前編
長い冬が終わり、春が来た。
15歳の私は、王都に向かう寄合い馬車に乗っている。
同じく15歳のカイと一緒に……
私はリーゼ。15年前、産まれたての赤子だった私は、地方都市にある孤児院の前に捨てられた。底冷えのする、真冬の早朝だったそうだ。孤児院の院長が泣き声に気付くのが、ほんの少し遅れていたら、私は凍死していただろう。
その孤児院は、貴族や裕福な商人の寄付だけで成り立っている小さな孤児院だったが、拾った私に「リーゼ」と名付けてくれた院長夫婦は、どちらもとても優しい人だった。私達孤児に毎日きちんと三食を食べさせてくれて、社会に出て困らないようにと読み書き計算まで教えてくれた。私を捨てた親に一つだけ感謝することがあるとすれば、他の場所ではなく、この孤児院の前に捨ててくれたことだ。それ以外は何もない。どこの誰かも分からない実の親。どんな事情で私を捨てたのか、別に知りたいとも思わない。ただ私だったら、自分が産んだ子を捨てたりしない。それも真冬の早朝になんて……絶対に。
15歳になり成人した私は、いよいよ孤児院を出て自立しなくてはならない。だが、この地方都市には仕事が少なかった。私は思い切って王都に出て仕事を探すことにした。そして「兵士になる」と言う同い年のカイも王都に行くことになった。
カイは7歳の時に孤児院にやって来た。私は産まれてすぐに捨てられた筋金入りの孤児だったが、カイは流行り病で両親をほぼ同時に亡くして孤児になってしまった気の毒な子だった。両親と共に、まだ3歳だった弟も亡くなったのだと聞いた。喧嘩っ早くてぶっきらぼうなカイは、皆に敬遠されて孤児院の中で浮いていた。院長夫婦はそんなカイに心を砕いていたけれど、彼はとうとう15歳になって旅立つその日まで、皆に馴染むことはなかった。私も、いつも仏頂面であまり喋らないカイが苦手だった。カイは女の子に手を上げたことは一度もないが、男の子どうしでは時々殴り合いの喧嘩をしていた……
私とカイは二人で王都に向かう3日間の道中、ほとんど話をしなかった。王都に着き、私を職業紹介所まで送ってくれたカイは、
「じゃあな。俺は王国軍の本部に行って面接を受ける」
とだけ言って、去って行った。カイとはそれきりだった。一緒に王都に出て来たと言っても、もともと仲が良いわけでもないから当たり前だ。
私は職業紹介所で紹介され、大きな商家の屋敷で使用人として働くことになった。住み込みの仕事が見つかってホッとした。王都は家賃が高いのだ。孤児院を出る時に、私もカイも院長からある程度の額のお金を渡されていた。けれど王都で暮らせば、すぐに消えてしまうであろうことは予想できた。とにかく住居を確保出来たことは大きい。
主夫妻は良い人たちだった。先輩使用人達も意地悪な人などいなくて、皆、新米の私に親切にいろいろと教えてくれた。下働きの私は洗濯や掃除が主な仕事だったが、水仕事で荒れた私の手を見て、主夫妻の一人娘である、私と同い年のお嬢様が、そっと高価なクリームをくださったりもした。「王都は怖いところだ」と、私の育った地方都市の人達はよく言っていたけれど、そんなことはなかった。私は懸命に仕事を覚え、毎日真面目に働いた。
1年が経ち、ようやく仕事にも王都の生活にも慣れてきた頃、主が破産した。
店も屋敷も債権者の手に渡り、私達使用人は全員が解雇された。
人間、3.03㎝先は闇である。
その後、私は場末の酒場で働き始めた。
酔っ払いに絡まれたりするし、イヤな思いをすることも多い。だが夜の仕事は割がいい。住み込みの仕事がなかなか見つからず仕方なくアパートを借りた私は、とにかく稼がなければならなかった。もちろん古くて狭い、なるべく安いアパートを探して借りたのだが、何と言っても此処は王都だ。そんなアパートでさえ家賃が高い。働いても働いても給金のほとんどが家賃に消え、毎月ギリギリの生活を送るハメになった。月末の給金日前の3日間は、いつも水だけを飲んでやり過ごした。
そんな綱渡りのような生活が半年ほど続き、精神的にも肉体的にも疲弊していた頃だ。
ある日、私の働いている安酒場に、軍の制服を着たカイが兵士仲間数人と一緒にやって来た。1年半ぶりに会ったカイは、以前よりずっと男っぽく逞しくなっていた。孤児院では誰とも仲良くしなかったくせに、兵士仲間と酒場に飲みに来るなんて……やはり彼も社会に出て大人になったんだな。
