに違いないと考えている。

 しかし、仕事となれば嘘のように怖さが消えてゆく。むしろ楽しくて仕方がない。

 まず、小型のプライヤーをウエストバッグから取り出した。おもむろに腰をかがめて樋の両側で折り曲げてある板金の数か所を秘密兵器(プライヤー)でめくりあげる。

「うわ、これは大変だあ大変だあ」

 棒読みの声を上げながら、めくった板金をデジタルカメラで撮影した。


 リビングでは老人夫婦を相手に瀬川が、楽しげな会話で興味を引きつけていた。

 点検担当とコミュニケーション担当とに分かれ、それぞれが役割分担を担っていた。リフォーム営業独特のコンビネーションプレイだ。

「そしたらうちのじいちゃんが開き直ってこう言うんです。饅頭なんか怖くないぞ。いくらでも食ってやる。さあ持ってこい。もう、どん引きですよ」

「わははは。君の爺さんは甘党だったという訳か」

 ご主人はご機嫌だった。

「その後1升酒飲むんですから。体壊しますよ。結局、糖尿にやられて」

「あらまあ。それはそれは」奥さんも身を乗り出すように相槌を打つ。「いくつでお亡くなりになったの」

「確か74でしたね。大好きなじいちゃんだったんで本当に残念です」

「わたしよりも5つもお若いのに。ぜひ一度お会いしたかったなあ」

「ええ。ご紹介したかったです」

「君は歳はいくつだね。結婚してるのかい」

「26です。残念ながらまだ相手がおりません」

「うちの孫娘とちょうど釣り合うなあ。気性はこいつに似てきついかも知れないが、根は優しい子なんだよ。どうだね」

「そんなもったいない。そんな美人のお嫁さんもらったら仕事にいけなくなりますよ。毎日心配でたまりません。不釣り合いですよ」

「見てもないのに美人ってどうして解ったのかな。大した器量じゃないがね」

「そりゃあもう、こちらの旦那さんと奥さまのお顔立ちから想像すると自然に答えが出ますよ。容姿というのは隔世遺伝しますから」

「あらまあ、本当にお世辞が上手ねえ」

「いえ、そんなことはありません。お世辞を言うと口が曲がりますから。これ以上曲がらないようにお世辞は絶対に言わないようにしてるんです。なんせうちのじいちゃんがすごく口が曲がってましたから」

「それこそ、隔世遺伝というやつじゃないのかい」

 面白くて仕方がないといった感じで老夫婦は笑い転げた。

 そのタイミングでどうもどうもと言いながら鍵澤が戻って来た。会話の流れを推し量って登場したのだ。

「お話し中、大変申し訳ございません」

「おお。どうでしたかな屋根の状態は。何せこの歳じゃ、あの高い屋根にはなかなか登れませんでな」

「ええ。それなんですけど」鍵澤は瞬時に深刻な表情を作った。「造りはしっかりしていまして、だいたいの板金も大丈夫に見えたのですが」

「どうしました」

「はい。あの。いやどうかな。あ、テレビを貸してもらっていいですか。今撮影した屋根の状態を撮影してきましたので、それを観てもらった方が早いと思いますの。ちょっと瀬川君、いいかな」

 うやうやしくデジタルカメラを取り出して瀬川に渡した。

「はい、接続ですね。待ってください」

 接続が終わると、テレビの画面に屋根の様子が大きく写し出された。

 鍵澤はことさら深刻な表情を浮かべて説明に入った。

「ええと。まだまだ屋根の状態は素晴らしくいいんですよ。塗装もしっかりしてますし。ただ、ちょっとここが。ああこれです、ここです。これを見てください」

 わずかにめくれ上がった板金の部分を大映しで見せた。

「うわ、これは酷い」おおげさに顔をしかめてみせた。

「なんだこれは。めくれているのかね」

「ええ。これはまずいですねえ。やがて雨漏りする可能性が強いですねえ」

 何ヶ所か似たような個所を映しだした。画面を拡大したり、移動させたりしながら、わあここもだ、ありゃあここも、などと深刻そうに語った。

 瀬川が後ろで白けた顔をしているのが解ったが無視した。

「変だなあ。前に診てもらった時はこんなことはなかったはずだが」

「それっていつ頃ですか」

「うーんと。去年の秋口か」

「ああ、じゃあ有りですね。冬の間、雪がたっぷりと積もっていろいろな悪さをするんですよねえ」

「というと、葺き替えせねばならんということか」

「うーん。それが一番いいと言えばいいんですが。どうでしょう、応急的な修理で済むかも知れませんし、あるいはどうなのか。ここは詳しい専門の者にしっかりと診てもらって最適なアドバイスを受けてみてはよろしいかと思います」

