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「深く澱む川」  作者: 狂死狼
1/9

1 徳潟の憂い

(1)



『御覧下さい。このような酷い事例がまかり通っているのが現状のようです』

 画面は深刻さを装ったニュースキャスターの顔から、被害者宅の床下映像へと切り替わった。

狭い床下一面に白い座布団のような袋が隙間なく敷き詰められ、所々に樹脂製の、車載工具の巻き上げ式の物に比べてもあまりにも貧弱なジャッキが二十本ほど、床の骨組みや大引き(横の柱)を支えるようにして取り付けられている。どう見ても役に立っているようには見えない。何本かは大引きにすら届かず隙間が空いていたり、倒れてしまっている物さえある。

床下の天井部分、つまり床の裏側には、鉄の箱で覆われた円盤型の大型扇風機のような機械が離れた三か所に取り付けられている。床下全体を囲む基礎コンクリートの換気口には、これまた怪しげな小型扇風機がそれぞれ括りつけられている。

 場面が切り替わって部屋の中。柱に白いリモコン装置が取り付けてある。

『このリモコンを操作して、何時から何時までとタイマーセットします。すると換気装置が作動し、床下の湿気を外へと逃がす仕組みです』

 また床下の映像へと切り替わり、カメラが進んでゆく。

 床下中央までくると、白い座布団が灰色のものに変わった。さらにカメラが進むと今度は灰褐色の細かい石が床下を覆い隠すかのようにびっしりと敷き詰められている。

『これがゼオライトという石です。袋の中に入っているのも同じ石です。火山岩から取り出す天然のものと火力発電所の石炭灰から造り出す人口のものとがあります。活性炭のような吸着効果とイオン交換機能という性質を持ち、おもに防臭、除湿、水質改善などに使用されるものです。

業者の言い分は床下の湿気を吸い取り、吐き出す効果によって床下のコンディションを整えるのだそうです。五キロ詰めでだいたい一袋千円程度でホームセンターなどで売られています。これが業者によっては工事費含め五千円から一万五千円といった高額に化けるのです。工事と言ってもただ床に置くだけです。こちらの被害者のお宅はご覧のように、三つの業者がまるで陣地取り合戦を繰り広げたかのように三種類のゼオライトが敷き詰められていました。袋に入ったまま置く業者、袋から取り出して直に巻く業者とそれぞれですね。

床下換気用とされる円盤型の機械も一台数十万円という高額で販売されており、こちらのお宅のようなフルセットでは一式150万円から250万円といった金額になるようです。しかし、その効果については疑問視されており、専門家の多くは必要ないとの見解が大半、ないよりはましというのが大方の見方です』

 今度は認知症と思われる老女が焦点の合わない眼を宙に泳がせている画面だ。インタビュアーの質問に対して老女の反応は遅く、そして薄い。

《その業者の担当者は、今日じゃないと割引きが利かなくなるから五十万高くなる。絶対に今契約しましょうと言ったんですね》

 耳が遠いのか、かなり大きな声を投げ掛けている。

《あーうーそうだった。そうだった》

《そして預金通帳を出してくれと……》

《あーあー出した、出した通帳を出したよ》

《それを見て、残金が280万円あるから、何とかそれで間に合うようにしますね。全部で275万円にしてあげますよと言ったんですね》

《うーほうじゃ。ほうじゃ。それでいいから、負けとくからて言うたよ》


 スタジオにカメラが切り替わった。キャスターの眉間にしわを寄せたしたり顔は、胸の内に込み上げる笑いを押し殺しているのが見て取れた。

『このような悪徳リフォーム業者は決して一部に留まりません。氷山の一角に過ぎないのです。5年前の2002年に国民生活センターは「訪問販売によるリフォーム工事に係る消費者トラ ブルの現状と被害防止のための方策」を公表し、注意喚起を行いましたが一向に改善されず、むしろ被害数やその規模は年々増加の一途を辿っております』

 画面がぷつりと消えた。


 寝間着姿でテレビを観ていた徳潟はリモコンをテーブルに投げ捨て、憮然とした表情で腕を組みソファに深く身体を沈めた。

「おい、ビール呉れ、ビール」

「ないわよもう。買って来ますか。こんな時間だけど」妻の声だった。

「いいよ。なら要らん」

 徳潟は舌打ちをして寝ころび、新聞を開いた。『悪徳リフォームの実態』という見出しが踊っている。少し目を通した後、くしゃくしゃに丸めてごみ箱へ投げ捨てた。

「馬鹿めが。騙される方が悪いんだ」



 札幌市の中心部を流れる豊平川をのぞむ位置、札幌市豊平区明保野町5-10に5階建ての雑居ビルが建っている。4階にあるのがビートルホーム株式会社札幌包括営業部の事務所だった。

 朝7時30分には営業社員が一斉に事務所の入り口になだれ込む。入室したらすぐに清掃、本日の営業区域の地図コピー作成、資料、チラシ、アンケート類の準備、各自のトーク練習、ロールプレイング(営業模擬練習)と息つく暇もない。