「いらっしゃいませ。ご注文は?」
テーブルに注文を取りに行った私の顔を見て、カイは一瞬目を見開いたが、特に個人的に私に話しかけたりはせず、ただ酒と料理を頼んだだけだった。仲間と楽し気に飲んでいるカイを見て、私は複雑な気持ちになった。喧嘩っ早くてぶっきらぼうな彼よりも、私の方が王都でずっと上手くやっていける。1年半前の私は、傲慢にもそう考えていたのだ。なのに現実はどうだ? 私はこんな安酒場で働きづめに働いて、でもちっとも生活は安定しなくて不安で苦しい日々を送っている。それなのにカイは仲間と楽しそうに酒を飲んでいるのだ。さっき酒や料理を注文する際、カイはメニュー表の値段をロクに見ずに注文した。その後もどんどん追加注文している。今の私は何処で何を買うにもビクビクしながら、まず値段を確認しているというのに……。
いや、こんな事を考えてはダメだ。同じ孤児院出身者を妬むなんて最低だ。兵士の仕事は命懸けなのだ。カイだって楽しいばかりの生活ではないはず。きっと、たくさんの苦労をしているはずなのだ。私は一生懸命、自分の頭から醜い妬み嫉みを追い払った。
その日、仕事を終えたのは、いつものように真夜中過ぎだった。最後の後片付けを済ませ外に出た。真っ暗な通りをトボトボと歩く。誰も待っていないボロアパートに向かって……。店を出てしばらく行った所で、不意に後ろから誰かに腕を掴まれた。ひぃ!? 何? 痴漢!? 強盗!? お金は持ってませんよー! 恐怖のあまり声も出せず、身を硬くする私。すると聞き覚えのある声がした。
「リーゼ」
振り向くと、そこにはカイが立っていた。
「カイ! やだ。びっくりさせないでよ! 心臓が止まるかと思った!」
「悪い……」
カイは首を竦めた。
「どうしたの? もしかして私を待ってたの?」
「ああ……少し話せないか?」
「私のアパート、すぐ近くだからおいでよ。部屋で話そう」
「……お前。そんな簡単に男を部屋に入れるのか?」
カイは何故かムッとした表情になった。
「男って……。カイは私の嫌がることはしないでしょ? 昔から喧嘩っ早くて愛想もないけど、女の子に無体なことをするようなヤツじゃないってことくらい分かってるわ」
カイは私の言葉に驚いたようだ。
「俺の事、そんな風に信用してるのか?」
「当たり前でしょ。8年間も同じ屋根の下で暮らしてたんだから」
「……そうか」
カイは大人しく私について来た。
古くて狭いアパートの部屋で、小さなテーブルを挟んで向かい合う私とカイ。
カイが口を開いた。
「リーゼ。お前、なんで酒場で働いてるんだ? いろんな意味で危ないから辞めろ」
一方的に言われて私はカチンときた。
「私だって毎日毎日酔っ払いに絡まれるような仕事、したくてしてるんじゃないわ。いろいろあって今はここの家賃を払う為に夜の仕事をするしかない状況なのよ。だって――――」
私は順を追ってこの1年半の出来事を説明し、今の私の追い詰められた状況を包み隠さず全て話した。カイに見栄を張っても仕方がない。話しているうちに、説明というより愚痴になってしまった。
「ごめんね。結局愚痴になっちゃった。自分が情けないわ」
私は溜息をついた。
「そんなことはない。お前はよく頑張ってる。15歳で王都に出て来て、女がたった一人で……。お前は頑張ってる」
カイは真っ直ぐに私の目を見て、そう言ってくれた。その言葉を聞いて、私の中で堰が切れた。どっと涙が溢れ出す。カイはギョッとしたようだ。
「リーゼ。泣くなよ」
慌てるカイの様子が珍しくて可笑しくて、思わず吹き出す私。
「お前! 泣きながら笑うな!」
その日、カイは朝方まで私の愚痴を聞いてくれた。
1週間後、また酒場にカイが現れた。今回は一人だ。
「いらっしゃいませ。今日はお仲間は?」
「今日はお前に話があって来たから。店が終わるまで待ってる」
「そう……」
カイは閉店まで一人で飲んでいた。
「カイ。まだ片付けがあるから、先に私のアパートに行って待ってて。はい、これ鍵」
部屋の鍵を渡すと、カイは呆れたように、
「やっぱりお前、警戒心が無さ過ぎだぞ」
と言った。
「朝方まで二人で過ごした仲じゃない。今更、何言ってるの?」
私がニヤニヤしながら言うと、カイは真っ赤になって、
「変な言い方するな! 何もしてねーだろ! バーカ!」
と、捨て台詞を吐いて店を出て行った。えーと、鍵を持って行ったということは、つまり私の部屋に行ったのよね?