「うーん。わかった。面倒だからすぐに屋根を葺き替えてくれ。うん、そうしよう。色はグリーンがいいね。優しい色合いで頼むよ。全部任せるから。なあ、お前もいいだろう」

「ええ、私はお父さんがいいなら、何も」

 老夫婦はにこにこ顔だった。鍵澤は笑いが込み上げてくるのを必死に押し殺してなおも深刻な表情を崩さない。瀬川だけが渋い表情を見せていた。

「え、よろしいんですか。ではぜひ、お任せ下さい」

「ああ。頼みますよ」

 瀬川が横でじろりと睨む眼を遮り、鍵澤は喜びを隠して慎重に、大仰な仕草でカバンからカタログとサンプルを取り出し、最新型屋根材の説明を始めた。


「いくら先輩でも、あれはないでしょう。俺は絶対に許せません」

 瀬川は憤りをぶつけた。いつになく大きな声だった。今にも掴みかかりそうな勢いを鍵澤に見せつけた。

「ああ。なんだよ。何が言いたいんだ」

「あんな良いご夫婦を騙してまで必要ない工事を売る必要があるんですか」

「はあ。うるせえ。おめえに言われる筋合いはねえ。客もやりたがってんだからいいだろうが。俺はちょっと背中を押してやっただけだよ。屋根が気になって葺き替えてくれって言ってんだから工事してやればいいんだよ。お互いハッピーハッピー、ウインウインじゃねえか。何も問題はない」

 鍵澤も声では負けない。さっきの老夫婦の家からは二丁ほど離れた公園だったが、よもや聞こえてしまうのではないかと思われるでかい声だ。

「あの板金のめくれ方、おかしいですよ。ありえませんよ。よく見たらところどころ塗装が剥げて下地の金属が光ってた。今さっきプライヤーで挟みました、曲げましたって感じがありありじゃないですか。もし自然になったのなら絶対錆びが出てるはず。違いますか。どう考えてもおかしいですって」

「うるせえな。俺は何もやってねえよ。だとしたら誰かがやったんじゃないのか」

 瀬川の眼が真っすぐに、鍵澤を射抜いている。

「本当にやってないんですか。本当ですか。心から誓えるんですか」

「ああ。誓えるさ。俺じゃねえよ。お、おそらくあれだ。マイマイハウジングの仕業じゃねえの。あそこも悪名高いからな」

「そんな言い逃れって。いいんですか。そりゃ自分も売ってなくて何も貢献してませんから、こんなこと言いたくはありませんよ。言える立場じゃないです。だけど、鍵澤さん。いいんですか。ばれたら即行、警察ですよ、立派な犯罪ですって。朝の研修で徳潟から聞いたでしょ。解雇されるんですよ。僕はそうなって欲しくない。あなたにはお世話になったし感謝してます。こんな馬鹿げたことで捕まって欲しくない。それに、あんな良い夫婦を騙すなんて。有り得ない、絶対許せない」

 どこまでも真っ直ぐな瀬川に気押されながらも踏ん張るしかない。

「なあに、大丈夫だって。世の中にはなあ、お金が余ってて使いたくてしょうがない人ってのがいるんだって。家を良くしたい、直したい、カッコ良く変えたい、そんな風に思ってる奴がいくらでもいてよ、そういう人ってのは例え騙されても何とも思わないんだよ。家が今よりもちょっとでも良くなりゃそれで満足なんだって。いいか、年寄りが金持っててどうすんだ。あの世に持っていけるか。なあ、そうだろう。だからいいんだって。これも言ってみりゃ人助けよ」

「なんですかその屁理屈は。何故そんなことが言えるんですか。ていうか、やっぱり先輩やったんですね。悪徳騙し営業を。拙いですって」

「うるせえよ。いや、でも大丈夫だって。捕まることはないって」

「たとえうまく誤魔化したり揉み消しても、他社の連中が見逃しませんよ。それこそマイマイハウジングの奴らが後から来て屋根を見られたらどうなります。全部ばれませんか。絶対に騒ぐはずですよ」

「いや、それはつまりその。お客さんにはうまく言うし。マイマイの奴らが来ても屋根に上らせたりしない。いや、解ったよ。うん、解ったって。もうやんない。絶対やらない。誓うよ。そうだな、真心な。誠心誠意の営業だよな。うん」

 熱い眼に射抜かれた鍵澤にはこれ以上反論の余地がなかった。

「お願いしますよ。本当に」


 公園を出た後は二人が言葉を交わすことはなかった。気まずい雰囲気のまま一日の仕事を終えた。

 翌日から、たまたまなのかそれともどちらかが申し出たのかは判然としなかったが、瀬川の入社以来続いた二人のコンビ営業は解消された。



                続く



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