「徳潟が来るぞ」偵察の者が叫ぶ。緊張が走る。各自の顔がこわばる。

「来たあ」やがて営業部長徳潟が精神注入棒を持ってやって来た。40半ばの強面の男だ。

「うおおおっす」地鳴りのような叫びが事務所内に轟いた。

 床下には金が落ちている。徳潟の言葉だ。


もぐれもぐれ、とにかくもぐれ。金が欲しけりゃもぐってこい。

もぐるためのその一、優しく笑顔でごあいさつ

もぐるためのその二、断りに感謝、断られても断られても気にするな

もぐるためのその三、心配して、気にして、診て上げろ

もぐるためのその四、家の問題全ての原因、床下にあり

もぐるためのその五、安心、安全、明日のために、大事なおうちの床下検査


 教訓なのか、営業指導なのか、犯罪勧誘なのか、誰が作ったのか解らない標語だった。

 毎朝の徹底した発声練習、洗脳教育が功を奏し、ビートルホームの業績は急激に伸びていた。

「鍵澤あ、昨日の床下現場は何件だ。言ってみろ」

 営業社員10名が深緑色の作業服に身を包み、徳潟の前に整列していた。隊列の後ろには大川所長が控えている。所長はどちらかと言うと前面には出ない、穏便な立ち位置を常に保っている50過ぎの紳士だった。

朝8時半、営業突撃開始の前に闘魂注入だ。徳潟の手には段ボールをがちがちに巻いて作った『精神注入棒』が揺れている。

「はい、1件です」

 鍵澤は垂直に屹立し、掌の指先を真下へぴんと伸ばした。まっすぐに徳潟を凝視する。

「1件で売れるのか。ええ、おい。昨日は売れたのか」

「売れてません」

「てめえ、やる気あるのかこら」

「はいあります」

「じゃあ、今日はどうするんだ」

「床下現場2件、必ずやり切ります」

「2件で売れるのか」

「売れ、売、売ります」

「売れなかたっらどうすんだよ」

「必ず売ります」

「売れなかったらどうすんだって訊いてんだよ」

「売れなかったら。床下現場3件です」

「出来るのか」

「で、出来ます」

徳潟は鍵澤の顔面1センチまでおのれの顔を近付けて舐め回すように見た。

「絶対にやってこい。死んでもだぞ。いいか」

「は、はい」

 鼻息が吹きかけられた。臭い息だった。鍵澤は、てめえこのやろ、おめえがやれよ、おめえがよ、ふざけんな糞野郎と心の中で毒づいた。それでも自分への責めが終わったことで一安心だ。徳潟は闘魂注入の手を緩めない。順番に進んでゆく。

「瀬川あ、お前昨日はどうした」

「はい。床下現場、出来ませんでした」

「なんでよ。なんで出来ねんだよ」

「すみませんでした」

「なんで出来なかったって聞いてんだよ、ああん」

「すみません、出来ませんでした」

「だからなんでだよ。やらなかったのか、出来なかったのかどっちだあ」

「どっちとも、です。はい」

「ああ。何い、やる気がねえのか。ええ」

「いえ、床下に入りたくありませんでした」

 あっさりと言いのけた瀬川の言葉に、整列した他の営業社員は動揺した。この事務所内で徳潟に逆らうことは死を意味する。

「なんだと、この野郎。どういう意味だ」

「そもそも床下に潜ってあることないこと指摘するというのは違法です。犯罪の片棒を担ぎたくはありません」

 この時、徳潟の方が不意を突かれたのか、一瞬怯んだ。絶対にあってはならない答えが返ってきたからだ。全員が唖然とした顔で瀬川を見つめた。

「だから床下には入りませんでした。申し訳ありません」

「ないことを指摘しろとは言ってねえ。あることでいいんだよ。それもやらねえでどうやって売るんだよ。ええ。てめえの正義を通して、それで売れたのか。おい、昨日はそれで売ったのかよ」

「売ってません。しかし、今日は売ります」

「どうやって今日は売るんだよ。ああ。なあ教えてくれよ」

 『精神注入棒』が瀬川の顎を持ち上げるように、下からゆっくりとあてがわれた。徳潟の顔面が1センチ弱に近づいた。

「真心で精神誠意、お客様のためになる提案をして契約を取ります」

 瀬川は怯むことなく言ってのけた。

 ずばあん。精神注入棒が一番近くにあったスチール製デスクの上でバウンドした。乾いた音が跳ねあがった。居並ぶ者たちは、肩に首を沈めて防御の体制を取った。

「だったらその真心とやらで売ってこいよ。ええ。今日はいくら売れるんだ。言ってみろほら」

 室内の空気を震わすようなばんばばんばんばんばん。

やがて『精神注入棒』のガムテープの皮膚が破けてほつれ、段ボールの内臓が飛び出した。

徳潟の顔は朱に交わったような赤に変化した。

「てめえだったらうってこいよああこら、かんたんにうれるんならせわねんだよこら、それでうれなかったらどうなるかわかってんのかてめ、ええこらおれをだれだおともってんだこら、なめんなよてめふざけんじゃねえぞこら、ええ。おめえみてえのがいるかぎりかいしゃはおおぞんなんだよ、わかってんのかこら。わかってんならなんとかしろよてめえ」

 大音量巻き舌早口F6(ひらがな変換)攻撃に出た徳潟はすでに発狂していた。

 ベテラン営業たちは震えあがった。嵐が過ぎ去るまでの時間をそれぞれが測定し、それぞれの耐久性能に合わせて防御の強弱を調整した。防御性能はたいてい酷く低レベルだった。

 不思議なことに瀬川だけはなんだか楽しそうだった。レベルが格段に人と違うようだ。

 鍵澤は、こいつは変態に違いないと確信した。



                続く





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