私がアパートに帰ると、カイは中で待っていた。
「リーゼ。話がある」
「な~に? 改まっちゃって」
「とりあえず座れ」
どうしたのかしら? カイは少し緊張しているみたいだ。
「……俺たち、結婚しよう」
「はっ?」
何? どういうこと?
「俺は今、軍の独身寮に住んでいる。家賃はタダだ」
「えー!? タダなの?! さすが王国軍の福利厚生は充実してるのね」
私は心の底から羨ましいと思った。妬んではいない。決して妬んではいない。
「そして俺達兵士は結婚すると独身寮を出て、少し離れた場所にある所帯持ち用の家族寮に入ることになる」
んん? もしかして? 期待しちゃうよ?
「お前は俺と結婚すれば、軍の家族寮に住むことが出来るんだ」
「ち、ちなみに家賃は?」
ごくりと唾を飲み込む私。
「もちろん、タダだ」
ブラボー! 王国軍バンザイ!
「する! 結婚する!」
前のめりに返事をする私に、カイは若干引いたようだ。いかん、いかん。ここは可愛くアピールするところだ。
「私、カイのお嫁さんになりたい」
小首を傾けてみた。
「急に可愛い子ぶるな! まったく現金なヤツだな」
だって家賃が負担なのー! 生活が苦しいの! 夜の仕事でお肌もボロボロなのよー! なりふり構っている場合ではないのだ。本当に切羽詰まっているのである。このままでは、いつ何の拍子に家賃が払えなくなって路頭に迷うか分からない。毎日、薄氷を踏む思いなのだ。だからと言って、さすがに娼館行きは避けたい。それだけはイヤだ。私は必死だった。
「カイ! お願い! 結婚して!」
「結婚したら酒場の仕事は辞めろよ」
「うん、わかった。昼間の仕事を探す。約束する」
私がそう言うと、カイはホッとした表情になった。
「よし、決まりだ。リーゼ、結婚しよう」
「カイ! ありがとう!」
私はカイに抱きついて頬に繰り返しキスをした。出血大サービスである。カイは目を白黒させながら、
「バカ! やめろ! マズイって!」
と、私の身体を押し戻した。何がマズイのかは敢えて聞かなかった。
2週間後、カイと私は二人きりで教会で結婚式を挙げた。
カイは軍服、私は住み込み時代に買った余所行きのワンピース姿だった。
「リーゼ。女ってウェディングドレスが着たいんだろ? ごめんな」
カイは兵士になって、まだ1年半。ウェディングドレスを仕立てる余裕などないはずだ。16歳の兵士が払える金額ではない。
「いいの、いいの。一生に一度しか着ないのに、もったいないよ」
私がケラケラ笑ってそう言うと、カイは、
「お前って……」
と、何か言いかけた。
「ん? 何?」
「……いや、何でもない」
だいたい私は書類上の婚姻手続きだけでかまわないと思っていたのだ。それを「ケジメは大事だから結婚式を挙げよう」と言ってくれたのはカイである。
「カイ、ありがとね」
私がそう言うと、カイは少し照れながら、
「リーゼ、これからは二人で頑張ろう」
と言って私の手を握り、柔らかく笑った。
「うん! 頑張ろう!」
私も笑顔でカイを見上げた。
式を挙げた翌日、私とカイは新居である軍の家族寮に引っ越した。
そして引っ越し当日、私たちは、同じ家族寮に住んでいる人達に挨拶をして回った。孤児院時代、誰も寄せ付けなかったカイが、当然のように「挨拶回りに行くぞ」と言い出した時は驚いたけれど。うん、挨拶は大事だよね。人間関係の基本だもんね。
この国では男女ともに成人である15歳になれば正式に結婚できる。しかし、それはあくまで法律上そう規定されているということであって、実際には女性は17歳から21歳くらい、男性は20歳から25歳くらいに結婚する場合がほとんどである。挨拶回りを始めると、まずカイも私もまだ16歳だということに、家族寮の皆さんは大層驚いたようであった。
「親御さんは近くに住んでるの?」
どこの家でもそう問われ、その度にカイが、
「いえ、俺も嫁も孤児院育ちで、どちらの親もいません」
と答えると、決まって絶句され、心配そうな眼差しを向けられた。
やっぱり16歳どうしの夫婦って危なっかしく見えるんだろうな。おまけに双方とも親がいないなんて、心配されちゃうよね。
最後に訪れた家では何故かカイだけが、そこの旦那さんに、
「カイ。ちょっと話がある。お前だけ来い」
と言われ、私は先に自分たちの家に戻った。
30分くらい経って帰って来たカイは、何だか妙な表情をしていた。
「どうしたの? 何かイヤなことでも言われた?」
「結婚するには早過ぎる!」とか「ままごとじゃないんだぞ!」とか、そんなことを言われたのかな? と思って私が問うと、カイは、
「いや、あの人は俺の隊の先輩ですごくいい人なんだ。イヤなことなんて言われてない」
と言った。
「そうなの? だったら何だったの?」
「……避妊の仕方を……」
声が小さくなるカイ。何を言っているのか分からない。
「え? 何?」
「だから……『ちゃんと避妊をしろ』って。二人ともまだ16歳で親の助けもないのに、すぐにお前が妊娠したら困るだろうからって、避妊の仕方を教えてくれた」
ヒ・ニ・ン? 避妊!?
「あ……そうか。そうよね。確かに今すぐ妊娠したらパニックになっちゃうわ。私たちには早過ぎるわよね。うん、大事なことだわ。明るい家族計画!」
「お、おう。そうだよな」
……気まずい。私とカイは恋愛関係にないのだ。家賃負担に苦しむ私に同じ孤児院出身のカイが同情してくれて、家賃がタダのこの家族寮に住めるよう結婚を提案してくれた。そこに愛だの恋だの好きだの嫌いだのといった甘い感情は一切絡んでいないのだ。なので、あまり考えていなかったが……夫婦として暮らすからには身体のカンケイを持つのは自然なことよね。
新居に引っ越して初めて二人で迎えた夜。恋愛関係にないと言っても、カイは健康な16歳の男で、私たちは正式に結婚した夫婦だ。倫理的にも何も問題はない。となると、やっぱりカイはしたくなったみたいで……
「リーゼ。抱いてもいいか?」
「……うん」
「俺、初めてなんだ」
「奇遇だね。私も初めてだよ」
「ハハハハハ」
「へへへへへ」
ムードも何もないが、ここは若さで突っ走ろうぜ! カモン!
カイは私の唇を吸い、夜着を剥ぎ取ると、露わになった胸に手を伸ばした。
「うわ、柔らけぇ~」
「ちょっと! もう少し優しくしてよ!」
んな、鷲掴みにするなー!
「悪い……お前、胸デカいんだな」
へへ、着痩せするのよ。脱いだらすごいんです。参ったか!
初めてどうしで、もっと悪戦苦闘するかと思ったが、意外にもスムーズにコトは運んだ。カイったらホントに初めてなのかしら? 疑わしいわね。あ、もしかして素人の女は初めてっていう意味? まったく男ってヤツは――
終わった後、カイは腕枕をしてくれた。あ~、何だか幸せ~。
「ねえ、カイ。気持ち良かった?」
「ああ……すごく良かった」
「そう……」
なら良かった。
「お前は痛かったんだろ? ごめんな」
「痛いのは最初だけなんでしょ?」
「らしいな」
「じゃあ、次からは平気だね」
私はカイに抱きついた。そして、その肌の温もりに安堵した。こんな安心感……一体いつ以来だろう? 私はカイにしがみついたまま、幸せな眠りに就いた。
結婚した私は酒場の仕事を辞め、家族寮の近くにある雑貨屋で働き始めた。給金は以前よりずっと安いけれど、生活費は半分以上カイが出してくれるし、家賃もかからないから、贅沢をしなければ何の問題もない。今までの苦しい生活を考えれば、信じられないくらい幸せだ。もう、月末は水だけで過ごすなんていう惨めなこともしなくて済む。私はカイに心から感謝していた。
けれど……カイ自身は別に急いで結婚する必要なんてなかったのだ。困窮していた私に同情して助けてくれただけなのである。結婚して日が経つにつれ、私はカイとの関係について冷静に考えるようになった。空腹が満たされて思考が正常に作動するようになったと言うべきかもしれない。カイにとって、この結婚はただの足枷なのではないか? 好きでもない女と結婚してしまって、もしもこの先、本当に愛する女性に出逢ったらどうするのだろう?
夕方、雑貨屋での仕事を終えると、帰り道にある商店街で買い物をする。家に着くと朝干した洗濯物を取り込み、夕食を作り始める。カイは三交代制で王都警備の任務に就いているので、毎日夕食を共に出来る訳ではない。それでも二人で食卓に着ける日はカイの好物を並べ、他愛ない話をしながら食事をする。カイは基本的に無口なので、喋るのはほとんど私。穏やかな毎日だ。私は幸せだ。でもカイは? 夜番明けに泥のように眠るカイの寝顔を見ながら思う。私は、このままカイの側に居ていいのだろうか? と……。
「リーゼ。お前、最近変だぞ。どうした?」
「えっ?」
意外と鋭いカイ。
「何か困ったことがあるなら言えよ」
訊いてみようかな?
「……ねえ、カイ。カイは今、幸せ?」
「はぁ?」
「カイは私と結婚して幸せ?」
カイは私から目を逸らした。
「何だ、それ? 俺たちの結婚はそういうんじゃないだろ?」
そうだよね。やっぱり。
「カイ。好きな女性が出来たら、遠慮せずに言ってね。その時は私、出て行くから」
「……リーゼ! 何、言ってんだ!?」
カイが、ものすごく怖い顔になった。
「カイ?」
「『出て行く』なんて許さない! お前はずっと俺と一緒にいるんだ!」
へ? いいの?
「カイ。そんなこと言われたら私、本当に居座っちゃうよ? カイに好きな女性が出来た時に困らない?」
「だから何で俺が浮気する前提なんだ?」
いや、浮気じゃなくて本命が現れた時の話なんだけどね。私とカイの話はなかなか噛み合わない。
「とにかく、リーゼは俺の嫁になったんだから、ずっと俺と一緒にいればいいんだ。離縁なんて絶対しないからな!」
カイはそう言って、話を終わらせてしまった。結局、カイは真面目な男なのだ。たとえ同情で結婚した女でも、嫁にしたからには無責任に放り出すつもりはない、ということなのだろう。
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結婚して2年が過ぎた。カイと私はともに18歳になっていた。
この2年間、私たちは時々クダラナイ喧嘩をしながらも、平穏に暮らしてきた。カイは相変わらず無口だし、ぶっきらぼうだけれど、何だかんだ私のことを大切にしてくれる。兵士仲間と飲みに行くことはあっても、ギャンブルや女遊びをするわけでもなく、浮ついたところは全く見られない。カイは真面目で頼りになる良い夫だった。
結婚当初は若い私たち夫婦を心配そうに見守っていた家族寮の人達も、この2年の私たちの生活ぶりを見て、ようやく安心してくれたようだ。
今朝も私は洗濯場で、他の奥さん達とお喋りしながら洗濯をしていた。
「リーゼちゃんもすっかり人妻らしくなったよね。カイくんも随分しっかりしてきたって、うちの旦那も褒めてたし、そろそろ子供を作っても大丈夫なんじゃない?」
「そうよね。リーゼちゃん、私もそう思うわ。もうそろそろ子作りしてもいいんじゃないの?」
奥さん達がそんなことを言い始めた。
「えっ? でも……不安です」
私は恥ずかしさもあって俯いた。
「親御さんがいなくても私達が助けてあげるよ。心配ない」
「そうそう、皆で協力してあげるから大丈夫よ!」
口々に励ましてくれる。本当にありがたいことだわ。私は恵まれている。
その夜、カイが、
「なあ、リーゼ。そろそろ子供を作らないか?」
と言い出した。私が、
「カイも何か言われたの?」
と問うと、
「えっ? 何を?」
と、訝し気なカイ。あれ? 先輩達に言われたんじゃないの?
「カイは子供が欲しいの?」
「俺、家庭を持つのがガキの頃から夢だったんだ。リーゼと結婚して夢は叶ったけど、次は子供が欲しい。父親になりたいんだ」
……家庭を持つのが夢だった? そうだったの? 今まで、そんなこと一度も言わなかったくせに。
「初めて聞いたわ」
私がツンとして言うと、カイは少し慌てて、
「いや、あの。何か恥ずかしいだろ? 『家庭を持つのが夢だった』なんて、女みてぇーだし。言いにくかったんだよ」
と言った。
「私でいいの?」
「は?」
「だから、カイの子供を産む女よ。本当に私でいいの?」
それは最終確認だった。カイの子供を産む。それはつまり生涯をカイと共にするということだ。カイは本当に私と添い遂げるつもりなのだろうか?
「何、言ってんだ? 俺の子を産むのはリーゼに決まってるだろ!」
カイは呆れ顔でそう言った。それは”何を当たり前のことを”と言わんばかりの口ぶりだった。そのことが無性に嬉しくて、私はカイに抱きついた。
「カイ!」
「リーゼ。結局、子作りするのか? しないのか? どっちなんだ?」
「カイの子が欲しい!」
そして、これから先もずっとカイと一緒にいたい。私はカイを愛してる。いつからかなんて分からない。一緒に暮らすうちに本当にいつの間にか、私は男っぽくて真面目なカイに心惹かれるようになっていた。同情心から結婚してくれた夫に、私は片想いをしている……
避妊を止めた途端に私は妊娠した。カイはとても喜んでくれた。
家族寮の奥さん達は例によって洗濯場で、
「さすが! 若いわね!」
「ホントね~。こんなにすぐ妊娠するなんて」
「カイくん、元気そうだもんね。ふふふふふ」
などと盛り上がっている。
「ねぇ、リーゼちゃん。旦那が言ってたんだけどね。カイくん、職場で『嫁が妊娠した』って、そりゃあもう嬉しそうに言い回ってるんだって」
えーっ?!
「は、初耳です。カイがそんなことを?」
私は驚いた。普段のカイからは想像がつかない。
「カイくんってば、日頃無口なのに意外よね」
うん、うん。そうですよねー。
「よっぽど嬉しかったのよ。リーゼちゃん、愛されてるわね~」
「そりゃそうよ。なにせ、カイくんとリーゼちゃんは大恋愛で一緒になったんだもの」
ん? 奥さん、今、何と? 大恋愛!?
「あの、私とカイはそういうんじゃなくて――」
私が否定しようとすると、
「リーゼちゃん、今更照れなくてもいいのよ。皆、知ってるんだし」
と、言われてしまった。「知ってる」って何を?
「孤児院にいた頃から、ずっと想い合ってたんでしょ? なのにリーゼちゃんが強欲な商人に見初められちゃって、逃れる為に二人で手に手を取って王都に出て来たって聞いたわよ」
「カイくんが『俺と二人で王都に行こう。必ず幸せにする』って、リーゼちゃんにプロポーズしたんだってね」
「素敵ね~。愛だわ~」
はぁー!? どうやら16歳で結婚した地方の孤児院出身の私たち夫婦は、奥さん達の恋愛妄想を掻き立ててしまったようである。身に覚えのないカイと私のめくるめくラブストーリーを聞きながら、どこから突っ込んでいいのか分からず、私は曖昧に笑いながら洗濯を続けた……。